第96話:【閑話】深淵の超絶物流網と、最強配達員たちの葛藤(と胃袋)
第96話:【閑話】深淵の超絶物流網と、最強配達員たちの葛藤(と胃袋)
『悠久の大迷宮』第34階層――『猛毒瘴気と底なしの腐泥沼』。
かつてトウヤたちがスッポンと泥蟹を狩ったこの最悪の環境を、一陣の黒い風が、泥の飛沫すら一切上げずに駆け抜けていた。
「(……隊長! 右舷より『アビス・ベノム・タートル』の毒液ブレスが来ます!)」
「(躱せ! だが絶対に背中の荷物は揺らすな!! 今回の積み荷には、西方の水上国家から献上された『幻の硝子細工入りの極上オリーブオイル』と『雲海綿あめ糖』が入っている! 一ミリでも振動を与えれば割れるか溶けるぞ!!)」
「「「了解ッ!! 【隠密歩法・極・完全無振動】!!」」」
神聖魔導帝国エルドリアが誇る特級隠密部隊『影歩く者』の十三名。
彼らは今、完全に重力を無視したかのような滑らかな動きで空中のわずかな足場を蹴り、毒液の雨を紙一重で、かつ「背中の木箱の中のオリーブオイルの液面すら揺らさずに」回避してみせた。
彼らは現在、トウヤたち『悠久の踏破者』の滞在する第45階層へ向けて、地上からの貢物(極上調味料)を届ける【ウー〇ー任務】の真っ最中であった。
しかし、彼らのこの配達業務は、回数を重ねるごとに異常な次元へと突入しつつあった。
理由の第一は、キャンパーたちの現在地が『第45階層』という、常人であれば足を踏み入れた瞬間に蒸発するレベルの超深層に達していること。
そして第二に……地上からの「配達依頼(と逆配達の要求)」の数が、爆発的に激増していることであった。
***
【数時間前・アルカディア王城 執務室】
サイラスが迷宮へ出発する直前、ヴィルヘルム国王とガルド宰相から直々にブリーフィング(という名の無茶ぶり)を受けていた時のことである。
「頼むぞサイラス! 今回のオリーブオイルと砂糖は、彼らの料理の幅をさらに広げるための重要な戦略物資だ! 決して割ったりこぼしたりするでないぞ!」
「ハッ! 命に代えましても」
サイラスが恭しく頭を下げる。
「うむ。……それとだな、サイラス」
ヴィルヘルム国王が、急にモジモジし始め、ガルド宰相と顔を見合わせた。
「その……前回届けてもらった『黄金巨羊の究極ラムチョップ』と『極上ピザ』だが……本当に、あれは凄まじかった。王宮のシェフたちがあの味の足元にも及ばないと泣いて絶望したほどだ」
「……はあ」
「そこでだ! 今回、この素晴らしいオリーブオイルを届けた暁には……もし、もしトウヤ殿たちが『お礼にまた何か持っていくか?』と聞いてくれたなら……!!」
ヴィルヘルム国王の目が、血走った肉食獣のようにギラリと光った。
「絶対に『はい、いただきます!!』と答えて、保温ボックスの限界まで詰め込んで帰ってくるのだぞ!! 良いな!? 余はあのチーズの伸びと肉汁が忘れられんのだ! 徹夜で政務をこなすためのカロリーが足りん!!」
「ええ! 私もです!」
ガルド宰相も、帝国の最高頭脳とは思えないほど必死な顔で身を乗り出した。
「前回のラムチョップ、皇帝陛下に一口だけ献上したところ、『もっと食わせろ! なぜお前たちだけそんな神の肉を食っているのだ!』と胸ぐらを掴まれて揺さぶられました! 皇帝陛下の分も、なんとしても確保するのです!!」
「さらには王都の近衛騎士団や冒険者ギルド、孤児院の子供たちからも『またあのピザが食べたい』と陳情(暴動一歩手前)が殺到しておる! 保温ボックスは一人三個ずつ、計三十九個持たせるゆえ、パンパンにして帰ってこい!!」
「…………」
サイラスは、三十九個もの巨大な魔法ボックスを前に、遠い目をして思考を放棄した。
(……我々は、大陸を裏から支配する帝国最高のエリートスパイだったはずだ。それが今や、ただの『出〇館の配達員』……いや、各所にピザや肉を届けるだけの物流業者ではないか。……国家の威厳とは、一体何なのだ?)
サイラスの心の中に、ふつふつと疑問と葛藤が湧き上がっていた。
***
【そして現在・第41階層】
「(隊長! 第41階層の『フルーツ・ターキー』の群れです!)」
「(相手にするな! 我々の任務は戦闘ではない、最速・無傷での【運送】だ! 隠密結界を最大出力に回せ! 風になれ!!)」
サイラスの号令と共に、十三名の配達員たちは『気配遮断』を極限まで高め、ターキーたちの視界の死角を完璧に突いて神速で駆け抜けていく。
彼らは気づいていなかったが、この「深層を、荷物を一切揺らさず、魔物に気づかれずに往復する」という異常な配達業務は、結果的に【世界最高の暗殺術の修練】となっていた。
重力異常、猛毒、極寒、灼熱。あらゆる悪路を「スープを一滴もこぼさずに走る」ための絶対的な体幹バランス(【極・無振動歩法】の習得)。
神話級の魔物の群れを「戦闘によるタイムロスを避けるために」完全にやり過ごす、神の領域の気配遮断術。
彼ら『影歩く者』は、ただの「ピザの出前」のために、かつての自分たちなら数人がかりで死闘を演じていた深層の魔物たちを、今や「ただの障害物」程度にしか感じないほどに、そのステータスと練度を爆発的に進化させていたのである。
「(……しかし、解せん)」
走りながら、サイラスは背中の重い保温ボックス(空箱)の重みを感じて溜息をつく。
「(国王陛下たちも、あそこまでトウヤ殿たちの料理に執着するとは。確かに美味かったが、我々は誇り高き帝国の……)」
ギギギギギギ……ッ!!
葛藤を抱えたまま、彼らはついに目的の第45階層――『黄金の豊穣平原と聖なる牧場』の大扉を開け放った。
その瞬間。
「――――ッッ!!」
サイラスたち十三名の鼻腔を、爆発的な『暴力』が直撃した。
黄金の平原に展開された【星の箱庭】のテラスから漂ってくるのは、新設された『豊穣の魔導大石窯』でじっくりと焼き上げられた、小麦の甘い香ばしさと、焦げたチーズの匂い。
さらに、分厚い極上ラム肉が、香草とニンニクをたっぷりと纏って鉄板の上でジュワァァァァッ! と爆ぜる音。
「おっ! サイラスたちじゃないか! お疲れさん!」
エプロン姿のトウヤが、巨大なトングをカチカチと鳴らしながら笑顔で手を振った。
サイラスの頭の中から、「誇り」だの「帝国の威厳」だのといった小難しい概念が、音を立てて消え去った。
「ト、トウヤ殿……! ご注文の、西方からのオリーブオイルと砂糖であります……!!」
サイラスが、震える手で木箱を差し出す。
「おおっ! 完璧な状態じゃないか! さすがプロの配達員だな!」
トウヤが中身を確認し、大喜びで受け取る。
「ちょうどよかった! 新しい石窯で『芳醇豚の極厚ベーコンとチーズのカルツォーネ(包み焼きピザ)』が焼けたところなんだ! オリーブオイルをかければさらに完璧になる! お前らも腹減ってんだろ、食っていけ!」
ドンッ!! と。
サイラスたちの前に、熱々のカルツォーネと、切り分けられた『黄金巨羊の極上ラムステーキ』が並べられた。
「い、いただきますッッ!!」
サイラスが、カルツォーネを両手で掴んでかぶりつく。
サクッ、ジュワァァァァ……ッ!!
中から、熱々の特濃チーズと、燻製の香りが強烈な極厚ベーコンの肉汁が、滝のように溢れ出した。そこに最高級のオリーブオイルの爽やかな風味が加わり、味覚の許容量を完全に限界突破する。
「うおおおおおおおぉぉぉぉっ!!!」
帝国最高のエリートスパイが、大粒の涙をボロボロとこぼしながら絶叫した。
「うめぇぇぇっ! なんだこの生地のモチモチ感は! そしてこのチーズのコクと肉汁のハーモニー!! 俺は……俺はこれさえあれば、帝国の誇りなんてどうでもいい!! 悪魔に魂を売ってでもこのピザの配達員になるぞォォォッ!!」
「隊長ぉぉぉっ! 俺もですぅぅぅ! ラムステーキが口の中で溶けますぅぅぅ!」
十三名の影たちが、完全に野生の獣(あるいは餌付けされた犬)と化して、一心不乱に極上飯を貪り食う。
ヴィルヘルム国王やガルド宰相の「無茶ぶり」に対する葛藤など、一秒で吹き飛んだ。
なぜなら、サイラス自身が【この圧倒的な飯(報酬)のためなら、どんな地獄の深層だろうが喜んでお使いに行く】と、細胞レベルで完全に理解してしまったからだ。
「ガッハッハ! 食いっぷりが良くて気持ちいいぜ! おっ、そういえば国王のおっさんたちへの出前も頼まれてたんだったな。保温ボックス持ってきたか?」
「は、はいッ!! 空箱を三十九個、持ってまいりました!!」
サイラスが、口の周りをチーズだらけにしながらビシッと直立不動で答える。
「よし! じゃあカルツォーネとピザ、ラムステーキのフルコースをパンパンに詰めてやる! 熱々のうちに届けてやってくれ!」
***
数時間後。
アルカディア王城にて、サイラスたちによってもたらされた三十九個の魔法ボックスが開けられた瞬間、王城や騎士団、孤児院などあちこちで「うおおおおっ!!」という歓喜の絶叫が夜空に響き渡ることになるのだが。
それも全ては、ただ『美味しいご飯を振る舞いたい若者たち』と、『そのご飯の虜になった地上の権力者たち』、そして『その間を繋ぐ最強の配達員』という、異常な需給関係が完璧に噛み合った結果であった。
「……美味い飯のためなら、100階層だろうがなんだろうが、俺たちは必ずお届けに上がりますよ、トウヤ殿」
王城の屋根の上で、サイラスは配達完了の報告をしながら、遠く大迷宮を見つめてニヤリと笑った。
深淵のウー〇ー配達員たちの修練(という名のお使い)は、トウヤたちが深層へ進めば進むほど、さらに苛烈に、そして完璧なものへと磨き上げられていくのであった。




