第84話:絶景の生殺し階層と、美食家たちの精神的苦痛
### 第84話:絶景の生殺し階層と、美食家たちの精神的苦痛
『悠久の大迷宮』第36階層――『狂気と粘液の深淵魔窟』。
最悪の環境と見た目に反する「究極のタコ肉」を狩り尽くし、極上のタコ焼きと大鯰のキモ醤油刺身を満喫した『悠久の踏破者』の八人(六人と三匹)。
翌朝。完全に腹を満たし、英気を養った彼らは、新たなる未知の食材を求めて第37階層へと続く黒曜石の扉の前に立っていた。
「……さて。34階層からの三連続『環境最悪・食材最高』のゲテモノ階層地帯も、中ボスを越えてようやく一段落ってところか」
トウヤが、真新しい神話級装備『次元歩行の靴』のつま先をコンコンと鳴らしながら言う。
「ええ! タコもお鯰様も本当に美味しかったですけれど……そろそろ、お日様の光が差し込むような、綺麗な景色の中で狩りがしたいですわ!」
エリスが、泥や粘液のトラウマを思い出しながら切実に願う。
「ガッハッハ! 全くだ! 綺麗な空気の中で食う飯こそキャンパーの醍醐味だからな!」
「よし、それじゃあ期待を込めて開けるぞ!」
トウヤが力強く扉を押し開けた。
ギギギギギギ……ッ!!
扉の先から溢れ出してきたのは、泥の悪臭でも、毒ガスでもなく――清涼で心地よい、花の香りを孕んだ美しい風であった。
「おおっ……!!」
一行が足を踏み入れた瞬間、目の前に広がっていたのは、まさに『神の楽園』と呼ぶにふさわしい絶景だった。
第37階層――『光降る黄金水晶と清流の楽園』。
見渡す限り、淡い光を放つ黄金色の水晶の花が咲き乱れ、その間を澄み切った清流がサラサラと流れている。空はどこまでも高く青く、暖かな日差しが草原を照らしていた。
「き、綺麗……! まるで絵本の中の世界みたいです!」
マリアが両手を胸の前で組んで感動の声を上げる。
「ピィィッ!(兄貴、すっごく気持ちいい風だよ!)」
クーが上空をくるくると嬉しそうに飛び回った。
「ヒャッハー! 最高じゃねえか! こんな綺麗な場所でどんな極上肉が……って、あれ?」
ジンが、草原の奥を歩いている魔物の姿を捉えて、ピタリと動きを止めた。
清流のほとりを歩いていたのは、透き通るような美しい水晶で構成された鹿『クリスタル・ディア』と、黄金の金属光沢を放つ巨大な猪『オリハルコン・ボア』であった。
トウヤの【神眼の指揮】が、無慈悲な解析結果を弾き出す。
「…………」
トウヤが、スッと目を細めて無言になった。
「トウヤさん? あのキラキラした豚さんや鹿さんは、どんなお味が……?」
エリスが期待に胸を膨らませて尋ねるが、トウヤはゆっくりと首を横に振った。
「……おい、お前ら。迷宮の法則ってやつは、本当に意地悪にできてるらしいぞ」
「えっ?」
「あの鹿、純度100%の魔法水晶だ。あの猪、純度100%の超硬度金属だ。……水分も脂も肉も、原子レベルで存在しねえ」
「…………」
「…………」
八人(六人と三匹)の間に、清らかな風の音だけが空しく吹き抜けた。
「た、食べられないって……ことですか?」
ルミナの問いに、トウヤは重々しく頷いた。
「ああ。環境は完璧だ。だが、食材は【完全なゼロ】だ」
その宣告が下された瞬間。
先ほどまで絶景に感動していたメンバーたちの目から、一切の光が消え失せた。
「……ふざけるな」
ガレスが、ドス黒いオーラを放ちながら『太陽神の鏡盾』を構えた。
「せっかく空気が美味いのに……極上肉の匂いが一ミリもしねえなんて、ただの『生殺し』じゃねえか!!」
「ええ……! こんなキラキラした石ころ、私の胃袋には何の足しにもなりませんわ!!」
エリスが、怒りで『竜殺しの重剣』にマグマの闘気を纏わせる。
「おいお前ら! 景色を楽しむ必要はねえ! こんな食えない階層、一秒でも早く終わらせるぞ! 作戦は『流れ作業の完全殲滅』だ!!」
「「「了解(消え失せろォォォッ)!!!!」」」
美しい楽園で、美食家たちによる理不尽なまでの破壊活動が幕を開けた。
「水晶なんか叩き割ってやりますわ! 【渾身撃・オーバードライブ・粉砕】!」
エリスの重剣が、クリスタル・ディアをただの光る石屑へと変える。
「金属の豚に用はねえ! 【魔力城塞・超高熱溶解】!」
ガレスの盾が、オリハルコン・ボアを瞬く間にドロドロの液体金属へと溶かしていく。
食材を傷つけないための繊細なコントロールなど一切不要。
ただひたすらに、目につく動くものを物理と魔法で薙ぎ払うだけの完全なる「作業」であった。
彼らの怒りの殲滅スピードは常軌を逸しており、わずか『四十分』で第37階層の生態系は完全に沈黙した。
ゴゴゴゴゴゴォォォォォッ!!
草原の中央から、無数の水晶と金属が集束し、体長五十メートルの超巨大な宝石竜――第37階層隠れボス『輝石の帝竜』が姿を現した。
「出たな裏ボス! 食えない石ころの親玉め!」
ジンが『次元歩行の靴』で空中を蹴り、神速でボスの頭上を取る。
「ルミナ! マリア! 一瞬で終わらせろ!」
「「了解です!! 【ホーリー・アブソリュート・バースト(絶対浄化の光氷結)】!!」」
食材を保存する必要がないため、手加減なしの殲滅特化の融合魔法が放たれる。
(※保存用の結界ではないため、光の柱は上がらない)
圧倒的な閃光と共に、隠れボスは咆哮を上げる間すらなく、美しい宝石の粉塵となって空へと消え去った。
「チッ、終わったな。宝箱開けるぞ」
トウヤが流れ作業のように、跡地に現れた豪奢な宝箱を蹴り開ける。
中からは、魔法反射の指輪や、全ステータス異常を無効化する『神聖樹の護符』など、超一級品のレア装備がゴロゴロと出てきた。
「フン、装備だけは一丁前だな。さっさと回収して、次に行くぞ! 時刻はまだ朝飯前みたいなもんだ!」
彼らにとっては、どんな神話級装備よりも「次が美味い階層かどうか」の方が一万倍重要であった。
「頼む……! 次こそは、景色が良くて美味い肉が食える階層であってくれ……!」
ジンが祈るように、続く第38階層への扉を押し開けた。
ギギギギギギ……ッ!!
「…………」
扉の先を見た瞬間、八人は再び、言葉を失った。
第38階層――『星辰の海と雲海の天空庭園』。
眼下には果てしない白銀の雲海が広がり、足元は星の光を編み込んだような半透明の道が続いている。夜空には満天の星とオーロラが輝く、息を呑むような神秘的で美しい空間であった。
「……すげえ。さっきの階層よりさらに綺麗だぜ……」
ジンが呟く。
しかし、その雲海を漂い、星の道を歩いているのは……半透明の体を持ち、実体を持たない『クラウド・エレメンタル(雲の精霊)』や『ホーリー・スピリット(聖霊)』たちであった。
トウヤが、死んだ魚のような目で無慈悲な宣告を下す。
「……おい、お前ら」
「トウヤさん……まさか……」
「あいつら、精霊と霊体の類だ。質量ゼロ。……カロリーゼロだ。食えない」
「「「…………ッッッ!!!!」」」
美食家たちの精神に、致命的なヒビが入る音がした。
「い、嫌ぁぁぁぁぁっ!! もうこんな生殺し階層は嫌ですのぉぉぉっ!!」
エリスが、ついに大剣を放り出してその場にしゃがみ込んだ。
「カロリーゼロ……! そんなの、冒険者に対する最大の冒涜です……!!」
ルミナも両手で顔を覆い、絶望に震える。
「トウヤの兄貴……俺、腹減ってきた……」
ジンが、力なくその場にへたり込んだ。朝ご飯はしっかり食べたはずなのに、食べられない魔物を見せられ続けたせいで、彼らの食欲は逆に異常な飢餓状態へと陥っていたのだ。
「……分かってる。こんな景色だけ良くて飯の匂いがしない空間にいたら、俺たちのキャンパーとしての精神が崩壊しちまう」
トウヤも深くため息をつき、決断を下した。
「お前ら! 泣き言を言う暇があったら、この雲と幽霊どもを一秒で消し飛ばせ! 明日のために、この階層も『完全殲滅&隠れボス即殺』で終わらせる! そして、すぐに拠点に帰って美味い飯を食うぞ!!」
「「「うおおおおおおおッッ!!!! 飯のためにィィィッ!!!」」」
絶望と空腹から来る『精神的苦痛』が、彼らのタガを完全に外した。
「幽霊なんざ俺の爆炎で蒸発しろォォォッ!!」
「カロリーのない魔物は消え失せなさいッ!!」
第37階層をも上回る、阿鼻叫喚の狂気の殲滅劇。
『次元歩行の靴』で雲海すらも足場にして駆け回る彼らの前に、精霊や霊体たちは一瞬の抵抗すら許されず、次々と霧散していく。
わずか三十分後。
ゴゴゴゴゴゴォォォォォォッ!!
雲海が大きく渦を巻き、体長六十メートルに達する天空の霊鳥――第38階層隠れボス『アストラル・スター・フェニックス(星辰の霊鳥)』が姿を現した。
「出たな裏ボス! 食えない焼き鳥風情が!!」
「ルミナ! マリア! 跡形もなく消し去れ!!」
「「【ホーリー・アブソリュート・バースト(絶対浄化の光氷結)】!!!!」」
カッ――――!!!!
天空庭園を白く染め上げる閃光と共に、隠れボスは一瞬で浄化され、星の屑となって雲海へと消えた。
「よぉし! 討伐完了! 宝箱開けろ!」
宝箱からは、空を自在に飛翔できる『星辰の飛翔翼』などの激レア装備が出たが、トウヤはそれを適当にアイテムボックスに放り込んだ。
「終わった……終わったぞお前ら! 撤収だ! 今すぐ拠点に帰るぞ!!」
「「「帰るゥゥゥッ!!!! 肉ゥゥゥッ!!!!」」」
***
数分後。
第38階層の入り口付近に展開された神話級拠点『星の箱庭』。
迷宮の神聖な空気や星空の絶景など完全にシャットアウトされた、見慣れた大豪邸のリビングにて。
「さあ食え!! お前らのメンタルを回復させるための、究極のジャンク・フルコースだ!!」
トウヤがテーブルに並べたのは、昨日までの階層で獲れた食材をふんだんに使った暴力的な料理だった。
『純血イベリコ・ボアの極厚カツレツ 〜特製濃厚ソース〜』。
『カオス・テンタクルスの特大タコ唐揚げ』。
そして『大鯰のキモを溶かし込んだ、超濃厚味噌ラーメン』。
「いただきますッッ!!!!」
エリスが、顔の半分ほどもある極厚カツレツに齧り付く。
「――――ッッ!! じゅわぁぁぁっと……! お肉の脂と、サクサクの衣が……っ! カロリーの味がしますわぁぁぁっ!!」
ポロポロと感動の涙を流しながら、エリスは猛烈な勢いでカツレツを平らげていく。
「ガッハッハ! ラーメンのスープが五臓六腑に染み渡るぜ! これだ! 景色なんかより、この圧倒的な旨味とカロリーこそが俺たちの求めているものだ!!」
ガレスが、どんぶりを抱え込んでスープを飲み干す。
「うぅ……タコの唐揚げ、歯ごたえ最高です……。生きたお肉を食べているという実感が、すり減った心を癒やしてくれます……」
マリアとルミナも、聖女とエルフの威厳など完全に投げ捨て、ジャンクフードの魅力に取り憑かれていた。
環境最悪・食材最高な階層の後に待ち受けていた、環境最高・食材最悪の「生殺し連続階層」。
しかし、どんな精神的苦痛を味わおうとも、最強の拠点と底なしの胃袋を持つ『悠久の踏破者』たちにとって、それは「夕食をより美味しくするためのスパイス」に過ぎない。
絶景よりもカロリーを愛する規格外の美食家たちは、特濃ラーメンのスープを一滴残らず飲み干し、明日こそは美味い肉に出会えることを夢見て、豪邸のフカフカのベッドで泥のように眠るのであった。




