第82話:猛毒の泥沼と、見た目に反する究極のコラーゲン食材
### 第82話:猛毒の泥沼と、見た目に反する究極のコラーゲン食材
『悠久の大迷宮』第33階層――『瑠璃色の珊瑚礁と白亜の海岸』。
黄金のウニ、神の牡蠣、巨大イカ、そして海中神殿の古代白身魚。数日間にわたり、南国の楽園で極上の海鮮を狩り尽くした『悠久の踏破者』の八人(六人と三匹)。
彼らのアイテムボックスと、新設された『海神の竜宮楼』の巨大生簀は、すでに最高級の海鮮でパンパンに満たされていた。
「……はぁ。本当に最高の階層でしたわね。永遠にここに居たいくらいですわ」
エリスが、波打ち際で名残惜しそうにエメラルドグリーンの海を見つめてため息をつく。
「ピィィ……(もうお魚さん、どこにもいないよ……)」
クーも寂しそうに上空を旋回していた。
「まあ、そう言うな。俺たちの目的はあくまで迷宮の踏破と、未知の美味い飯だ! 海鮮は十分すぎるほど堪能した。次に行くぞ!」
トウヤがパンッと手を叩き、全員の気持ちを切り替えさせる。
「ガッハッハ! そうだな! 海の次は、また極上の肉か? それとも未知の果物か?」
「なんにせよ、この30階層台は『秋の森』に『海鮮リゾート』と、最高の環境と食材が続いてるからな! 次も絶対に天国みたいな階層に違いねえ!」
ジンがウキウキと短剣を回しながら、第34階層への重厚な扉を押し開けた。
ギギギギギギ……ッ!!
「さあ! 極上食材、いらっしゃ……うおぇぇぇっ!?」
扉の先に足を踏み入れたジンが、鼻腔を突いた『強烈な腐敗臭』に顔を歪めて後ずさった。
「え……っ?」
マリアとルミナの顔色が一瞬で青ざめる。
第34階層――『猛毒瘴気と底なしの腐泥沼』。
そこは、見渡す限りブクブクと紫色の泡を立てて煮えたぎる、底なしのヘドロの沼地であった。
空気中には吸い込めば一瞬で肺が溶けそうな猛毒のガスが立ち込め、枯れ果てた巨大な倒木が墓標のように沼に沈んでいる。
「…………」
「…………」
八人(六人と三匹)の間に、かつて第26階層(ヘドロ海)と第27階層(虫の森)で味わった『最悪のトラウマ』がフラッシュバックした。
「ま、またハズレ階層ですかぁぁぁッ!?」
エリスが悲鳴を上げる。
「うそだろ!? 30階層台のボーナスステージはもう終わりかよ!?」
ジンが絶望に頭を抱えた。
ボコッ、ボコボコボコッ!!
泥沼の奥から、ヘドロを撒き散らしながら巨大な影が二種類、這い出してきた。
一つは、全身から紫色の毒液を滴らせる、体長十メートルを超える巨大な亀『アビス・ベノム・タートル(深淵の猛毒亀)』。
もう一つは、甲羅に無数の腐った茨を生やした、巨大な泥蟹『デス・マッド・クラブ(死の泥蟹)』である。
「うわぁ……見た目からして最悪です。あんなの、絶対食べられません……」
マリアが【絶対結界】を張り巡らせ、瘴気と泥の飛沫を防ぎながら涙目で言った。
「トウヤ、どうする!? 今回も『殲滅&即撤退』の作業で終わらせるか!?」
ガレスが『太陽神の鏡盾』を構え、一切の期待を持たずにトウヤに尋ねた。
――しかし。
トウヤの【神眼の指揮】は、そのおぞましい外見の奥底にある『真の姿』を、残酷なまでに見抜いていた。
「……待て」
トウヤの声が、震えていた。怒りでも絶望でもない。歓喜の震えであった。
「トウヤさん……?」
「おい、お前ら。迷宮の法則に騙されるな。……今回の階層は、今までと『趣向』が違うぞ」
トウヤが、泥まみれの亀と蟹をビシッと指差して絶叫した。
「あいつら、見た目と環境は最悪だが……『中身』は神話級の極上食材だァァァッ!!」
「「「……はい?」」」
全員が、ぽかんと口を開けた。
「いいか! あの毒亀、実は『スッポン』だ! この猛毒の泥沼のミネラルを体内で極限までろ過して生き抜いているおかげで、その身には不純物が一切ない! 毒腺さえ外せば、世界中のどんな美容液もひれ伏す『究極の黄金コラーゲン』と『滋養強壮の極上出汁』の塊だ!!」
「きゅ、究極の……コラーゲン……っ!?」
エリス、マリア、ルミナの女性陣の肩が、ビクッと跳ねた。
「そしてあの泥蟹! 上海蟹なんて目じゃない! 腐った茨の甲羅の下には、絹のように繊細で甘い身と、とろけるような『極上の蟹ミソ』がびっしり詰まってやがるんだ!!」
「「「…………!!」」」
これまでの「環境が最悪=食べられない(アンデッドやゴーレム)」という常識が、ここに来て覆された。
環境は最悪。見た目もおぞましい。だが、食材としては完璧。
「え、ええと……つまり、あの泥と毒をどうにかすれば、最高のコラーゲン鍋と蟹ミソが食べられるってことですか?」
ルミナが、恐る恐る尋ねる。
「その通りだ! だが、少しでも解体をミスって毒袋を破ったり、泥を肉につけたりすれば、一瞬で廃棄物に変わる! 最高難易度の繊細な解体作業になるぞ!!」
「ヒャッハー!! 望むところだぜ! 極上の蟹ミソのためなら、泥沼だろうが毒ガスだろうがやってやる!!」
「コラーゲン……! お肌がプルプルになる黄金のコラーゲン鍋……! 絶対に一滴の泥も許しませんわ!!」
美食家たちのモチベーションが、環境の劣悪さを完全に凌駕した。
「よし! マリアは俺たちに浄化の結界を! ルミナは足場の泥を凍らせて作業場を作れ! ジン、亀の毒腺の場所を教える、神速で抜き取れ! エリスは泥蟹の甲羅割りだ!」
「「「了解ッッ!!!!」」」
猛毒の泥沼地帯で、かつてないほど「繊細かつダイナミックな収穫作業」が開始された。
「泥は絶対に弾きます! 【ホーリー・フィールド・多重展開】!」
マリアが泥沼の上に光の結界を敷き詰め、作業用のクリーンルームを構築する。
「足場を固めます! 【アブソリュート・フロスト】!」
ルミナが結界の周囲の泥を瞬時に凍らせ、安定した床を作り出す。
「ギャァァァァッ!」
猛毒スッポンが、首を伸ばして紫色の毒液を吐き出してくる。
「ガレス、防げ!」
「任せろ! 一滴も通さねえ! 【魔力城塞・圧縮天蓋】!」
ガレスの盾が毒液を完全に蒸発させる。
その一瞬の隙を突き、ジンが結界の中から神速で飛び出した。
「トウヤの兄貴! 毒腺は首の付け根と甲羅の裏だな!?」
「ああ! ミリ単位でもズレたら肉が腐るぞ!」
「ヒャッハー! 俺のナイフを舐めるなよ! 【直感回避・神速・急所抜き】!!」
ジンの短剣が閃き、巨大スッポンの急所から、毒の詰まった紫色の袋だけを、一切の肉を傷つけることなく「スポンッ!」と抜き取った。
「ナイスだ! そのまま俺の空間斬りでブロック化する!」
トウヤが『神斬りの業物』を振るい、毒腺を失い無害化されたスッポンの身――黄金色に輝くプルプルのゼラチン質と極上の赤身――を切り出し、アイテムボックスに収納していく。
「蟹の方はお任せくださいませ! 泥は私の闘気で吹き飛ばします! 【渾身撃・オーバードライブ・泥落とし甲羅割り】!!」
エリスが、大剣の風圧でデス・マッド・クラブの表面のヘドロを完全に吹き飛ばし、綺麗になった甲羅の継ぎ目だけを的確にカチ割る。
中から現れたのは、外見のおぞましさからは想像もつかない、透き通るような美しい純白の蟹肉と、濃厚なオレンジ色の蟹ミソであった。
「す、すごい……! 本当に、中はあんなに綺麗で美味しそうです!」
マリアが目を輝かせる。
困惑から始まった第34階層であったが、一度「美味しい」と分かってしまえば、彼らにとってはもはやただの「泥に埋まった宝探し」である。
毒ガスが吹き荒れ、ヘドロが煮えたぎる最悪の環境の中、彼らは狂ったような集中力と連携で、スッポンと泥蟹を次々と極上食材へと加工していった。
「ふぅ……! よし、今日のところはこのくらいで勘弁してやるか!」
数時間後。泥沼の生態系をあらかた獲り尽くし、隠れボスが出る前に(泥の掃除が面倒だという理由で)トウヤが撤退の合図を出した。
「さっさと拠点に戻って、お風呂で泥の匂いを落とすぞ! そして今夜は、究極の美容と健康のフルコースだ!!」
***
数十分後。
【星の箱庭】のダイニングルーム。
大浴場で完璧にリフレッシュした八人の前に、あの最悪の泥沼から採れたとは思えない、光り輝くような料理が並べられていた。
「さあ食え! 『深淵スッポンの極上黄金コラーゲン鍋』! そして『死の泥蟹の特濃蟹ミソ甲羅焼き』と『カニ玉チリソース』だ!!」
「いただきますッ!!」
エリスが、黄金色のスープと共に、スッポンのエンガワ(ゼラチン質)を口に運ぶ。
「――――ッッ!! な、なんですかこの旨味の濃さは……!! スープを一滴飲んだだけで、体の芯からカッと熱くなって、信じられないくらい濃厚な出汁の香りが鼻を抜けますわ! お肉もプルップルで、口の中でトロけますの!!」
「ガッハッハ! こっちの泥蟹もヤバいぞ! 蟹ミソのコクが、海の蟹の比じゃねえ! チリソースの辛味に全く負けない圧倒的な甘みだ!」
ジンとガレスも、狂ったように蟹肉にしゃぶりつき、新設した発酵蔵で造られた極上の日本酒を煽っている。
「はぁぁ……コラーゲンが、全身の細胞に染み渡っていくのが分かります……」
マリアとルミナは、両手で頬を押さえながら、すでに美容効果(?)を実感してうっとりとしていた。
「いやー、迷宮ってのは本当に奥が深いな。環境が最悪だからって、食材まで最悪とは限らない。むしろ、過酷な環境だからこそ育つ究極の珍味があるってことだ」
トウヤが、スッポン鍋のスープを啜りながら満足げに笑う。
「ええ! 本当に、最初は絶望しましたけれど、信じて解体して大正解でしたわ!」
「ヒャッハー! 次からどんなゲテモノ環境が来ても、トウヤの兄貴の鑑定がある限り油断できねえな!」
見た目や環境という『常識(先入観)』すらも食欲で打ち砕いた『悠久の踏破者』たち。
究極のコラーゲンと蟹ミソで心身ともに完璧に満たされ、彼らの底なしの迷宮美食紀行は、さらなる未知の味を求めて、どこまでも貪欲に続いていくのであった。




