第77話:深層の青空BBQと、絶望する帝国スパイたち
### 第77話:深層の青空BBQと、絶望する帝国スパイたち
『悠久の大迷宮』第31階層――『広大なる秋覚の巨森』。
いつもであれば、極上食材を乱獲した後は『星の箱庭(拠点)』の安全な豪邸へと帰還するトウヤたちであったが、今日は少しばかり趣向を変えていた。
「いやー、この階層は本当に景色がいいし、気候も最高だ! たまには拠点の外で、本来のキャンパーらしく『アウトドアBBQ』と洒落込もうぜ!」
トウヤの提案に全員が賛同し、紅葉が美しく舞い散る森の開けた広場に、大掛かりなBBQセットが組まれていた。
そして、その熱源として使われているのは、第25階層の中ボスからドロップした神話級調理器具『神鳥の黄金炭』である。
ジュワァァァァァァッ……!!
黄金に輝く炭火の上で、分厚く切られた『純血イベリコ・ボア』の極上豚肉と、大人の腕ほどもある『王侯の香茸』が焼かれ、森中に暴力的なまでの香ばしい匂いを撒き散らしていた。
「ガッハッハ! 外で食う肉は格別だな! トウヤ、ビールのお代わりだ!」
「松茸のお汁が……傘の中に溢れていますわ! すだちを絞って……んんんッ!! 最高ですの!」
「お肉も凄いです! 炭火の遠赤外線のおかげで、外はカリッとしているのに、中は肉汁の洪水です!」
ガレス、エリス、マリアたちが、丸太の椅子に腰掛けながら、大自然の中での極上BBQを心ゆくまで堪能していた。
――しかし。
その平和すぎる光景を、数十メートル離れた巨大な紅葉樹の茂みから、血走った目で見つめている者たちがいた。
神聖魔導帝国エルドリアの特級隠密部隊『影歩く者』の隊長サイラスと、その部下十二名である。
第21階層からの地獄のような環境を、重傷を負い、血を吐きながらも不屈の精神で抜け出してきた彼ら。
「(……隊長。あれは……?)」
部下の一人が、震える手で前方(BBQ会場)を指差した。
サイラスの優秀な頭脳は、現在、深刻なエラーを起こして停止しかけていた。
「(……バカな。未知の巨大生物兵器の製造工場でもなく、世界を滅ぼす魔王の召喚儀式でもない……だと?)」
彼らが見たのは、恐るべき極大魔法(光の柱)を日に二度も撃ち放つ、アルカディア王国の秘密部隊――ではなく。
ただ肉を焼き、笑い合い、酒を飲んで大宴会を開いている『ただのアウトドア集団』の姿であった。
しかも彼らが焼いているのは、先ほどまでサイラスたちが「見つかれば全滅する」と怯えながらやり過ごしてきた、深層の凶悪な魔物たちの肉である。
「(理解できん……。なぜ彼らは、この地獄の最深部で……ただ肉を焼いている……? あの光の柱は!? 帝都を滅ぼすための兵器は!?)」
数日間、決死の覚悟で死線を越えてきた彼らにとって、この光景はあまりにも現実離れしすぎていた。緊張の糸がプツリと切れ、サイラスは激しい目眩を覚えた。
「(……ダメだ。対象は我々の常識を完全に逸脱している。これ以上の観察は危険だ。……一度引くぞ。この異常事態を、一刻も早く帝都へ報告しなければ……!)」
サイラスがハンドサインを出し、十三名の隠密部隊が、音を立てずにゆっくりと後退しようと踵を返した。
――その、瞬間である。
「おっ、あんたたち。もう帰るのか?」
「――――ッ!!?」
サイラスの心臓が、文字通り跳ね上がった。
すぐ後ろ。背中が触れ合うほどの至近距離。
いつの間にか、黒い眼帯をした身軽な青年と、その頭に乗った小さな鳥が、焼き鳥の串を片手に立っていたのである。
「(バ、バカな!? いつ後ろに!? 全く気配が……っ!!)」
帝国最高峰の隠密部隊であるサイラスたちが、ただの一度も気配を察知できなかった。それはつまり、相手の隠密能力が「神の領域」にあることを意味している。
「ピィィッ!(兄貴! この人たち、すっごくボロボロだよ!)」
クーがチロチロと鳴く。
「なっ……! 散開しろッ!!」
サイラスが叫び、部下たちが一斉に武器を抜こうとした時。
今度は前方から、BBQのトングや紙皿を持ったトウヤたちが、わらわらと茂みを掻き分けて姿を現した。
「おいおいジン、お客さんか? ……って、うわっ!?」
トウヤが、サイラスたちを見て目を丸くした。
殺気を放つ帝国スパイたち。しかし、彼らの姿はあまりにも悲惨だった。
隠密装束はボロボロで、全身に第26階層の酸の火傷を負い、腕や足は重力で折れ曲がり、顔は土気色になっている。
「あ、あなたたち、大丈夫ですか!? ひどい怪我です! それに魔力も完全に底を突いていますよ!」
マリアが、敵意など微塵も感じさせない、純度100%の「心配そうな顔」で駆け寄ってきた。
「くっ、近づくなアルカディアの暗部ッ!」
サイラスが短剣を構えるが、マリアは全く気にする様子もなくペンダントを掲げた。
「【大いなる慈愛の光】!!」
カァァァァァッ……!!
眩い聖なる光が、十三名のスパイたちを包み込む。
「なっ……!? なんだこれは!?」
サイラスたちが驚愕の声を上げる。折れていた骨が一瞬で繋がり、全身の火傷が嘘のように消え去り、枯渇していた体力と魔力が泉のように湧き上がってきたのだ。
「……え?」
帝国スパイたちの殺気が、完全に空回りして宙に浮いた。
「いやー、危ないところだったな。この迷宮は深層に行けば行くほど環境がエグいからな。崖からでも落ちたのか?」
トウヤが、のんきな口調でトングをカチカチと鳴らす。
「ほら、ちょうど肉が焼けたところだ。あんたたち、数日はまともなもん食ってないだろ? 腹減ってると力も出ないぜ。一緒に食っていくか?」
「え?」
サイラスは、完全に毒気を抜かれ、隠密部隊の冷徹なリーダーとしての顔を忘れ、ただのポカンとした間抜けな声を漏らしてしまった。
あまりにも気の抜けた、お人好しすぎる対応。
「お、お前たちは……一体何者だ!?」
サイラスは思わず、叫ぶように尋ねてしまった。
「国王ヴィルヘルム直属の、超極秘の魔法部隊ではないのか!? あの光の柱で、巨大な生物兵器を冷凍備蓄しているのではないのか!?」
その言葉に、トウヤたち八人(六人と三匹)は顔を見合わせた。
そして――。
「「「ぶっ……! アハハハハハハハハッ!!」」」
森中に響き渡るような、大爆笑が巻き起こった。
「せ、生物兵器!? 冷凍備蓄!?」
ジンが腹を抱えて笑い転げる。
「ガッハッハ! 確かに巨大なバケモノを丸ごと冷凍してるが、あれはただの『食材の保存』だ! あんなもん兵器にしてどうするんだ!」
ガレスも大笑いしながらサイラスの肩をバンバンと叩く(サイラスはあまりの筋力に体が沈み込んだ)。
「しょ、食材の保存……だと?」
「ああ。俺たちはただの冒険者……いや、キャンパーだ。迷宮の美味い魔物を狩って、美味く調理して食べるためだけに、この迷宮をのんびり踏破してるんだよ」
トウヤが、呆然とするサイラスに、分厚いイベリコ・ボアの焼肉を乗せた紙皿を押し付けた。
「しかし……! ならば地上のあの大粛清はなんだ! 国王が一夜にして反逆者たちを消し去った、あの神話級の暗殺部隊の正体は!」
サイラスが食い下がるが、エリスがクスッと笑って答えた。
「ふふっ。私たち、数日前に迷宮のアーティファクトで、国王陛下たちと『通信』しましたのよ。私たちもてっきり自分たちで復讐するつもりだったのですが、陛下たちが優秀すぎて、すでに地上の悪党は全部片付いていたんですの」
「……は?」
「だから、もう地上の憂いも何もないんです。帝国さんがうちの国を警戒してるって話も、まあなんとなく知ってましたけど……今のアルカディアは完全に一枚岩ですから、戦争なんて起きませんよ。私たちも興味ないですし」
トウヤが肉を頬張りながら付け足した。
「そういうことだ。だから、あんたたちもそんな肩肘張ってコソコソしなくていい。美味い飯食って、適当に報告書書いて帰んな」
「…………」
「…………」
サイラスと、十二名の部下たち。
彼らは手元の紙皿に乗った、暴力的なまでに良い匂いを放つ極上焼肉を見つめ。
そして、目の前で楽しそうにBBQを囲む、帝都を滅ぼすほどの力を持った「ただの美食家たち」を見つめた。
自分たちが数日間、死ぬ思いで地獄の階層を駆け抜けてきた理由。
国家存亡の危機というプレッシャー。
その全てが、ただの『盛大な勘違い(飯テロ)』であったという事実。
「……隊長」
部下の一人が、涙声でサイラスを見た。
「俺……もう、何が何だか分かりません。でも……このお肉、めちゃくちゃ良い匂いがします……」
サイラスは、数分間無言で立ち尽くした後。
プツン、と。スパイとしての最後のプライドの糸を自ら切り捨てた。
「……食おう」
「「「いただきますッ!!」」」
数分後。
『悠久の大迷宮』第31階層の青空の下。
そこには、神話級の極上BBQの美味さに完全に魂を抜き取られ、涙を流しながら松茸とイベリコ豚を貪り食う、帝国最高峰のエリートスパイたちの姿があった。
「う、うめぇぇぇっ! なんだこの肉はぁぁぁッ!!」
「隊長! 涙が止まりません! 帝国の宮廷料理より美味いです!!」
かくして、帝国と王国の間に横たわっていた「最悪の軍事的緊張」は、極上のBBQによって完全かつ平和裏に(帝国スパイたちの胃袋を完全に掌握する形で)消滅することとなった。
迷宮の深層に響き渡る彼らの笑い声は、どこまでも能天気で、最高に美味しい匂いに包まれていた。




