第71話:連続する絶望(ハズレ)階層と、美食家たちの戦略的撤退
### 第71話:連続する絶望階層と、美食家たちの戦略的撤退
『悠久の大迷宮』第25階層――中ボス部屋。
神話級の調理器具『神鳥の黄金炭』と、極上の鶏肉・黄金出汁をもたらしたサン・フェニックスの余韻(昨晩の極上焼き鳥パーティー)を胸に、『悠久の踏破者』の八人(六人と三匹)は意気揚々と次なる第26階層への扉を押し開けた。
「さあ! 21階層からの深層は、敵が強い分だけ食材も超一級品揃いだったからな! 次はどんな極上肉が来るか楽しみだぜ!」
ジンが短剣を回しながら、ヨダレを拭う。
「ええ! 私、お魚でもお肉でも、どんと来いですわ!」
エリスも『竜殺しの重剣』を肩に担ぎ、ウキウキとした足取りで扉の先へ足を踏み入れた。
――しかし。
「…………うっ」
扉を潜った瞬間、マリアが思わず鼻と口を法衣の袖で覆った。
第26階層――『重汚染の廃泥海と鉄錆の雨』。
そこに広がっていたのは、どんよりとした赤黒い空から、肌を刺すような「鉄錆の混じった酸の雨」が絶え間なく降り注ぐ、荒涼とした世界だった。
足元はブクブクと泡立つ猛毒のヘドロの海であり、枯れ果てた巨大な鉄塔が墓標のようにいくつも突き立っている。
「……トウヤの兄貴」
ジンが、顔を引き攣らせてトウヤを見た。
「なんか、第17階層のアンデッド沼を思い出すような、最悪の匂いと景色なんだが……」
ボコッ、ボコボコッ!
彼らの前にヘドロの海から這い上がってきたのは、ドロドロに溶けた金属と猛毒の粘液で構成された『アシッド・スライム』の巨大な群れと、錆びついた鉄屑を寄せ集めて作られた『スクラップ・ゴーレム』たちであった。
トウヤの【神眼の指揮】が、無慈悲な解析結果を弾き出す。
「……おい、お前ら」
トウヤが、地の底から響くような、怨念のこもった声で言った。
「あのスライム、ただの猛毒と硫酸の塊だ。触れれば骨まで溶ける。そしてあのゴーレムは、100%純粋な鉄クズと産業廃棄物だ」
「つまり……」
ルミナが、氷のように冷たい目で尋ねる。
「食える部位は、1ミリも存在しねえ」
その宣告が下された瞬間。
「新しい美味しいお肉」を期待してテンションを最高潮に高めていたメンバーたちの表情から、一切のハイライトが消え去った。
「また、ハズレですか……」
エリスが、重剣の切っ先をだらんと下げて呟く。
「……肉汁も、出汁も、脂も無いと。ただのゴミの山じゃないか」
ガレスも心底ガッカリしたように吐き捨てた。
「お前ら、作戦は第17階層の時と同じだ。こんなクソみたいな階層に、俺たちの貴重な時間を割く価値はない。……最速で殲滅して、隠れボスごとこの階層を終わらせるぞ!!」
「「「了解(ゴミ掃除の時間だ)ッッ!!!!」」」
食欲を阻害された美食家たちの、理不尽なまでの八つ当たりが始まった。
「錆びた鉄クズに用はねえ! 【魔力城塞・超高熱爆炎】!」
ガレスが新装備『太陽神の鏡盾』から、中ボスのフェニックスに匹敵する超高熱の炎を放ち、スクラップ・ゴーレムたちを一瞬でドロドロの銑鉄に変える。
「浄化します! 不衛生なものは全て消し飛ばします! 【ホーリー・レイ・バースト】!」
マリアの聖なる光が、猛毒のヘドロ海を文字通り「蒸発」させ、アシッド・スライムたちを光の粒子へと還元していく。
ジンとエリスも、もはや弱点を狙うことすら面倒くさいとばかりに、圧倒的なスピードと力任せの破壊で廃泥海を蹂躙し続けた。
彼らの殲滅スピードは、もはや迷宮のシステムすら想定外の異常なペースであった。
わずか数時間で第26階層の魔物たちは根絶やしにされ――当然のごとく、防衛本能である『隠れボス』がその姿を現した。
ゴゴゴゴゴゴォォォォォッ!!
ヘドロの海が大きく渦を巻き、全ての鉄屑と猛毒が集束していく。
現れたのは、体長四十メートルに達する、無数の鉄骨と毒の粘液で組み上げられた異形の巨獣――第26階層の隠れボス『ダスト・ベヒーモス(重汚染の廃棄獣)』であった。
「出たな裏ボス!」
ジンが空中で体勢を立て直す。
「トウヤさん! あの方、ワンチャン……もしかして中身に美味しいお肉が隠れていたり……!」
エリスが一縷の望みをかけて叫ぶ。
「……いや、ダメだ。中身までびっしりサビとヘドロだ。完全なるハズレだ」
トウヤの無慈悲な宣告。
「……そうですか」
エリスの重剣から、怒りのオーラが爆発した。
「10秒かけるな! 一斉に消し飛ばせ!!」
「「「了解ッッ!!!!」」」
「ゴミは凍って砕け散りなさい! 【アブソリュート・ゼロ】!」
「邪魔だ! 【渾身撃・オーバードライブ】!」
ルミナの絶対零度がダスト・ベヒーモスの動きを完全に止め、エリスの闘気を纏った大剣が、巨大なゴミの塊を真っ二つに両断する。
そこにガレスの爆炎とマリアの極大浄化魔法が直撃し、隠れボスは文字通り「チリ一つ残さず」消滅した。
当然ながら、食材を保存する必要がないため、お馴染みの「光の柱」は発動すらしていない。
「……ふぅ。よし、終わったな。さっさと宝箱を開けて、次の第27階層に行くぞ。次こそは美味いお肉の階層のはずだ!」
隠れボス討伐ボーナスの宝箱から、毒耐性や防御力を上げるレア装備をサクッと回収し、彼らは急ぎ足で第27階層への階段を下りた。
***
「頼む……! 頼むから次は、血の通ったお肉であってくれ……!」
ジンが祈るように、第27階層の重厚な扉を押し開ける。
ギギギギギ……ッ!!
扉が開いた瞬間。彼らを迎え入れたのは――『ジジジジジ……』という、何万匹もの羽音が重なり合ったような、身の毛のよだつ不快なノイズだった。
「ひっ……!?」
マリアとルミナが同時に悲鳴を上げ、後ずさる。
第27階層――『暗黒の蟲穴と腐乱菌糸の森』。
太陽の光が一切届かない真っ暗な空間。壁や床には不気味に蠢く巨大なキノコや菌糸がびっしりと張り付き、その隙間から、体長2メートルを超える巨大なムカデ『ヘル・センチピード』や、毒液を垂らす巨大蜘蛛『アビス・スパイダー』がワラワラと這い出してきていた。
「…………」
「…………」
八人(六人と三匹)の間に、今日二度目となる、地獄のような沈黙が落ちた。
「トウヤさん……」
マリアが、涙目でトウヤの袖を引っ張る。
「あの虫さんたち……食べられ……ませんよね……?」
「……ああ。食べられないことはないかもしれないが、食いたくねえ。それにあの菌糸類も、毒キノコと寄生菌のハイブリッドだ。……完全なる『ハズレ階層』だ」
トウヤがそう宣言した瞬間。
ポキッ、と。彼らの心の中で「今日一日頑張ろう」というモチベーションの糸が、完全に折れる音がした。
「……兄貴」
ジンが、持っていた短剣を力なく下ろした。
「俺、さすがに連続でゴミと虫の相手をするのは……メンタルがもたねえ」
「全くだ。俺の盾は、美味い肉を守るためのものであって、虫の体液を浴びるためのものじゃねえ」
ガレスも大きな溜息を吐き、盾を下ろす。
「……トウヤさん」
エリスが、虚ろな目でトウヤを見た。
「私、今日はもうお家に帰りたいですわ」
「私もです……。早くお風呂に入って、虫の羽音を忘れたいです……」
ルミナも激しく同意して頷く。
圧倒的な戦闘力を誇り、どんな過酷な環境でも嬉々として無双してきた『悠久の踏破者』たち。しかし、彼らの最大の原動力である「食欲」を満たせない環境が連続したことで、彼らの士気は過去最低レベルにまで墜落していたのだ。
トウヤは、そんな仲間たちの様子を見て、ニッと笑った。
「……そうだな。俺たちの目的は『美味い飯と快適なキャンプ』だ。無理してこんな気色の悪い場所で野営する必要はどこにもねえ」
トウヤは空間を切り裂き、神話級の拠点アーティファクト【星の箱庭】への入り口を、第27階層の安全地帯(扉のすぐ手前)に展開した。
「今日はもう、戦略的撤退(ただの帰宅)だ! 拠点に戻って、ひとっ風呂浴びるぞ! そして夜は、昨日獲れた『サン・フェニックスの黄金出汁』をたっぷり使った、極上の水炊き鍋にしてやる!」
「「「うおおおおおおッ!! 帰るゥゥゥッ!!」」」
虫の群れが迫ってくるのを見向きもせず、八人は一目散に拠点の扉へと飛び込み、ピシャリと扉を閉めた。
***
数十分後。
迷宮の瘴気や虫の羽音を完全に遮断した、拠点の広々とした大浴場。
「ふぅ〜……生き返りますわ……」
「本当に……。あの虫の大群を見た後は、このお風呂の温かさが身に染みます……」
エリス、マリア、ルミナの三人は、聖なる浄化魔法がかけられたお湯に浸かりながら、心底ホッとした表情でくつろいでいた。
そして、リビングのダイニングテーブルには。
「さあ! 嫌なことは美味い飯で忘れるに限る! 今夜は『フェニックスの黄金出汁・極上鶏水炊き』だ!!」
土鍋の中で、透き通るような黄金色のスープがグツグツと煮立ち、その中にはフェニックスの弾力ある胸肉と、農園で採れた新鮮な野菜がたっぷりと入っていた。
「いただきますッ!」
ジンが、ポン酢につけたフェニックスの肉を口に放り込む。
「――――ッッ!! うめぇぇぇッ!! なんだこれ、鶏肉なのに肉汁の濃さがバケモノ級だ! 黄金スープの旨味が細胞の隅々まで染み渡るぜ!」
「ガッハッハ! 虫やヘドロの階層なんてどうでもよくなる美味さだな! 熱燗が無限に進むぞ!」
ガレスが豪快に笑いながら杯を干す。
連続するハズレ階層にメンタルを削られた彼らだったが、トウヤの作る極上のご飯と、絶対に安全な拠点のおかげで、そのストレスは完全に浄化されていた。
「明日は、あの虫どもを一瞬で焼き払って、さっさと第28階層に抜けるぞ! 今夜は腹いっぱい食って英気を養え!」
「「「おおおおおッ!!」」」
迷宮の最深部近くで、環境を無視して堂々と撤退し、極上の鍋を囲む規格外のバケモノたち。
どんな絶望階層が連続しようとも、彼らの「快適なキャンプ生活」が揺らぐことは決してないのであった。




