第58話:絶望(ハズレ)の階層主と、上がらなかった狼煙
第58話:絶望の階層主と、上がらなかった狼煙
『悠久の大迷宮』第15階層――中ボス部屋前。
第14階層の猛吹雪を抜け、一行は重々しい黒曜石の巨大な両開き扉の前に立っていた。
「よし、お前ら。昨日一日かけて特訓した『絶対鮮度保持・多角包囲陣形』の確認はいいな?」
トウヤが振り返ると、五人の仲間と三匹のテイムモンスターたちは、真剣そのものの表情で力強く頷いた。
「任せてください! どんな極上のお肉が来ても、一滴の肉汁も逃がしません!」
マリアが『慈愛の聖印ペンダント』を両手で握りしめ、聖女の祈り(という名の調理準備)を捧げる。
「ガッハッハ! 肉なら霜降り、海鮮なら極太の身を期待したいところだな! 俺の盾で完璧な生簀を作ってやるぞ!」
ガレスも『獄炎の竜盾』を構え、喉をゴクリと鳴らした。
第5階層の中ボスであったカマキリ(タイラント・デスマンティス)が「食べられないハズレ」だっただけに、今回の第15階層にかける彼らの食欲と期待値は、限界を突破していた。
「行くぞ! 極上のメインディッシュのお出ましだ!」
トウヤが勢いよく大扉を押し開ける。
ギギギギギギ……ッ!!
広大なボス部屋。そこは、これまでの美しい自然環境とは打って変わり、赤黒い瘴気が渦巻く荒涼とした岩山のような空間だった。
そして、その中央に鎮座していた『第15階層の主』が、地鳴りと共にゆっくりと立ち上がった。
「グォォォォォォォォォ……ッ!!」
それは――身の丈十五メートルを超える、無数の錆びた武具と呪われた黒鉄、そしてヘドロのような猛毒の粘液で構成された、醜悪極まりない巨大なゴーレムであった。
『災厄の呪鋼機兵』。
一切の生命力を持たず、ただ迷宮の悪意と毒だけで動く、純度100%の無機物モンスターである。
「…………」
「…………」
「…………」
大扉を潜った『悠久の踏破者』たちの動きが、ピタッと止まった。
数十秒の、完全な沈黙。
やがて、エリスが『竜殺しの重剣』の切っ先をだらんと下げ、虚ろな目で呟いた。
「……トウヤさん。あの方、どこにお肉がついてるのかしら」
「……お肉どころか、骨も出汁も取れねえよ。ただの呪われた鉄クズとヘドロの塊だ」
トウヤが、心底ガッカリしたように大きな溜息を吐いた。
「ええっ!? じゃあ、蟹のお味噌みたいに、あのヘドロをすくって食べたりは……!」
マリアが涙目で食い下がるが、ルミナが静かに首を振った。
「ダメですマリアさん。あれを食べたら、聖女の祈りでも浄化できないレベルの破傷風と呪いで確実にお腹を壊します」
その事実(絶対に食べられないという絶望)が確定した瞬間。
八人(六人と三匹)の間に満ちていた「極上の食材を丁寧に扱うための緊張感」が、一瞬にして『純粋な怒りと徒労感』へと反転した。
「……ジン。エリス。マリア、ルミナ、ガレス」
トウヤが、信じられないほど低い、氷のような声で言った。
「作戦変更だ。鮮度保持は必要ない。一秒でも早くあの『粗大ゴミ』を片付けて、拠点に帰って昨日残ったマンモスの肉を食うぞ。……原型を留める必要はない、チリひとつ残さず粉砕しろ」
「「「了解ッッ!!!!」」」
昨日一日かけて磨き上げた「傷つけないための緻密な連携」など、完全にドブに捨てられた。
食材ではない魔物に対する、彼らの容赦のなさは異常であった。
「食えねえボスに用はねえ! 【魔力城塞・極】での押し潰しだァッ!!」
ガレスが防御用の炎の城壁を、あろうことかゴーレムの頭上からプレス機のように叩き落とす。
「鉄クズが! 【直感回避】からの関節全破壊だ!」
ジンが姿を消すまでもなく超高速で駆け抜け、ゴーレムの駆動部である関節のギアを短剣で次々とスクラップにしていく。
「お肉じゃないなら……手加減はいりませんね! 【絶対結界・収縮圧壊】!」
マリアの結界がゴーレムを包み込み、そのまま内側へ向かってミシミシと凄まじい圧力で収縮していく。
「凍てつき、砕け散りなさい! 【氷塊爆槍】!」
ルミナも『保存用の絶対零度』ではなく、純粋な『破壊用の氷属性魔法』を乱れ撃ちし、呪われた装甲を粉々に粉砕する。
「私の期待を! 返しなさいッ!! 【渾身撃・オーバードライブ】!!」
極めつけは、極上のボス肉を楽しみにしていたエリスの怒りの一撃だった。重剣にマグマのような超高熱を纏わせ、結界ごとゴーレムのコアが存在する胸部を、文字通り消し飛ばした。
ズガァァァァァァァンッッ!!!!
戦闘開始から、わずか五秒。
第15階層の誇る凶悪な中ボスは、反撃の糸口を掴むどころか、八人の『八つ当たり』に近い圧倒的な暴力の前に、文字通りの鉄屑となって完全消滅した。
当然ながら、食材を保存する必要がないため、ルミナとマリアによる「融合魔法(光の柱)」は発動すらしていない。
「……ふぅ。よし、ゴミ掃除は終わりだ。帰るぞ」
トウヤが短剣を鞘に納め、何事もなかったかのように踵を返した。
***
【その頃、地上の王城・国王執務室では】
「……オズワルド。まだか」
「……陛下。魔力観測所からの報告は、まだ上がっておりません」
国王ヴィルヘルムと宰相オズワルドは、窓の外の空を、祈るような、それでいてひどく強張った顔で見つめていた。
時刻はすでに夕暮れ。過去三日間、必ず上がっていた『純白の光の柱』が、今日は一向に上がる気配がないのだ。
「第12、13、14階層と、三日連続であの極大魔法(冷凍保存)を撃ち続けていたのだ。いかに彼らがバケモノだとしても、ついに魔力が底を突いたのではないか!?」
国王が爪を噛みながら、焦燥感に駆られて室内を歩き回る。
「……彼らの現在の進行度から推測するに、今日は第15階層……『中ボス』の階層に到達しているはずです」
オズワルドの顔にも、滝のような冷や汗が流れていた。
「ま、まさか……! 魔力が枯渇した状態で第15階層の強大なボスに遭遇し、防戦一方で魔法を撃つ余裕すらないとでも言うのか!?」
「最悪の場合……すでに……っ!」
「馬鹿なことを言うな! あの若者たちが、あのような冷たい迷宮の底で散っていいはずがない! ああ、神よ! どうか彼らに光を……光の柱を上げさせてやってくれ!!」
王国の最高権力者二人が、手を取り合って大迷宮に向かって涙ながらに祈りを捧げていた。
彼らが「光の柱=生存の証(決死の魔法)」と完全に誤認しているがゆえの、壮大なすれ違いである。
(※実際には、明日第16階層で新しい食材を見つけたトウヤたちが、ウキウキで四本目の光柱をぶっ放し、国王たちが「生きておったかァァァッ!」と号泣しながら安堵し、直後に「……いや、また何か凍らせただけだなこれ」と呆れ返るという盛大なコントが待ち受けているのだが、それはまた別の話である)
***
一方、そんな地上の大パニックなど知る由もない地下のトウヤたちは。
「おっ、トウヤの兄貴! ゴーレムの残骸から、すげえ豪華な宝箱が出たぞ!」
ジンの声に振り返ると、中ボス討伐の報酬にしては規格外に巨大で、宝石が散りばめられた宝箱が鎮座していた。
「おお! 圧倒的なスピードでノーダメージクリアしたから、ドロップの質が跳ね上がったのかもな!」
トウヤが罠を解除して蓋を開けると、中からは眩い光と共に、いくつもの『レア装備』が飛び出してきた。
「すげえ……! これは『幻影の暗殺靴』! 足音を完全に無にする上に、空中を三歩だけ蹴れるチートアイテムだ!」ジンが狂喜乱舞する。
「私には『聖樹の純白法衣』ですね! 魔力回復速度がさらに倍になるなんて……これでまた結界が張り放題です!」マリアが目を輝かせる。
他にも、ガレス用の『巨人の剛力腕輪』、ルミナ用の『精霊王の髪飾り』、エリス用の『飛竜の闘気マント』など、彼らの能力をさらに理不尽な領域へと押し上げる神装備のバーゲンセールであった。
「……そして、俺にはこれか」
トウヤが手に取ったのは、漆黒の刃を持つ包丁――いや、『神斬りの業物(神話級の調理包丁)』であった。これを使えば、どんな硬い魔物の骨でも豆腐のようにスッパリと切断できるという、狂気の解体アイテムである。
「ガッハッハ! 食えねえハズレボスだったが、お宝の質は過去最高だったな!」
「ええ! これなら許してあげてもよろしくてよ!」
エリスが新しいマントを翻しながらご機嫌に笑う。
「よし! 新装備のゲットを祝って、今日は拠点に戻って昨日残ったマンモス肉で『極上霜降り肉のすき焼き』にするぞ! 食えない鉄クズのことはさっさと忘れて、明日の第16階層(新しい食材)に備えるぞ!」
「「「うおおおおおッ!! すき焼きだぁぁぁッ!!」」」
王国の心配をよそに、最高のレア装備を手に入れてさらにバグじみた強さを手に入れた彼らは、光の柱を上げる手間すら省けたことに大満足しながら、今夜も最高に美味しい宴会へと向かうのであった。




