第45話:【閑話】傲慢なる深緑の終焉と、仕組まれた生贄の宴
第45話:【閑話】傲慢なる深緑の終焉と、仕組まれた生贄の宴
数千年の長きにわたり、外界からの干渉を拒み続けてきた『エルフの隠れ里』。
世界樹の恩恵を受け、常に穏やかな木漏れ日と豊かな魔力に満ちていたその幻想的な妖精郷は今、冷たい金属の響きと怒号に支配されていた。
「抵抗する者は容赦するな! 全ての長老を捕縛し、広場へ引き摺り出せ!」
里に雪崩れ込んできたのは、煌びやかで禍々しい魔力を放つ重装甲の騎士たち――隣の森を支配する上位種族、『ハイエルフ』の軍勢であった。
結界は容易く破られ、平和ボケしたエルフの自警団など、実戦を経験したハイエルフの魔導騎士たちの前では赤子も同然だった。
「離せッ! 我らを誰だと心得る! この里の長老会議の者だぞ!」
「やめろ、法衣が汚れる!」
世界樹の根元にある広場。
かつて円卓でふんぞり返り、ルミナを「体裁のための供物」としか見ていなかった長老たちが、泥まみれになりながら魔封じの鎖で数珠繋ぎにされていた。
その広場の中央には、すでに処刑台が特設されていた。
そこに引き立てられたのは、大迷宮から命からがら逃げ帰り、「ルミナは迷宮で死んだため、病死したと嘘の報告をしましょう」と長老たちに隠蔽を具申した張本人、元『深緑の守護騎士団』隊長のシルヴァンである。
「お、お待ちください! 私はただ、長老たちの命令に従っただけで……! 悪いのは逃げ出したルミナ様で、私には何の罪も……っ!」
左腕と右目を失った無様な姿のシルヴァンは、処刑人の足元にすがりつき、涙と鼻水を流しながら命乞いをした。かつて大迷宮で部下たちを怒鳴りつけていた高慢な騎士の面影は、微塵も残っていない。
「黙れ、下等な虚言癖め。我が主君を謀ろうとした大罪、その命を以て贖え」
冷酷な声と共に、処刑人の大剣が振り下ろされる。
「ひぃッ――」
命乞いの言葉は途切れ、シルヴァンの首がゴトリと泥の上に転がった。保身のために主君を裏切り、部下を見殺しにした男の、あまりにもあっけない最期だった。
「ヒィィッ……!」
その光景を見せつけられた長老たちは、恐怖に顔を歪めてガタガタと震え出した。
「さて。見苦しい前座は終わったかな」
広場に響き渡る、優雅で、しかし底冷えのするような男の声。
ハイエルフの軍勢が恭しく道を開けた先に現れたのは、豪奢なローブを身に纏った初老のハイエルフ――隣の森の支配者であり、ルミナの婚約者となるはずだった男、エルロンドだった。
「エ、エルロンド殿……! これは一体何の真似ですか! 我々は同盟を結ぶはずの……」
筆頭長老ファエレンが、泥に塗れながらも必死に声を張り上げた。
「同盟? 傑作だな、ファエレン」
エルロンドは冷たい金色の瞳で見下し、嘲笑した。
「私との婚姻の直前に、娘が重い流行り病で急逝した。死体は病の蔓延を防ぐために灰にして撒いた……。そう報告してきたな?」
「そ、それは事実で……!」
「嘘を吐くな!!」
エルロンドが一喝すると、凄まじい魔圧が広場を支配し、長老たちは息を詰まらせて地に這いつくばった。
「貴様らが、逃げ出した娘を連れ戻すために『大迷宮』へ部隊を送り込んだことなど、我が密偵の報告でとうに把握していたわ。そして、その部隊が全滅し、あの惨めなシルヴァンだけが逃げ帰ってきたこともな」
「なっ……!?」
「結納の品を受け取っておきながら、娘に逃げられ、あまつさえその事実を隠蔽して私をコケにした。これは明確な『契約不履行』および『上位貴族への侮辱』である。よって罰として、貴様らの里の自治権を剥奪し、この世界樹ごと我が領地に吸収合併する」
宣告された絶望的な現実に、長老たちは言葉を失った。
彼らが最も恐れていた「体裁の崩壊」どころではない。里そのものが、彼らの愚かな隠蔽工作のせいで完全に奪い取られてしまったのだ。
「ま、待ってくれ! 確かに隠蔽は我らの罪だ! だが、元はと言えばルミナが逃げ出したのが全ての原因! どうか、森の吸収だけは……!」
ファエレンが額を地面に擦りつけ、必死に懇願する。
しかし、エルロンドはその言葉を聞いて、腹の底から愉快そうに高笑いを始めた。
「クックック……アハハハハッ! 傑作だ! まさか、本当にあの小娘の逃亡が原因だと思っているのか?」
「……え?」
ファエレンが顔を上げると、エルロンドは残忍な笑みを浮かべて種明かしを始めた。
「いいか、愚か者ども。私があんな発育不良の小娘を、本当に妻に迎えるつもりだったとでも? 私が最初から欲しかったのは、この豊かな魔力を秘めた『世界樹の森』だけだ。貴様ら下等なエルフに管理させておくには惜しいからな」
「な、何を……」
「あの婚姻は、最初から貴様らの森を奪うための『罠』だったのだよ。もしあの小娘が大人しく輿入れの馬車に乗っていたとしても、道中で『盗賊に偽装した我が手下』に襲わせ、惨殺する手筈になっていたのだ」
エルロンドの口から語られたあまりにも残酷な真実に、ファエレンの目の前が真っ暗になった。
「そして、『我が愛する婚約者を護衛できなかった貴様らの不手際だ! 責任をとって森を差し出せ!』と難癖をつけ、軍を差し向ける。……結果的に小娘は逃げ出し、貴様らは自ら『隠蔽』という素晴らしい大義名分を私に与えてくれた。手間が省けて感謝しているよ」
「あ、あぁ……」
ファエレンの口から、掠れた声が漏れた。
ルミナが逃げようが、逃げまいが。
彼女には最初から「殺されて、戦争の火種にされる」という生贄の運命しか用意されていなかったのだ。
そして自分たちは、娘の真の危機にも気づかず、ただ己の体裁を守るためだけに娘を大迷宮へと追い詰め、結果として一族を滅ぼす最悪の選択をしてしまった。
「ルミナ、あぁ……ルミナ……!」
ファエレンは泥に爪を立て、己の愚かさに絶望の慟哭を上げた。
もし、彼に少しでも「父親としての愛情」があれば。娘の言葉に耳を傾け、不自然な婚姻の裏を疑う知恵があれば。このような結末は迎えなかったかもしれない。
しかし、彼が大事にしていたのは「伝統」と「誇り」という名の虚栄心だけだった。
「さあ、見苦しい老害どもは地下牢へぶち込んでおけ。一生、死ぬまで魔力石を掘る奴隷としてこき使ってやる。この美しい世界樹の森は、今日から私のものだ!」
エルロンドの冷酷な宣言とともに、エルフの長老たちは鎖を引かれ、絶望の叫びを上げながら暗い地下へと引き摺られていった。
数千年の歴史を誇ったエルフの隠れ里は、彼ら自身の傲慢さと愚かさによって、完全にその幕を閉じたのである。
***
――一方で。
かつて彼らが「大迷宮で野垂れ死んだ」と決めつけ、エルロンドが「生贄の駒」としか見ていなかった銀髪のエルフの少女は。
「んんんん〜〜ッ!! トウヤさん、この『クラウド・シャークの極厚フライドフィッシュ』、外はサクサクで中はホクホクで、すっごく美味しいです! 自家製のタルタルソースをたっぷりつけると、もう止まりません!」
「ガッハッハ! ルミナ、俺の分の芋を取るな!」
「ワォン!(俺にも魚くれ!)」
「ふふっ、ルミナちゃん、口の周りにソースがついてますよ?」
前人未到の第11階層。蒼天の雲海に浮かぶ美しい浮島の上で。
『悠久の踏破者』の仲間たちに囲まれたルミナは、満面の笑みで揚げたての白身魚に齧り付き、心の底からの笑い声を上げていた。
彼女を縛り付けていた因習の森も、彼女を利用しようとした悪意も、もはや彼女の届く場所には一切存在しない。
自らの足で地獄の大迷宮へ飛び込み、最高の仲間(と最高のご飯)を掴み取った少女だけが、理不尽な運命を乗り越え、光り輝く青空の下で極上の幸せを噛み締めているのだった。




