第41話:【閑話】神の名の元に散る狂信と、虚飾に塗れた深緑の会議
第41話:【閑話】神の名の元に散る狂信と、虚飾に塗れた深緑の会議
『悠久の大迷宮』第5階層――中ボス部屋。
重々しい石造りの両開き扉が、ギギギ……と不気味な音を立てて閉ざされた。
「……ハァ、ハァ……。主よ、感謝いたします……。ようやく、ジャングルの悪夢から抜け出せた……」
闘技場のような広大な空間に足を踏み入れたのは、光の教会の暗部『異端審問官』の部隊長ヴァルゴスと、生き残ったわずか数名の部下たちだった。
純白だった法衣はどす黒い血と泥で汚れ、全員が重度の疲労と毒に侵され、文字通り満身創痍のゾンビのような有様だった。彼らはマリアの死体を探すべく第4階層を彷徨い続け、偶然にもこの第5階層への扉を見つけ、命からがら逃げ込んできたのだ。
「隊長……ここなら、安全に休憩が……」
部下の一人が安堵の笑みを浮かべて座り込もうとした、その瞬間。
闘技場の中央、天井の隙間から差し込む光の下に『それ』は舞い降りた。
「ギチィィィィィッ……!!」
身の丈は二階建ての家屋ほど。エメラルドのように鈍く光る強靭な外殻と、無数の複眼。両腕に備わった巨大で鋭利な『死神の鎌』。
かつてトウヤたちが数秒で解体したのち、迷宮の法則によって再出現していた第5階層の中ボス――『タイラント・デスマンティス』である。
「なっ……なんという、禍々しい悪魔……!」
ヴァルゴスが恐怖に顔を引き攣らせ、メイスを構える。
「怯むな! 我らには神の加護が……ギャァァァァッ!?」
祈りの言葉は、最後まで紡がれなかった。
マンティスが残像を残して肉薄したかと思うと、右の鎌が一閃。前衛に立っていた部下の上半身と下半身が、何の抵抗もなくズレて滑り落ちた。
「ヒィィッ! いやだ、来ないでくれッ!」
「神よぉぉぉっ!!」
絶叫が響き渡る。
ガレスの『翠緑の金剛盾』や、トウヤの神速の連携を持たない彼らにとって、この階層主は絶対的な「死」そのものだった。
魔法を放とうとした神官の首が飛び、逃げようとした者の背中が串刺しにされる。
「主よッ! なぜ、なぜ我らをお見捨てに……!!」
ヴァルゴスが涙と鼻水を垂らしながらメイスを振り下ろすが、硬い外殻に弾かれ、逆に彼の手首が砕け散った。
そして、無慈悲に振り下ろされた巨大な鎌が、異端審問官部隊長の体を袈裟懸けに両断した。
『悠久の大迷宮』第5階層。
マリアを追って迷宮に足を踏み入れた教会の追手たちは、誰一人として生還することなく、その狂信とともに大迷宮の血肉となって完全に消滅した。
***
同刻。王都、光の教会本部。
豪華絢爛な装飾が施された大司教の執務室で、一人の高位聖職者が舌打ちをした。
パリンッ……!
彼の目の前の机に置かれていた、対象者の生命力を示す魔道具『命の灯火』が、次々と黒く染まり、砕け散ったのだ。
それは、ヴァルゴスを含む異端審問官部隊の全滅を意味していた。
「……忌々しい。迷宮探索の素人とはいえ、教会の精鋭部隊を丸ごと呑み込むとはな。やはりあの『悠久の大迷宮』は、神の光すら届かぬ呪われた地か」
大司教は砕けた魔道具の欠片を無造作に払い落とし、冷酷な目で呟いた。
「大司教様、追手の第二陣を編成いたしますか?」
控えていた側近が尋ねるが、大司教は鼻で笑って首を振った。
「その必要はない。戦闘のプロである異端審問官たちが全滅するような魔境だ。か弱い治癒魔法しか使えんあの小娘が、生き延びているはずがなかろう」
「では……」
「間違いなく、入り口付近の下等な魔物の餌食になったに違いない。これ以上、あの迷宮に無駄な資金と人員を割くのは愚の骨頂だ。……魔女マリアは死んだ。追跡は完全に打ち切り、彼女に関する記録は全て異端として抹消しろ」
大司教のその決定により、教会の暗躍は完全に途絶えた。
彼らは知る由もなかった。か弱い治癒魔法しか使えないと侮っていたその少女が、今や前人未到の第10階層の『豪邸』で、熱々の極上霜降りステーキを頬張りながら幸せの絶頂にいることなど。
***
さらにその数日後。
エルフの隠れ里。世界樹の根元にある長老会議室には、重く、陰惨な空気が立ち込めていた。
「……申し訳、ありませぬ。ファエレン長老……」
円卓の中央に敷かれた毛布の上で、包帯ぐるぐる巻きの男が、血を吐くような声で絞り出した。
ルミナを連れ戻すために派遣された『深緑の守護騎士団』の隊長、シルヴァンである。
彼の美しい銀髪は半分が抜け落ち、右目は深く抉られ、左腕は肩の根元から失われていた。エルフの高度な治癒魔法を以てしても、欠損した部位を元に戻すことは不可能だ。
数十名いた精鋭部隊は全滅し、彼一人だけが、通りすがりの冒険者に拾われて命からがら里へと運び込まれたのである。
「シルヴァン……。我が里の精鋭が全滅し、お前がその無様な姿を晒して戻ってきたということは……」
筆頭長老ファエレンは、娘の安否よりも先に、己が差し向けた部隊の敗北という事実に怒りで肩を震わせていた。
「第8階層……。あそこは、我らエルフの魔法を完全に殺す地獄でした……。次元を跳躍する蜘蛛、水晶の甲殻を持つ巨大な毒蠍……。部下たちは何もできず、ただ無惨に……っ」
シルヴァンが単眼から悔し涙を流す。
「馬鹿な! 我らエルフの魔法が通じぬ階層などあるはずが……! して、ルミナはどうした! 生きて連れ帰れと命じたはずだぞ!」
ファエレンの怒鳴り声に、シルヴァンは絶望に染まった顔で首を横に振った。
「……不可能、です。あのような地獄を、箱入り娘であったルミナ様が突破できる道理がありません。おそらく、我々が到達するよりずっと前の階層で、魔物の腹の中に……」
その言葉を聞いた瞬間。
会議室にいた長老たちは、一斉に顔面を蒼白にさせた。
娘を失った悲しみではない。「隣の森の権力者・エルロンドとの政略結婚」という、一族の命運を懸けた契約が完全に破綻したことへの、身を切るような恐怖だった。
「お、おお……なんということだ! ルミナが死んだとなれば、エルロンド殿は我が一族を『契約不履行』として糾弾されるに違いない!」
「あの御仁の不興を買えば、我らの森の領地は半分以上削り取られてしまうぞ!」
先ほどまでシルヴァンを責め立てていた長老たちは、途端に掌を返し、自身の保身と一族の体裁のための議論を始めた。
「ファエレン殿! こうなれば、事実を隠蔽するしかありません! 『ルミナは婚姻を前に、重い流行り病に罹って急逝した』と発表するのです!」
「そうだ! 死体は病の蔓延を防ぐために灰にして森に撒いたと言い張れば、迷宮で野垂れ死んだという一族の恥を晒さずに済む!」
「早急に、別の美しい娘をエルロンド殿の養女として差し出し、機嫌を取らねば!」
誰一人として、ルミナの死を悼む者はいない。
這いつくばるシルヴァンも、ただ己の痛みと失われた誇りに絶望するだけであった。
「……ええい、忌々しい娘め! 死してなお、我らにこのような尻拭いをさせおって!」
ファエレンは拳を円卓に叩きつけ、吐き捨てるように怒鳴った。
こうして、エルフの里は「ルミナは病死した」という嘘の事実をでっち上げ、彼女の存在を完全に歴史から消し去ることで、醜い体面を保つ道を選んだ。
彼らの追跡は終わった。
傲慢な追跡者たちは自滅し、虚飾に塗れた会議室で保身に走る。
その一方で、彼らが「死んだ」と決めつけたエルフの少女は、今頃トウヤの作ってくれた『ログハウス風マンション』のフカフカのベッドで、満腹の腹をさすりながら、最高の仲間たちと共に幸せな夢を見ている。
決して交わることのない二つの世界の運命は、ここで完全に分かたれたのであった。




