第2話:初めての獲物と、迷宮での優雅なルーティン
第2話:初めての獲物と、迷宮での優雅なルーティン
朝。いや、太陽の光が一切届かないこの地下空間において、朝という概念は存在しないのかもしれない。
しかし、トウヤの体内時計は正確に心地よい目覚めの刻を告げていた。
ふかふかのマットレスから身を起こし、大きく伸びをする。本来であれば、ここは数十年間誰も踏破できていないとされる全100階層の『悠久の大迷宮』の第1階層だ。通常の冒険者であれば、いつ魔物に襲われるか分からない極度の緊張と睡眠不足で、朝を迎える頃には心身ともに疲労困憊になっているはずである。
しかし、トウヤの表情に疲労の色は一切ない。彼の持つ非戦闘用のサポートスキル【拠点創造】によって展開された結界は、魔物を絶対に寄せ付けず、マジックテントの中は常に適温に保たれていたからだ。
「よし、今日も一丁やりますか」
昨晩のオーク肉の端材を挟んだホットサンドと、淹れたてのブラックコーヒーで手早く朝食を済ませたトウヤは、愛用の短剣と狩猟弓を手に取り、安全地帯の結界の外へと足を踏み出した。
今日からの目標は明確だ。いきなり深層を目指すのではなく、まずは訓練も兼ねて低階層をじっくりと巡回し、己のレベル上げと「新たな食材の確保」を行うことである。
薄暗く湿った石造りの通路を、足音を殺して慎重に進む。
やがて、前方の広けた空間に動く影を見つけた。額に鋭い一本角を生やした、中型犬ほどの大きさを持つ兎型の魔物――『ホーンラビット』だ。
草食ベースの魔物だが、あの角による突進は岩をも砕く威力を秘めている。
(……来たな。異世界での、初の実戦だ)
トウヤは息を潜め、通路の影から静かに狩猟弓を構えた。
彼の戦闘スタイルは、正面からの力押しではない。前世のキャンプ知識や狩猟のノウハウを活かし、短剣や弓を使って立ち回る「遊撃」と牽制である。
弦を限界まで引き絞り、狙いを定める。心臓の鼓動が耳の奥でうるさいほどに鳴っているが、不思議と手元のブレはなかった。
「……ふっ!」
短い呼気と共に放たれた矢は、空気を裂いて一直線に飛び、食事に夢中になっていたホーンラビットの首筋に深々と突き刺さった。
「ギィッ!?」と短い悲鳴を上げて魔物が倒れ込む。しかし、絶命には至っていない。狂乱状態となって周囲を見渡し、トウヤの姿を捉えると、血を流しながら猛烈なスピードで突進してきた。
「うおっと!」
トウヤは間一髪で横に飛んで角の刺突を躱す。そのまま壁に激突して体勢を崩したホーンラビットの隙を見逃さず、腰から抜いた短剣を、その急所へと正確に突き立てた。
ビクンと一度大きく痙攣したのち、魔物は完全に動かなくなった。
「ふぅ……っ。なんとかなったな」
額に滲んだ汗を拭い、トウヤは安堵の息を吐く。初めて自らの手で魔物を仕留めた感触に手は少し震えていたが、それ以上に「これで今日の夕飯のメイン食材が手に入った」という喜びが勝っていた。彼は素早く血抜きなどの解体処理を済ませると、冷蔵・保温機能付きのアイテムボックスへと新鮮な肉を収納した。
***
それから数日間、トウヤは第1階層から第2階層の浅い部分を巡回するルーティンを繰り返した。
ホーンラビットや、巨大な歩くキノコ『マタンゴ』、群れで動く『洞窟コウモリ』などを相手に戦闘経験を積む。危ない場面もあったが、トウヤの最大の強みは「完璧な休息」が取れることだった。
他の冒険者が体力と気力をすり減らして地上へ引き返していく中、トウヤは疲労が溜まればすぐに【拠点創造】で結界を張り、安全な空間で美味しいご飯を食べて、ふかふかのベッドで熟睡する。そのため、常に万全のコンディションである100%のパフォーマンスを維持したまま、効率的に経験値を稼ぐことができたのだ。
そして迷宮探索5日目の夕方。
三羽目のホーンラビットを弓で仕留めた瞬間、トウヤの身体の中心から、カッと熱い奔流のようなものが湧き上がった。
「おお……! これが、レベルアップの感覚か」
自身のステータスを確認すると、身体能力の向上とともに、スキルの熟練度も明確に上がっていた。
【拠点創造】のスキルも習熟し、結界を展開するまでの時間が大幅に短縮され、テント内の間取りも以前より少しだけ広く設定できるようになっている。
戦い方にも余裕が生まれ、弓の命中精度や短剣のステップも体に馴染んできた実感があった。
「よしよし、順調だ。……となれば、今日は記念すべき最初のレベルアップ祝いだな!」
足取りも軽く本日のキャンプ地を構築したトウヤは、鼻歌交じりに愛用の調理器具を並べ始めた。
今日のメニューは、この数日間で狩り溜めた食材をふんだんに使ったフルコースだ。
スキレットに多めのバターを落とし、まずは薄切りにしたマタンゴ(毒抜き済み)を炒める。キノコ特有の芳醇な香りがバターのコクと絡み合い、ジュワジュワという音と共に暴力的なまでの食欲を刺激する匂いを放ち始める。そこに少しの醤油と黒胡椒を垂らせば、無限に食べられそうな『迷宮キノコの焦がしバター醤油ソテー』の完成だ。
続いてメインディッシュ。大きく切り分けたホーンラビットの骨付き肉に、現代の知識で作った特製のハーブ塩とニンニクをたっぷりと擦り込む。
熱した分厚い鉄板に肉を乗せると、バチバチッと派手な音を立てて上質な脂が弾けた。表面をカリッと香ばしく焼き上げ、中は弱火でじっくりと火を通していく。ローズマリーに似た香草の香りが、肉の獣臭さを完全に消し去り、旨みだけを極限まで引き上げている。
「最高級ホーンラビットの香草グリル。いただきます」
焼き立ての肉にかぶりつくと、パリッとした皮の食感の直後、驚くほど柔らかくジューシーな肉汁が口の中いっぱいに溢れ出した。鶏肉のようなあっさりとした味わいの中に、野生の力強い旨味が凝縮されている。そこにハーブの爽やかな香りとニンニクのパンチが加わり、噛めば噛むほど至福の味わいが広がった。
「美味い……! 自分で狩った肉ってだけで、美味さが倍増するな」
合間にバターソテーを口に運べば、キノコの深い旨味が肉の脂を優しく中和してくれる。
トウヤは、現代の調理知識と己のスキルをフル活用し、薄暗い大迷宮の片隅で、王侯貴族すら味わえないような極上のディナーを一人心ゆくまで堪能した。
このスローペースで快適な探索こそが、彼が選んだ前人未到の大迷宮攻略への道程である。
満腹になったお腹をさすりながら、トウヤはふかふかのベッドへと潜り込み、明日への活力を蓄えるように深い眠りへと落ちていった。




