第180話:【閑話】神の昇降機と、狂気の『段階降下デリバリー教導隊』
### 第180話:【閑話】神の昇降機と、狂気の『段階降下デリバリー教導隊』
『悠久の大迷宮』第10階層――安全地帯。
そこは本来、地上から数日がかりで命懸けの探索を行い、ようやく辿り着ける「中層への入り口」であった。
しかし現在。その空間の中央には、神聖水晶とミスリルで構築された超巨大な『魔導昇降機』が鎮座し、ウィィィィン……という静かな稼働音と共にその扉を開いていた。
「……信じられん。本当に、地上から一瞬で第10階層まで到達してしまった」
「これが、トウヤ殿たちが引き起こした神の奇跡……!」
エレベーターから降り立った数十名の男たちが、驚愕に目を見開いて周囲を見渡している。
彼らは、アルカディア王国が誇る『近衛騎士団』のエリート、ミズホの国の凄腕『諜報員』、そして地底魔国の『精鋭戦士』たち。絶対同盟が誇る、各国の最高戦力(トップ層)であった。
しかし、彼らの顔には一様に「極度の緊張」と「死への恐怖」が張り付いていた。
なぜなら、彼らにとって第10階層から先の下層は、一歩間違えれば部隊が全滅するほどの『魔境』だからである。
「(総員、整列しろ)」
そんな彼らの前に、静かに、しかし絶対的な威圧感を持って立つ二人の男がいた。
背中に巨大な四角い箱(特製ウー〇ーバッグ)を背負い、漆黒の装束に身を包んだ『世界食糧保全機構(配達部隊)』の幹部――サイラスとファルコンである。
「(これより、第一回『段階降下デリバリー教導訓練』を開始する)」
サイラスが、氷のように冷たい視線で騎士たちを見据える。
「(貴様らは各国の精鋭と呼ばれているそうだが、我々から見れば『歩き方はドスドスと煩く』『無駄に重い金属を身につけ』『スープをこぼすことしかできない』素人の集まりに過ぎない)」
「なっ……!」
アルカディアの若き近衛騎士長が、屈辱に顔を歪める。
「サイラス殿! いくら貴殿らがトウヤ殿の側近だとはいえ、我々を侮辱――」
「(侮辱ではない。事実を述べている。……お前は今、その重い鎧のせいで重心が【2ミリ】ずれている。その状態で全力疾走すれば、背中のケーキの気泡が潰れるだろうが)」
「は? け、ケーキ……?」
騎士長がポカンと口を開ける。
「(良いか、貴様ら。この訓練の目的は『魔物を討伐して生き残る』という低次元なものではない)」
ファルコンが、一歩前に出て熱弁を振るう。
「(この任務は、下層で調達した『極上食材』を、鮮度、温度、そして形状を【完璧に維持したまま】、エレベーターを使って地上へピストン輸送することだ! 貴様らはそのための助手(下働き)であり、我々はその技術を貴様らの体に叩き込む!!)」
騎士たちは、彼らが何を言っているのか半分も理解できなかった。
だが、その背中から放たれる『90階層台の神域を無傷で駆け抜けてきた者特有の覇気』だけは本物であり、逆らうことは絶対に不可能だと本能で悟らされていた。
「(行くぞ。まずは第11階層……『腐食と泥濘の毒沼』だ)」
***
第11階層。
そこは、強酸の雨が降り注ぎ、足元は一歩踏み出せばズブズブと沈み込む猛毒の泥沼という、重武装の騎士にとって最悪の環境であった。
『ギロロロロロッ!!』
泥沼の中から、巨大な『アシッド・マッド・リザード(酸毒の大蜥蜴)』が群れを成して襲い掛かってきた。
「敵襲ゥゥッ!! 盾を構え――」
騎士長が剣を抜き、陣形を組もうとした、その時。
「(遅い。そして煩い! 泥が跳ねて食材が汚れるだろうが!!)」
サイラスとファルコンが、泥沼の上を【一切沈むことなく】、水すましのように滑走した。
「(呼吸を完全に止めよ! そして泥の表面張力に魔力を同調させ、無振動で駆け抜けろ! これが忍法・絶対ジャイロ・泥濘歩法だ!!)」
シュバァァァッ!!
二人の暗殺者は、襲い来る大蜥蜴の群れの隙間をミリ単位で縫うようにすり抜け、すれ違いざまに【手刀】を蜥蜴の関節に叩き込んだ。
スプンッ……。
大蜥蜴たちは、酸を吐き出す間もなく全ての関節を外され、綺麗な「極上トカゲ肉のブロック」となって泥沼に浮かんだ。
「な、なんだと……!? あの巨大な魔物を、剣も使わずに……!?」
騎士や戦士たちが、泥に足を取られながら呆然と立ち尽くす。
「(何を見ている! 早くその肉を回収し、真空パッケージに入れろ!)」
サイラスの怒号が飛ぶ。
「(剣で叩き切れば肉の断面が荒れ、旨味が逃げる! 貴様らのその大剣は、ただの『重り』だ! 今すぐ鎧と大剣を捨て、魔力の操作だけで足元の泥を歩いてみせろ!)」
「よ、鎧を捨てろだと!? この危険な階層で!?」
「(危険ではない! 敵の攻撃など、全て【気配を読んで避ければいい】だけだ! 80階層台の飛来する隕石に比べれば、この蜥蜴の酸など止まっているに等しい! 動け! 走れ! スープをこぼすな!!)」
狂気の訓練が始まった。
騎士たちは重装甲を脱ぎ捨てられ、泥まみれになりながら、飛んでくる酸を「配達物を守るための超絶ステップ」で避ける特訓を強制された。
ミズホの諜報員たちは、元々身軽であったが、ファルコンから「(まだ重心がブレている。頭の上に水の入ったコップを乗せて走れ)」という物理法則を無視した要求を突きつけられ、血反吐を吐きながら絶対ジャイロ制御を身につけていった。
***
――数時間後。第20階層セーフエリア。
「ハァ……ハァ……し、死ぬ……」
騎士長が、床に突っ伏して荒い息を吐いていた。
彼の部下たちも、戦士たちも、全員がボロボロになっていたが……彼らの背中には、それぞれが命懸けで回収し、一切の傷もつけずに運んできた『極上食材』が入った専用バッグがしっかりと抱き抱えられていた。
「(フッ……。素人にしては、まあまあ見れる動きになってきたな)」
サイラスが、一切の汗をかいていない涼しい顔で頷く。
「(だが、休んでいる暇はないぞ。次はエレベーターで第20階層から、第21階層へ下りる)」
「ま、まだ下りるのですか……!?」
「(当然だ。第21階層は『超強風と雷の荒野』。……強風の中で前傾姿勢を保ち、飛来する落雷を【魔力バリアで保温エネルギーに変換する】特訓だ。料理を冷めさせないための必須スキルだからな)」
「落雷を……保温エネルギーに……?」
もはや、騎士たちの脳は理解を拒絶していた。
軍の戦術でも、騎士の誇りでもない。彼らに叩き込まれているのは、徹底した『出前の極意』である。
だが、極限状態の中で、彼らの身体は確実に進化していた。
強風の中で体幹を完全に固定する術を覚え、雷撃を避けるのではなく「受け流す」ことで無効化する術を身につけた。魔物を前にしても恐怖はなく、「いかに綺麗に関節を外すか」という解体作業の対象としてしか見なくなっていた。
「(いいぞ! その姿勢だ! 雷の直撃を恐れるな! お前たちが恐れるべきは、お客様(トウヤ殿たち)に冷めた料理を届けることだ!!)」
「(ウオォォォォォッ!! 料理を冷めさせるなァァァッ!!)」
いつしか、アルカディアの騎士や地底魔国の戦士たちも、サイラスたちと同じように瞳からハイライトを消し、狂気的な『出前至上主義』に染まりながら荒野を疾走していた。
***
――その日の夕刻。地上のアルカディア王国王城前。
ウィィィィン……。
地上に繋がるエレベーターの扉が開き、第一回の訓練を終えた部隊が帰還した。
出迎えたのは、ヴィルヘルム国王とガルド宰相である。
「おおっ! 帰ってきたか! 我が国の精鋭たちよ、下層での訓練はどうであった!?」
国王が期待に満ちた声で尋ねる。
エレベーターから出てきた騎士長と部下たちは……朝出発した時とは、完全に別人のような歩き方をしていた。
踵を鳴らさず、肩を揺らさず、まるで水面を滑るような【完全無振動の歩法】。
そして、その手には、下層で採れたばかりの『最高鮮度の魔物肉』が、一切の劣化なく真空パッケージされて握られていた。
「(……陛下。ご報告いたします)」
騎士長が、瞳のハイライトを消したまま、ビシィッ! と完璧な敬礼を行った。
「(第11階層から第21階層までの【食材調達およびデリバリー演習】、完了いたしました。いかなる悪路であろうと、我々は完璧な状態で料理をお届けする自信があります)」
「おおおっ!! 素晴らしい覇気だ! わずか一日で、見違えるほどの精強な軍隊(?)に育っておるではないか!!」
ヴィルヘルム国王が、彼らの異常な歩き方(出前歩法)には気づかず、ただその強烈なオーラだけを感じ取って大喜びする。
「陛下、これは凄まじい成果ですぞ! この『段階降下デリバリー教導隊』による訓練を全軍に施せば、我が絶対同盟の軍事力は、文字通り神々の領域へと到達します!!」
ガルド宰相も興奮を隠しきれない。
「(ふふふ……。ご満足いただけて光栄です)」
サイラスとファルコンが、背後で満足げに頷き合う。
最強の軍隊を育成したい国王と、最強の配達助手(下働き)を育成したい教官たち。
両者の思惑は見事に(?)一致し、絶対同盟の兵士たちは「戦争」の概念を知らぬまま、極上食材を運ぶための物理法則を無視した『神の運び屋部隊』へと、異常な速度で進化していくのであった。




