第127話:【閑話】和の街の超高度情報戦と、三百年の時を越える『賢者の影』
### 第127話:【閑話】和の街の超高度情報戦と、三百年の時を越える『賢者の影』
海洋通商連盟オロスのさらに東、大陸の歴史から完全に隔離された絶海の孤島群。
その中心に位置する巨大な島に、独自の和風文化を築き上げた隠れ郷――『和国ミズホ』が存在していた。
夜のミズホの街は、軒先に提灯が連なり、幻想的で温かな光に包まれている。
石畳の通りには『キモノ』を纏った人々が行き交い、あちこちの屋台からは、炭火で肉が焼ける香ばしい匂いと、大豆が熟成された『ショウユ』の焦げる暴力的な香りが漂っていた。
「(……凄まじいな。この街の食文化は、我々大陸の常識を完全に凌駕している)」
屋台の片隅で、商人風の地味な服を着た男が、串に刺さった『焼き鳥』をかじりながら低く呟いた。
彼こそが、アルカディア王国直属の特級隠密部隊『夜梟』の元部隊長にして、現在は世界3000人の暗部を束ねる『世界食糧保全機構』のトップ、ファルコンである。
「(ええ、隊長。この『オデン』と呼ばれる煮込み料理も異常です。透き通った汁に、信じられないほど深い魚介の旨味(出汁)が溶け込んでいます……。トウヤ殿が魔王殿に出前した『極上カレーうどんの汁』に匹敵する味わいです)」
隣に座る部下も、大根と牛すじを頬張りながら、感動で少し涙目になっていた。
ファルコンたち精鋭スパイ部隊は、この数日間、一般の旅商人や観光客に完璧に偽装し、ミズホの街の情報を片っ端から収集していた。
公衆浴場で裸の付き合いをしながら世間話を引き出し、酒場で酔っ払いの愚痴から街の政治機構を洗い出す。彼らの諜報能力は、サイラスの地獄のシゴキによって「一滴のスープもこぼさない」レベルに達しており、情報収集においても『相手に一切の警戒心を抱かせない(波紋を立てない)』という神業の域に至っていた。
だが、このミズホの街は、ただの平和な孤島ではなかった。
「(……隊長。斜め後ろの提灯の影。そして向かいの屋根の上)」
おでんの汁をすすりながら、部下が念話で報告する。
「(ああ、気づいている。……我々を尾行している『影』が三つあるな)」
ファルコンが、串を置いて静かに目を細める。
このミズホの街を裏から護る防衛組織――『シノビ(忍者)』と呼ばれる者たちであった。
彼らの隠密技術は極めて高く、大陸の一般的な騎士や魔導師であれば、一生気づくことなく首を落とされているだろう。
「(さすがは独自の文化を三百年守り抜いてきた街だ。我々がいくら気配を消そうとも、『大陸から来た商人にしては、あまりにも足音がなさすぎる(気配がなさすぎる)』という違和感から、逆に我々を警戒したか)」
ファルコンは、口元に微かな笑みを浮かべた。
「(どうしますか、隊長。撒きますか?)」
「(いや、殺し合いは法度だ。だが、我々『深淵の配達部隊(の弟子)』を尾行できると思われているのは癪だな。少しだけ……格の違いを見せてやろう)」
ファルコンが、部下たちに目配せをした。
その瞬間。
「「「…………ファッ!?」」」
屋根の上に潜んでいた三人のシノビたちは、自らの目を疑った。
屋台の席に座っていたはずのファルコンたちが、立ち上がるモーションすら見せずに、突然【コマのように超高速でスピン】を始め、頭に水の入ったコップ(お冷)を乗せたまま、一切の摩擦を感じさせない動きで路地の暗がりへと「スーッ……」とスライドして消えてしまったのである。
「な、なんだ今の動きは!? 歩いていなかったぞ!?」
「幻術か!? いや、コップの水が一滴もこぼれていなかった……! 物理法則を無視した悪鬼の類か!?」
シノビたちはパニックに陥りながらも慌てて後を追うが、絶対ジャイロ歩法と摩擦ゼロステップを駆使する超人スパイたちを捉えることなど、不可能であった。
街のあちこちで、大陸の暗殺者と和国の忍びによる、血の流れない「超高度な尾行と撹乱のイタチごっこ(情報戦)」が繰り広げられていた。
***
【ミズホの街の中枢――『天守閣』】
街を監視する最上階の広間にて、ミズホの国主である初老の男と、シノビの頭領が深刻な顔で向かい合っていた。
「……頭領よ。大陸から来たという妙な商人たちの動向は、掴めているか?」
国主が、渋いお茶を啜りながら尋ねる。
「申し訳ありませぬ、御館様」
シノビの頭領が、冷や汗を拭いながら深く頭を下げた。
「奴ら、ただの商人ではありません。我らが誇るシノビの精鋭たち十名が尾行につきましたが……奴ら、重力を無視して壁を歩き、自転しながら風のように滑り、瞬きをする間に空間から消失いたします」
「……なんだと? それは魔法の類か?」
「いえ、一切の魔力波紋を感じません。ただの『異常な体術』です。……我らの隠密術を遥かに凌駕する、バケモノのような連中が潜り込んでおります」
国主の顔に、深い焦りが浮かんだ。
「……ついに、大陸の者たちが【あのお方】の存在に気づいたというのか」
「おそらくは。……奴らの動きは、街の醸造所や鍛冶場、そして何より『過去の歴史』を探るような動きを見せております」
ミズホの国主は、窓から夜の街を見下ろした。
「三百年前、この国に『ショウユ』や『オフロ』の文化、そして独自の農法をもたらしてくださった【東の賢者】様。……我々はその恩義を忘れず、この文化を外界から隠して守り抜いてきた。だというのに……」
国主が、ゴクリと息を呑む。
「ここ数年で、突如としてこの街の奥の院に現れた【新たなる賢者】様。……大陸のバケモノどもは、間違いなくあのお方を狙っている!」
***
一方、ファルコンたちは街の宿屋の密室にて、収集した情報を統合していた。
「――隊長。街の住人たちから、非常に興味深い噂(伏線)をいくつか拾い上げました」
部下が、羊皮紙にまとめたメモを広げる。
「まず、この街の独特な文化をもたらした『東の賢者』は、やはり三百年前に天寿を全うし、すでにこの世にはいないとのことです。……しかし、問題はここ数年の出来事です」
ファルコンが身を乗り出す。
「何があった?」
「ここ数年、街の市場に『今まで見たこともない新しい料理』が急速に出回るようになったそうです。例えば……卵と油と酢を乳化させた『マヨ・ネーズ』と呼ばれる白い万能調味料。そして、油で肉や芋を揚げた『コロ・ッケ』などです」
「マヨ・ネーズだと!?」
ファルコンの目が鋭く光る。
彼らはトウヤに極上の調味料を献上するため、世界中のあらゆる料理知識を頭に叩き込んでいる。だが、その『マヨ・ネーズ』という概念は、トウヤが時折口にしていた「地球の調味料」の名前そのものではないか。
「さらに不可解なのは」
部下が声を潜める。
「街の酒場で酔っ払いが漏らした噂です。『三百年前の賢者様が残した、天守閣の地下にある【開かずの社】が、数年前に突如として強烈な光を放った』と。……そしてそれ以降、国主様は天守の奥の院に、誰も素顔を見たことがない【特別な客人】を匿っているらしいのです」
ファルコンは、腕を組んで深く考え込んだ。
(……三百年前の転生者は死んだ。だが、数年前に開かずの社が光り、突如として『マヨ・ネーズ』のような新しい地球の知識が街に溢れ出した。そして奥の院に隠された特別な客人……)
ファルコンの脳内に、いくつかの仮説が組み上がる。
(仮説一。三百年前の賢者が、魔導具によるコールドスリープのような技術で現代に蘇った。……いや、それなら『新しい料理』を作る意味が分からない)
(仮説二。賢者が残した文献を解読した天才が現れた。……だが、それだけで客人として匿われるか?)
(仮説三……。数年前に、【二人目の転生者】が、開かずの社の召喚陣か何かを通じて、このミズホの街に現れた!!)
ファルコンの全身に、強烈な鳥肌が立った。
「(トウヤ殿が探しておられる『同郷の者』……。今も間違いなく、このミズホの街の天守閣に生きている!)」
ファルコンは、即座に決断を下した。
「作戦の最終段階に移行する。これより我々は、ミズホのシノビたちの防衛網を完全にすり抜け、天守閣の奥の院へ潜入する! そして、その『特別な客人』の素性を確認し、可能であれば接触を図る!!」
「「「了解!!」」」
超人スパイたちの瞳に、狂気的な使命感(これを成功させればトウヤ殿のすき焼きが食えるという野望)が燃え上がった。
***
その頃。
ファルコンたちが目指す、ミズホの街の天守閣・奥の院。
厳重な結界と数十人のシノビに守られたその豪華な和室の中で。
「あー……暇だなー。マジで暇。スマホもないし、ネットもないし。転生特典のチート能力が『絶対味覚』と『料理の再現能力』だけって、戦闘力皆無じゃ引きこもるしかないじゃん……」
畳の上でゴロゴロと転がりながら、現代の日本語でボヤいている人物のシルエットがあった。
年齢はトウヤよりも少し若い、二十代前半ほどの青年。
彼は、手元にある紙に「明日のレシピ案」を書き殴りながら、大きなあくびをした。
「あーあ。国主のおっさんは『賢者様の再来だ!』って過保護に匿ってくれるのはいいんだけどさ。外に出られないのはキツいって。……おーい、シノビのねーちゃん! 醤油マヨネーズ切れたから、醸造所に言って新しいの樽ごと持ってきてー!」
三百年の時を越えて現れた、新たなる地球からの転生者。
彼が、最強のキャンパーであるトウヤの『超人スパイ部隊』と接触する時は、もう目前まで迫っていた。
大迷宮の底で繰り広げられる極上キャンプの裏側で。
転生者という「異世界のバグ(特異点)」同士が、マヨネーズとショウユの香りに導かれるように、今まさに一つの線で繋がろうとしていたのである。




