第118話:【閑話】地底の平和主義魔王と、故郷(地球)の匂い(スパイス)
### 第118話:【閑話】地底の平和主義魔王と、故郷(地球)の匂い(スパイス)
大迷宮が存在するアルカディア王国から遥か遠く、世界の裏側。
大陸の地下数千メートルに広がる巨大な空洞世界――『地底魔国アガルタ』。
太陽の光が届かないこの地底世界は、しかし、発光する巨大な水晶と地熱エネルギーによって驚くほど豊かで美しい文明を築き上げていた。
ここを統べるのは、地上で「おとぎ話の悪の権化」として恐れられている存在、【魔王】である。
だが、実際の魔王国の現実は、地上の人間たちが想像するものとは大きく異なっていた。
魔王城の最深部、荘厳な円卓の間。
そこに座すのは、漆黒の玉座に深く腰を掛ける一人の青年。漆黒の角と赤い瞳を持つ、圧倒的な魔力を内包したこの男こそが、現魔王『ゼノン』である。
「――以上が、我々が地上へ放っていた諜報部隊『黒き影』からの最新の報告です」
ゼノンの前で報告を終えたのは、中立派閥をまとめる魔王軍参謀・リッチ(不死者の王)のアルマンである。
「アルカディア王国を中心とする『絶対同盟』が、突如として世界中に数千人規模の暗殺部隊を放ちました。彼らはなぜか【頭に木箱を乗せて超高速で回転しながら】、世界中のあらゆる国境や警備を突破し、何かを血眼になって探し回っているとのこと」
「……頭に箱を乗せて、回っているだと? 狂っているのか、地上の人間どもは」
軍拡派閥の筆頭、四本腕の巨大な鬼将軍・ゴウラが、呆れたように鼻を鳴らした。
「だが、これは好機だ魔王様! 地上の奴らが意味不明な奇行に走っている今こそ、我々魔王軍が地上へ侵攻し、豊かな太陽の土地を奪い取るべきです! 私の配下の狂戦士どもは、血に飢えておりますぞ!!」
「早計です、ゴウラ将軍」
穏やかな声でそれを制したのは、穏健派閥の長であるダークエルフの宰相・セレスティであった。
「報告には続きがあります。その『回る暗殺部隊』の戦闘力は、異常の一言。ガルミアの精鋭騎士五百名が、彼らのたった三十名に三分で無力化されたという情報もあります。さらに、アルカディアの大迷宮の底には、天を貫く『純白の光の柱(極大冷凍魔法)』を連発する未知のバケモノが潜んでいるとのこと。……迂闊に手を出せば、我が魔国が滅びかねません。私は、必要であれば彼らと同盟を結び、不可侵条約を結ぶべきと考えます」
「なんだと!? 誇り高き魔族が人間と同盟だと!? 軟弱なことを抜かすなセレスティ!」
「頭の筋肉でしか考えられない貴方には理解できないでしょうね」
会議室に、軍拡派と穏健派のバチバチとした火花が散る。
(……あー、また始まったよ。頼むから戦争とか侵略とか言わないでくれ。俺、血を見るのとか本当に苦手なんだから……)
漆黒の玉座で、絶対的な威厳を放ちながら頬杖をついている魔王ゼノン。
彼の内心は、激しい胃痛と冷や汗に苛まれていた。
無理もない。
魔王ゼノン――彼の前世の名前は『田中 太一』。
かつて日本の食品メーカーで営業マンとして働いていた、ただの平和を愛する一般人(転生者)だったのだから。
彼は数十年前にこの世界に魔王として転生して以来、「絶対に人間界とは戦争しない」という強い決意のもと、軍拡派の戦闘狂たちをあの手この手で抑え込み、地底のインフラ整備や農業の発展に尽力してきた。その結果、現在の魔国は人間界以上に豊かで平和なスローライフ国家になりつつあった。
ゼノンは内心の胃痛を隠し、低く威厳のある声で口を開いた。
「……静まれ、貴様ら」
圧倒的な魔王の覇気が広がり、ゴウラとセレスティが一瞬にして口を閉ざす。
「アルマンよ。その『回る暗殺部隊』が血眼になって探している物とは……一体何だ? 古代のアーティファクトか? それとも世界を滅ぼす禁呪の巻物か?」
「それが……」
アルマンが、少し困惑したように報告書のページをめくる。
「諜報部隊の報告によれば、彼らが探しているのは……『幻の生わさび』や『黄金唐辛子』、『特級の純米酢』、さらには『濃厚醤油』といった……【極上の調味料】ばかりなのです」
「「…………は?」」
ゴウラとセレスティが、間の抜けた声を漏らす。
「暗殺部隊が、調味料を探しているだと? 何の冗談だ!」
「彼らの目的は、それを大迷宮の底にいる『英雄』とやらに『配達』することだそうです。……英雄の胃袋を満たすことこそが、世界の平和を守る唯一の手段だと、アルカディアの王は本気で信じているようでして……」
「馬鹿馬鹿しい!!」
ゴウラが机を叩き割らんばかりの勢いで立ち上がった。
「人間どもは完全に正気を失っている! 魔王様、やはりこれは……」
しかし。
ゴウラの言葉は、ゼノンの耳には全く届いていなかった。
(……生わさび。黄金唐辛子。純米酢。……醤油!?)
漆黒の玉座の上で、魔王ゼノン(田中太一)の瞳孔が、極限まで見開かれていた。
彼の脳内で、数十年間忘れようとしても忘れられなかった、故郷(地球)の記憶が鮮烈にフラッシュバックする。
(間違いない……! この世界に元々あったスパイスじゃない! その『大迷宮の底にいる英雄』とやら……【俺と同じ、地球からの転生者(しかも超グルメ)】だ!!)
ゼノンの全身が、歓喜と、猛烈な「食欲」によってブルブルと震え始めた。
彼は地底で平和な国を作ったが、食事だけはネックだった。地底のキノコや地底湖の魚は栄養満点だが、いかんせん「日本の味」が恋しくてたまらなかったのだ。
(醤油……! 醤油があるのか!? 迷宮の底に行けば、俺も……俺も数十年ぶりに、白いご飯と醤油で美味い和食が食えるのか……!? ラーメンとか、すき焼きとかも食えるのか!?)
ゼノンは、今すぐ玉座を蹴り飛ばして大迷宮へ全速力でダッシュしたい衝動を、魔王としての凄まじい精神力でなんとか押さえ込んだ。
「……なるほど。事態は把握した」
ゼノンが、立ち上がり、マントを翻した。
「地上の人間どもが、その『英雄』を核として妙な動きを見せているのは事実だ。……ゴウラよ、軍の侵攻は許可しない。我々が動けば、その『英雄の怒り』を買い、魔国が光の柱で消し飛ぶ可能性があるからだ」
「ぐぬぅ……! し、しかし魔王様!」
「だが、静観もせん」
ゼノンは、穏健派のセレスティを真っ直ぐに見つめた。
「セレスティ。お前に密命を下す」
「ハッ! なんなりと」
「……アルカディア王国へ極秘裏に使者を送り、我々魔王軍との【平和同盟】の締結を打診しろ。……そして、手土産として我が地底魔国が誇る『千年熟成・地底湖の岩塩』と『幻のトリュフ茸』を大量に持っていけ」
「……! な、なんと!」
セレスティが驚愕に目を見張る。「こちらから手土産を持って、人間と同盟を……!?」
「そうだ。そして……アルカディアの王にこう伝えよ。『我々魔王軍は、迷宮の底におられる英雄殿と、個人的に【接触(お食事)】を希望している』と!!」
「えっ」
会議室にいる全員が、思考を停止させた。
「ま、魔王様!? 接触とは……もしや、その英雄を直々に暗殺なさるおつもりで!?」
アルマンが震え声で尋ねる。
「馬鹿者! 暗殺などせん!」
ゼノンが、血走った目で(和食への渇望を必死に威厳でコーティングして)叫んだ。
「私はただ、その英雄の……【極上の食事】に興味があるだけだ! あわよくば、その食卓に私も混ぜてほしいと交渉するのだ!!」
「「「……………………は?」」」
四天王たちの頭上に、巨大なクエスチョンマークが浮かんだ。
しかし、魔王の言葉は絶対である。
「よいかセレスティ! これは魔国の存亡を懸けた最重要任務(命懸けの飯テロ交渉)だ! 万が一にも同盟交渉が頓挫し、私がその英雄の飯……ごほんっ、英雄と接触する機会が失われれば、貴様の首が飛ぶと思え!!」
「ハ、ハハァッ!! 承知いたしました!! 直ちに手配いたします!!」
セレスティが、魔王の異様な気迫(食欲)に押され、慌てて会議室を飛び出していった。
「……ふぅ。会議はここまでだ。解散!」
ゼノンは威厳たっぷりにマントを翻し、足早に自室へと戻っていった。
***
自室に戻り、重厚な扉を閉めた瞬間。
冷酷無比な魔王ゼノンは、ベッドにダイブして足をバタバタとさせた。
「やったぁぁぁぁっ!! ついに! ついに醤油が食えるかもしれないぞォォォッ!!」
田中太一(魔王)は、数十年ぶりの希望に涙を流していた。
「迷宮の底の転生者さん! 絶対に、絶対に俺と仲良くしてくれよ! お前のBBQに、俺も一口でいいから混ぜてくれぇぇぇッ!!」
かくして。
トウヤたちが迷宮の底で「極上肉」を追い求めてストイックな修練を積んでいる間に。
地上の「超人スパイ組織(ウー○ー)」の暗躍に釣られる形で、世界の裏側で引きこもっていた【平和主義の魔王(重度の日本食ロス)】までもが、トウヤの食卓(飯テロ)に引き寄せられて動き出してしまったのである。
大迷宮を中心に、人間、魔族、そして世界のあらゆる勢力が「極上飯」という一つのブラックホールに吸い込まれていく。
トウヤの非常識なスローライフは、彼が全く知らない間に、文字通り世界を一つに結びつける(狂わせる)巨大な渦となっていたのであった。




