第114話:羅針盤の異常点滅と、摩擦ゼロの氷風合宿(サイラス残留決定)
### 第114話:羅針盤の異常点滅と、摩擦ゼロの氷風合宿(サイラス残留決定)
『悠久の大迷宮』第57階層――『燐光の巨樹遺跡と忘れられた古庭園』。
セオリーから外れた遺跡の最奥で、見事【プラチナ反応】の超極上食材『エンシェント・ジェム・バッファロー(古代宝玉の猛牛)』を、一切のストレスを与えずに仕留めたトウヤたち。
その日の夜、遺跡の安全地帯で振る舞われた『究極のシャトーブリアン和風厚切りステーキ』は、彼らの語彙力を完全に奪い去るほどの暴力的な美味さであった。
「お肉が……歯茎で噛み切れますわ……!」とエリスが泣き崩れ、「大根おろしとポン酢が脂の甘みを無限に引き出しやがる!」とジンが白飯を三升平らげたのも、記憶に新しい。
そして翌朝。
極上の牛肉でステータスも気力も完全に回復した『悠久の踏破者』の六人と三匹は、次なる第58階層への扉の前に立っていた。
「いやー、昨日のシャトーブリアンはマジで大正解だったな! さて、後半戦もいよいよ大詰めが近づいてきたが……次はどんな極上肉が待ってるか!」
トウヤが期待に胸を膨らませながら、黒曜石の大扉の前で『天啓の美食羅針盤』を取り出した。
「羅針盤さん、今日も大当たりをお願いしますの!」
エリスが手を合わせる中、トウヤが魔力を流し込む。
……ピカッ、ギュルギュルギュルッ! チカチカチカッ!!
「……お?」
羅針盤の盤面が、突如として意味不明な挙動を始めた。
黄金色やプラチナ色の光が点灯したかと思えば、光の点が猛烈なスピードで盤面を乱高下し、さらには針が壊れたコンパスのようにグルグルと高速回転を始めたのである。
「おいおいトウヤの兄貴、羅針盤がバグったぞ!?」
ジンが目を丸くする。
「いや……壊れたわけじゃない。この光の純度は間違いなく極上食材の反応だ」
トウヤが、真剣な顔つきで盤面を睨みつけた。
「この異常な点滅と動き……第54階層の『狂乱空間』の時と同じパターンだ。次の第58階層は、物理的な強さじゃなく、環境そのものが【デタラメで理不尽なギミック】を持った『修練必須の階層』ってことだ」
その言葉に、大人組の顔がスッと引き締まった。
「なるほど。ただ剣を振るだけでは、お肉を不味くしてしまうどころか、こちらが手玉に取られるような厄介な環境ですわね」
「ああ。また俺たちの『環境適応能力』と『新しい連携』が試されるってわけだ」
ガレスも【太陽神の鏡盾】を構え直す。
トウヤは羅針盤をしまい、ポンッと手を叩いた。
「よし、方針決定だ。次の階層に入ったら、まずは安全地帯に拠点を張って、数日間の【環境適応&連携強化の特訓合宿】を行うぞ!」
「「「了解ッッ!!!!」」」
「……あ、そうだ。せっかく合宿するなら、あいつらも呼んでおくか」
トウヤがふと思いついたように、通信アーティファクトを取り出した。
「あいつらって、サイラス殿たちのことですか?」
マリアが小首を傾げる。
「ああ。あいつら、今じゃもう完全に俺たちの『専属デリバリー仲間』みたいなもんだろ? ここから先のデタラメな環境をあいつらが突破できなくなったら、俺たちに新しい調味料が届かなくて困るからな。ついでに合宿で鍛えてやろうぜ」
そう言って、トウヤはあっさりと地上のアルカディア王城へ通信を繋いだ。
***
『――おおっ! トウヤ殿! シャトーブリアンのお味はいかがであったか!?』
通信の向こうから、ヴィルヘルム国王の弾んだ声が響く。
「最高だったぜ! それはそうと陛下、ちょっと相談なんだけどよ。次の第58階層が、また一筋縄じゃいかないデタラメな環境っぽくてさ。数日そこで俺たちも合宿するから、サイラスたちの部隊もそのまま【合同修練】に参加させてもいいか?」
『…………え?』
ヴィルヘルムの息を呑む音が聞こえた。
「いや、サイラスたちがいねえと出前が頼めないからさ。あいつらも一緒に鍛えといた方が、今後の配達が安定するだろ?」
『と、トウヤ殿……! そ、それは真か!? あの神の領域の修練に、再び我が同盟の配達部隊を招き入れてくださるというのか!!?』
ヴィルヘルムの声が、歓喜で裏返っていた。
「おう。別に減るもんじゃねえし、みんなでやった方が楽しいからな。……あ、でも無理にとは言わねえぞ? 国の任務とかあるなら……」
『あるわけがなかろう!!』
ガルド宰相の怒鳴り声のような歓喜の絶叫が通信機越しに響いた。
『サイラスたちの修練以上の国家任務など、この世に存在せん! すぐに! すぐにサイラスたちを向かわせるゆえ、どうか、どうか奴らを限界まで扱き使ってやってくだされ!!』
「お、おう。分かった。じゃあ、出前の品を持ってきたらそのまま合流ってことで」
プツッ。
通信を切ったトウヤは、「なんか地上のおっさんたち、サイラスの育成にすっげえ熱心だな」と首を傾げた。
トウヤは知らない。この瞬間、地上の王たちが「また我が国の武力(抑止力)が次元を超えてしまう!」と狂喜乱舞し、他国への圧倒的優位を確信して祝杯を上げていることなど。
彼にとってサイラスたちは、ただの【便利で気のいいウー〇ーの兄ちゃんたち】でしかないのだ。
「よし! 許可も取れたし、まずは俺たちで環境の確認に行くぞ!」
バンッ!!
トウヤが、第58階層の扉を勢いよく押し開けた。
――ツルッ、ドゴォォォォンッ!!
「「「えっ!?」」」
扉に足を踏み入れた瞬間。先頭を歩いていたガレスの巨体が、まるで氷の上を滑る石のように、一切の摩擦を感じさせずに猛スピードでカッ飛び、遠くの氷壁に激突した。
「ガレス様!?」
「ピィィッ!?(兄貴、風が強すぎて飛べないよぉ!)」
第58階層――『無摩擦の鏡面氷湖と超音速の烈風峡谷』。
そこは、床も壁も全てが「摩擦係数ゼロ」の鏡のような氷で覆われており、さらに峡谷の間を『超音速の暴風』がランダムに吹き荒れるという、歩くことすら不可能な究極のスリップ・フィールドであった。
「ワゥッ!」
クロが四つ足で踏ん張ろうとするが、爪が全く引っかからず、ツルツルと横滑りしていく。リルに至っては、風に吹かれてエアホッケーのパックのように超高速で壁をカンカンと反射しまくっていた。
「うおぉぉっ!? なんだこの床! ツルッツルどころの騒ぎじゃねえ! 【次元歩行の靴】の魔力足場すら滑りやがる!」
ジンが必死に空中でバランスを取るが、暴風に煽られて錐揉み回転してしまう。
「……なるほど、羅針盤が高速で乱高下してたのはこのせいか」
トウヤは、扉の縁に必死にしがみつきながら【神眼の指揮】を発動した。
「おいお前ら! あの超音速の風に乗って滑空してる巨大な平べったい影を見ろ!」
「えっ!? ……あ、あれはエイですか!?」
エリスが、風に飛ばされそうになりながら大剣を氷に突き立てて(それでも少し滑りながら)叫ぶ。
「そうだ! 『ソニック・スライダー・マンタ(超音速滑走エイ)』だ! 摩擦ゼロの氷と超音速の風を利用して、マッハの速度で移動しやがる! だが、その極限の運動量のおかげで、あいつのヒレの部分は『究極の弾力と脂を併せ持つ神話級のエンガワ』に進化してるぞォォォッ!!」
「「「神話級の、エンガワァァァッ!!!」」」
「さらに! あの氷の壁に張り付いてる二枚貝! 『ジェット・ストリーム・スキャロップ(噴射帆立)』だ! 風に飛ばされないよう強力な貝柱を持っている上に、風を吸い込んでジェット噴射で逃げ回る! あの貝柱をバター醤油で焼いたら、脳髄が溶けるほど美味い『奇跡の極厚ホタテステーキ』になるぞォォォッ!!」
「「「極厚ホタテステーキィィィッ!!!!」」」
摩擦ゼロの地獄の環境すら、彼らにとっては「極上の寿司ネタと海鮮BBQの産地」でしかない。
「エンガワ! 炙りエンガワのお寿司ですわぁぁッ!」
「ヒャッハー!! ホタテのバター焼きだ! 酒が無限に飲める環境だぜェェッ!!」
ツルツルと滑りながらも、彼らの目に強烈な食欲の炎が宿った、その時である。
「――お、お届けに上がりまし……うわぁぁぁぁっ!?」
背後の扉から、サイラス率いる『深淵の配達部隊』の三十名が飛び込んできた。
彼らは第54階層の合宿で重力異常には適応していたが、「摩擦ゼロ+超音速の風」という初見殺しのギミックには対応しきれず、入った瞬間に全員がツルツルと滑って見事なドミノ倒しになった。
ズサーーーーーッ!!
三十名が綺麗に一塊になって氷の床を滑っていき、トウヤたちの足元で「ガンッ!」と衝突して停止した。
「い、痛てて……。と、トウヤ殿、申し訳ありません、お見苦しいところを……」
サイラスが、目を回しながらも、背中の保温ボックスだけは絶対に氷にぶつけないという【配達員の矜持】を見せて片手で高々と掲げていた。
「おお! サイラス、無事か! お疲れさん!」
トウヤが滑りながら近づき、ボックスを受け取る。
「今回の出前はなんだ?」
「ハッ! オロス連盟が総力を挙げて探し出した『幻の生わさび』と『極上・琥珀ポン酢』であります! ……一滴も、こぼしておりません!」
「最高じゃねえか!! エンガワとホタテにこれ以上ないベストマッチだ!!」
トウヤが歓喜の声を上げる。
「よしお前ら!! サイラスたちも到着したことだし、早速【摩擦ゼロ・超音速ブレーキ合宿】の開始だ! 荷物を降ろして武器を構えろ! あのマッハで飛んでるエンガワとホタテを、肉に傷をつけずに空中でキャッチする連携を編み出すぞ!!」
「「「了解ッッ!!!!」」」
トウヤの号令に、ジンやエリスだけでなく、サイラスたち配達部隊の三十名も瞳に狂気的な炎を宿して一斉に立ち上がった(そして三秒後にまたツルッと滑って転んだ)。
「クソッ! 配達ルート(氷の床)に足を取られるなど、隠密の恥! 絶対に適応してみせます!!」
サイラスが、何度も転びながら重心のコントロールを模索し始める。
かくして。
大迷宮の第58階層にて、世界最強のキャンパーたちと、彼らを「絶対に美味い飯にありつかせる」という執念で結ばれた最強の物流部隊による、壮絶なスケート&空中制動合宿が幕を開けた。
極上のエンガワ寿司とホタテのバター醤油焼きを目標に、彼らの予測と身体能力は、摩擦という物理法則すらも置き去りにして、さらなるバケモノの領域へと足を踏み入れていくのであった。




