第112話:地上の杞憂と、久々のハズレ階層(物理開拓スピードラン)
### 第112話:地上の杞憂と、久々のハズレ階層(物理開拓スピードラン)
『悠久の大迷宮』第55階層――『灼熱の間欠泉峡谷と蒸気霧の神殿』。
中ボスである『深淵の間欠泉大王蟹』を一切の旨味を逃さずに討伐し、極上のタラバ蟹フルコースを満喫したトウヤたち『悠久の踏破者』の六人と三匹。
彼らが甲羅酒(蟹味噌を溶かした極上の熱燗)をあおり、「いやー、55階層も美味かったなー」と腹をさすりながらリラックスしていたその時。
拠点のテーブルに置いてあった通信アーティファクトが、けたたましい音を立てて鳴り響いた。
「ん? なんだ? サイラスの奴、地上に着いた途端に忘れ物でもしたか?」
トウヤがのんきに通信機を取る。
『――ト、トウヤ殿! ご無事か!? 食事は……食事は邪魔されなかったか!?』
通信機の向こうから響いてきたのは、アルカディア国王ヴィルヘルムと、サイラスの焦燥と興奮の入り交じった声であった。
「おう、陛下。無事も何も、今ちょうど極上のタラバ蟹を食い終わって、温泉(大浴場)に入ろうかってとこだぞ。どうかしたか?」
『おおおおっ……! 間に合った! 我々の害虫駆除は間に合ったのだな!!』
通信機の奥で、ガルド宰相や同盟国の重鎮たちが「万歳!!」と泣き叫んで喜ぶ声が聞こえる。
サイラスが、少し誇らしげな声で報告を引き継いだ。
『トウヤ殿。実は、絶対中立を謳っていたガルミアという国の愚か者どもが、貴方様のデリバリー・ルートを奪い、貴方様を捕縛しようと五百名の精鋭騎士を迷宮へ侵入させていたのです! ですがご安心を! 我々配達部隊が浅層にて待ち伏せし、五百名全員を三分で処理(無力化)いたしました!! これで皆様の食卓は安泰です!!』
「……えっ?」
トウヤは、手にした蟹の脚を持ったまま、ポカンと口を開けた。
エリスやジンたちも、「ガルミア?」「五百人の騎士?」と首を傾げている。
「いや、サイラス……。そりゃあわざわざ警備してくれたのはありがたいけどさ。別に放っておいても良かったんじゃないか?」
『な、なんと!?』
通信機の向こうのヴィルヘルム国王が驚愕する。
『五百名の精鋭騎士だぞ!? 万が一にも彼らがそちらへ辿り着き、トウヤ殿たちの食事に泥靴で踏み入ったり、騒音を立てたりしたら……!』
「いやいや、そもそも俺たち、今【第55階層】にいるんだぞ?」
トウヤが苦笑しながら答える。
「ついさっきまで、狂った重力で空間をテレポートする海老と戦って、今は超高温の間欠泉が吹き荒れるスチームサウナの中にいるんだ。……地上の普通の騎士が五百人来たところで、俺たちのところまで辿り着けるわけないだろ? たぶん、第20階層の猛毒沼か、第25階層の溶岩で全滅してるぜ」
『――――あ。』
通信機の向こう側が、水を打ったように静まり返った。
「わざわざ俺たちの食卓の心配をしてくれたのは嬉しいけどよ、そんな過保護にならなくても、そもそも【この深層に潜れるのは、俺たちのパーティーと、お前らみたいなバケモノ配達員(ウー〇ー)だけ】なんだからさ。地上の軍隊なんて、迷宮の環境の前じゃただの散歩客だろ」
『そ、それは……!』
ヴィルヘルムとサイラスは、ハッとして顔を見合わせた。
彼らは「トウヤたちの食事を邪魔されてはならない」という強迫観念に駆られすぎて、冷静な判断力(迷宮の環境のヤバさ)を完全に失っていたのだ。
『た、確かに……! トウヤ殿の仰る通りです。……普通の人間は、浅層のモンスターにすら苦戦するのですから、50階層の狂乱空間など到達不可能ですな……』
サイラスが、自らの杞憂に気づいて乾いた笑いを漏らす。
「ガッハッハ! 全く、地上の王様たちは心配性だな!」
ガレスが横から口を挟む。
「まあ、お前たちが俺たちのスローライフを守ろうとしてくれた気持ちはありがたく受け取っておくぜ! 安心してこっちは任せておけ!」
『は、ハハハ……。恐縮です。では、我々は大人しく次のデリバリー品の準備を進めておきます……』
通信が切れ、トウヤたちは「地上も色々と大変だなー」と呑気に笑い合いながら、第55階層での一晩を平和に過ごした。
***
翌朝。
タラバ蟹の雑炊で完璧な朝食を済ませた一行は、次なる第56階層の黒曜石の大扉の前へとやってきた。
「さて! 53階層が繊細な縛りプレイ、54階層がデタラメ空間、55階層が視界ゼロのタラバ蟹と、ここ最近は一筋縄じゃいかない当たり階層(極上食材)が連続したからな! 次は何が来るか!」
トウヤが期待に胸を膨らませながら『天啓の美食羅針盤』を取り出す。
……チカッ、チカッ。
盤面には、次の階段を示す『青い矢印』だけが虚しく点滅し、黄金色やプラチナ色の光は一切現れなかった。
「…………はい、解散。久々の【完全なハズレ階層】だ」
トウヤが、数秒で羅針盤を懐にしまった。
「ちぇーっ。まあ、最近立て続けに極上食材を食いまくってたから、たまにはこういう箸休め(ハズレ)もないとな」
ジンが、肩をすくめながら双短剣を抜く。
「ええ! むしろ好都合ですわ!」
エリスが、嬉々とした表情で『竜殺しの重剣』を構えた。
「ここ数階層、お肉を傷つけないための【寸止め】や【サイレント・ハント】ばかりで、思いっきり剣を振り回せていませんでしたの! ストレス発散にはちょうどいいですわ!」
「ガッハッハ! 全く同感だ! たまには何も考えずに爆炎をぶっ放したかったところだぜ!」
ガレスも【太陽神の鏡盾】をバシンと叩く。
トウヤは笑いながら、扉の向こうの環境確認(プラン策定)を行う。
「よし、それじゃあまずは扉を開けて環境の確認だ。猛毒やデタラメな迷路じゃなければ、作戦はいつも通りの【最短コース・物理開拓スピードラン】で行くぞ!」
ギギギギギギ……ッ!!
扉を押し開けると、そこに広がっていたのは――。
第56階層――『灰燼と慟哭の骸骨峡谷』。
見渡す限りの灰色の荒野。空はどんよりとした鉛色で、地面からは無数の白骨が突き出している。そして、荒野を徘徊しているのは、巨大な骨の竜や、四本腕の骸骨剣士などのアンデッドモンスターの群れであった。
「……うん、食欲をそそる要素がマイナス100%だな」
トウヤが嫌そうな顔をする。
「カルシウムは足りてるからな。骨のダシ(豚骨など)ならともかく、魔物の骨じゃ美味いスープも取れねえ」
「ピィィッ!(兄貴、お肉の匂い、全っ然しないよ!)」
上空に飛び立ったクーも、羽をパタパタさせて不満そうに報告する。
「よし! 環境はただの荒野! 魔物は食えない骨の塊! ならば遠慮はいらねえな!」
トウヤが【神斬りの業物】を抜き放ち、高らかに宣言した。
「作戦開始だ! 羅針盤の青い矢印に向かって、一直線に駆け抜けろ! 邪魔な骨どもは、全部粉々にすり潰して進めェェェッ!!」
「「「ヒャッハー!! ゴミ掃除の時間だァァァッ!!」」」
その瞬間、美食家たちの【溜まりに溜まった鬱憤(手加減なしのフルパワー)】が解放された。
「どきなさい! 食べられない魔物に用はありませんわ!! 【渾身撃・超極大・星砕き】!!」
ドゴォォォォォォォォォンッッ!!!!
エリスの大剣から放たれたマグマの闘気が、肉を労わるための「寸止め」を完全に解除した状態(本来の威力)で放たれ、前方を塞いでいたボーン・ドラゴンの群れを、峡谷の岩肌ごと『物理的に消し飛ばした』。
「ハハハハッ! 肉質を気にせず爆破できるって最高だな! 【魔力城塞・超絶光熱爆破】!!」
ガレスの盾から太陽のような極大の爆炎が放たれ、灰色の荒野が文字通り焦土と化していく。
「ルミナ! マリア! 鮮度を気にする必要はねえ! 最大火力で浄化しろ!」
「「了解です! 塵一つ残さず消し去ります!! 【ホーリー・アブソリュート・バースト(殲滅モード)】!!」」
カッ――――!!!!
アンデッドにとって絶対的な天敵である聖属性と絶対零度の融合魔法が、広大な峡谷を純白の光で染め上げ、数千体の骸骨兵士たちを一瞬にして光の粒子へと還元した。
彼らはここ数階層、「いかに食材にストレスを与えないか」「いかに無振動で歩くか」という異常な縛りプレイの中で戦闘技術を極限まで研ぎ澄ませていた。
その結果、彼らが【一切の手加減なしのスピードラン】を行った時の破壊力と進軍速度は、もはや「神々の理不尽な散歩」と呼ぶべき次元に達していた。
「ワゥォォォンッ!!」
クロが影の刃で残った骨を粉砕し、リルが「プルルッ!」と嬉しそうに骨の粉を掃除していく。
「(……あの地上の精鋭騎士五百人がここに到達したとしても、扉を開けた瞬間にこのボーン・ドラゴンに骨までしゃぶられて終わりだったろうな)」
トウヤは、後方で悠々とアイテムボックスの整理をしながら、地上の王たちとの会話を思い出して一人で苦笑した。
一切の立ち止まりもなく、ただ一直線に破壊の限りを尽くした彼らは、広大な第56階層をわずか『十数分』という、50階層台とは思えない異常なタイムで走破した。
ボスの大部屋に鎮座していた階層主――『ギガント・デス・エンペラー(巨大な骸骨王)』すらも、「あ、肉ないんでパスで」というトウヤの一言により、エリスとジンの連携によってわずか三秒で頭蓋骨を粉砕され、悲鳴を上げる間もなく消滅した。
「よし! お掃除完了! 次行くぞ次!」
「ふぅーっ! いい汗かきましたわ! さあ、次の階層の美味しいご飯が待ち遠しいですの!」
地上の国家間のドロドロとした権力闘争や、愚か者たちの野心など。
この大迷宮の底を「美味しいご飯」のためだけに蹂躙する最強の美食家たちにとっては、文字通り『どうでもいい杞憂』でしかない。
久々のハズレ階層で鬱憤を晴らし、完璧なウォーミングアップを終えた『悠久の踏破者』たち。
彼らは再び羅針盤を握りしめ、さらなる極上食材を求めて、意気揚々と第57階層の扉を開け放つのであった。




