第107話:狂乱空間の特訓合宿と、深淵の配達員(ウー〇ー)たちの挫折と志願
### 第107話:狂乱空間の特訓合宿と、深淵の配達員(ウー〇ー)たちの挫折と志願
『悠久の大迷宮』第54階層――『位相の狂った幻影の湖と逆さ滝』。
天地が逆転し、重力の方向がバラバラに入り乱れ、空中の水球を巨大な透明烏賊や次元海老がテレポートしながら泳ぎ回るという、三半規管と空間認識能力を徹底的に破壊する狂気の環境。
前日、クーの生体レーダーとジンの予測置き斬り、そしてクロの影縫いという「新たな連携」によって、見事『ファントム・クリア・スクイッド』と『ディメンション・オマール』を捕獲したトウヤたち。
一晩明けた【星の箱庭】のテラスでは、朝から残りのエビフライをパンに挟んだ「極厚エビカツサンド」が振る舞われ、メンバーは至福の朝食タイムを満喫していた。
「いやー、朝からエビカツサンドは重いかと思ったが、自家製タルタルソースの酸味のおかげで無限に食えちまうな!」
トウヤが、大きく口を開けてサクサクのサンドイッチに噛みつく。
「んんんっ! パンのフワフワ感とエビのブリンッとした弾力が、お口の中で最高のハーモニーを奏でていますわ!」
エリスも、朝から三つ目のエビカツサンドをペロリと平らげていた。
しかし、食後のコーヒー(無限発酵蔵の特製ブレンド)を啜りながら、トウヤは幻影の湖を見つめて真剣な表情を浮かべた。
「……なぁ、お前ら。昨日はなんとかイカと海老を確保できたが、正直言ってかなりギリギリだったよな」
その言葉に、ジンとエリス、ガレスの顔からもスッと笑みが消え、真面目な探索者の顔つきに戻る。
「ああ。俺の直感と神速が、あそこまで完全にスカされたのは初めてだった。クーの指示がなきゃ、今頃まだ空振りを続けてたぜ」
ジンが、自身の双短剣を見つめて舌打ちをする。
「私もですわ。空間の裏側に逃げられると、私の大剣ではどうしようもありませんでしたの」
トウヤは深く頷いた。
「50階層の折り返しを過ぎてから、明らかに迷宮の性質が変わってきてる。53階層の『音と振動を出せないサイレント・ハント』、そしてこの54階層の『視覚と直感がアテにならない狂乱空間』……。ただレベルを上げて物理で殴るだけじゃ、絶対に極上食材の鮮度を保てない」
トウヤの【神眼の指揮】は、食材の解析には絶対的な力を持つが、それらを「どうやって傷つけずに狩るか」はメンバーの技量と連携にかかっている。
「これから先の後半戦……60階層、70階層と進めば、もっと理不尽でデタラメな環境や、予想もつかないギミックを持った食材が現れるはずだ。その時に『対応できませんでした、お肉がマズくなりました』じゃ済まされない」
「……トウヤさんの言う通りです。では、どうしますか?」
マリアが、リルを撫でながら静かに尋ねる。
「決まってる。ここ(第54階層)でしばらく足止めだ」
トウヤが、力強く宣言した。
「この三半規管を狂わせるデタラメな環境と、テレポートを使う魔物たちは、俺たちの『空間認識能力』と『予測の上を行く連携』を鍛えるための最高の修行相手だ! 今日から数日間、ここで徹底的に新しい連携の模索と、環境への適応訓練を行うぞ!!」
「「「うおおおおおッ!! 全ては極上飯のために!!」」」
美食家たちの間に、再び熱い修練の炎が燃え上がった。
***
そこからの数日間、第54階層は『悠久の踏破者』たちによる壮絶な実験場と化した。
「ジン! クーの指示だけに頼るな! 空間の魔力波紋を肌で感じ取れ!」
「分かってる! 【魔力感知】と【直感】の融合……そこだッ!!」
ジンは目隠しをし、視覚を完全に遮断した状態で水球から水球へ飛び移り、テレポートの予兆となるわずかな空間の歪みを捉える訓練を繰り返した。
「エリス、ガレス! お前たちも脳筋戦法から脱却しろ! 環境を利用するんだ!」
「ガッハッハ! ならばこうだ! 【太陽神の鏡盾・乱反射】!!」
ガレスが盾の光を湖面に乱反射させ、蜃気楼を強制的に解除して魔物の実体を炙り出す。
「見えましたわ! 空間の裏側に逃げる前に、その入り口ごと叩き潰します! 【渾身撃・次元封じ】!」
エリスの大剣が、オマール海老が逃げ込もうとした空間の亀裂そのものを『物理的に』叩き割り、退路を断つ。
「ルミナ、マリア! 魔法の展開速度を上げろ!」
「「空間の歪みを逆算して、出現位置にあらかじめ結界と氷結を置きます!」」
クロは影を自在に操って空間の歪みを縫い止め、リルは逆さ滝の水圧を利用して空中の浄化(掃除)を行う。
彼らはこの狂った位相の空間にみるみるうちに適応し、予測のさらに予測を行って獲物を追い詰める、次元を超えた『超高度連携』を確立しつつあった。
――そんな、訓練の真っ最中のことである。
「……ト、トウヤ、殿ぉぉぉ……」
逆さ滝の向こう側から、まるで幽霊のような、今にも消え入りそうな声が響いてきた。
「ん? あの声、サイラスか?」
トウヤたちが動きを止め、声の方向を見る。
そこに現れたのは、帝国最強の特級隠密部隊『影歩く者』の隊長サイラスと、彼が率いる第一から第三までの総勢三十名の配達部隊(深淵のウー〇ー)たちであった。
だが、その様子は完全に「異常」であった。
「おぇぇぇぇぇっ……」
「た、隊長……地面が、地面が空にあります……」
「私の足はどこだ……? なぜ水が上に落ちていくんだ……」
三十名の屈強な精鋭たちが、全員顔面を青ざめさせ、足元をフラフラとよろめかせながら、今にも吐きそうな顔でゲッソリと倒れ込んでいたのである。
彼らの背中には、厳重に梱包された魔法の保温ボックスがしっかりと背負われているが、彼ら自身の三半規管は完全に崩壊していた。
「サ、サイラス!? 大丈夫かお前ら!?」
トウヤが慌てて駆け寄る。マリアがすかさず【大いなる慈愛の光】で彼らの状態異常(極度の乗り物酔いと空間認識障害)を回復させる。
「ハァ……ハァ……っ、かたじけない、マリア殿……」
サイラスが、膝をついたまま荒い息を吐いた。
「……第十六回・デリバリー任務……。地上から『幻の純米酢』と『特級・深海昆布』をお持ちしました。……荷物は、一滴もこぼしておりません……」
「お、おう。ありがとう。……つーか、お前らその状態でよく荷物を無傷で運べたな」
トウヤは、彼らの「配達員としての異常な執念」に呆れ半分、感心半分でボックスを受け取った。
サイラスは悔しそうに拳を握りしめ、地面(この場所では少し傾いている)を叩いた。
「……不覚です。我々の【完全無振動歩法】は、重力や足場が安定している環境でこそ最強の隠密術。しかし……この天地が逆転し、重力の方向がバラバラに歪む第54階層では、歩法の重心移動が完全に狂わされてしまった……!」
サイラスの言葉に、後ろの新人配達員たちも悔し涙を流す。
彼らはこれまで、どんな猛毒や灼熱の階層でも、次元歩行の靴を使って神速で駆け抜けてきた。しかし、この「空間そのものが狂っている階層」は、彼らの培ってきた体幹バランスを根本から否定する地獄の環境だったのだ。
「……トウヤ殿」
サイラスが、ふらつく足で立ち上がり、トウヤの前に深々と頭を下げた。
「誠に、誠に無念ですが……。我々『深淵の配達部隊』は、現在の力量ではこの第54階層を安定して突破することができません。このままでは、いずれ荷物を破損させるか、魔物に後れを取るでしょう」
「……サイラス」
「つきましては! 我々の配達業務を、いっとき【延期(休業)】させていただきたい! そして……どうか、我々三十名全員を、この第54階層での『適応訓練』に参加させてはいただけないでしょうか!!」
サイラスの悲壮な決意。
それは、帝国最高のエリートスパイとしてのプライドを完全に捨て去り、「どんな環境だろうと絶対に極上飯の配達を成功させる」という、究極の配達員としての意地であった。
「俺たちもお願いします! このままじゃ、60階層の配達なんて夢のまた夢です!」
「あの極上のおこぼれ(逆デリバリー)を逃したくありません!! 訓練させてください!!」
三十名の精鋭たちが、次々とトウヤの前に土下座する。
トウヤは、彼らの熱意(食欲)に圧倒されながらも、ニカッと笑ってサイラスの肩を叩いた。
「なんだ、そんなことか! もちろんオッケーだぜ!!」
「トウヤ殿……!」
「そもそも俺たちだって、この狂った環境に慣れるために合宿してる最中なんだ。一緒に訓練した方が、お互いの動きをカバーし合えて効率がいい! それに、お前らがいねえと新しい調味料が届かなくて俺が困るからな!」
トウヤが振り返り、仲間たちに指示を出す。
「よし! 今日からしばらく、サイラスたち配達部隊との【合同・三半規管破壊&適応合宿】だ! お前ら、配達員の兄ちゃんたちに俺たちの新しい連携を叩き込んでやれ!!」
「「「了解ッッ!!!!」」」
「……感謝いたします、トウヤ殿!! 我々も死に物狂いで食らいつきます!!」
サイラスたちが、瞳に炎を宿して立ち上がる。
「おう! しっかり訓練して腹空かせろよ! 夜は、お前らが持ってきてくれた『幻の純米酢』と『深海昆布』を使って、透明イカと次元海老の【極上・特大握り寿司パーティー】をやるからな!!」
「「「す、寿司ィィィィッ!!? うおおおおおおおおっ!!!!」」」
「握り寿司」という未知の(しかし絶対に美味いと確信できる)キラーワードを聞いた瞬間。配達部隊のメンバーたちの三半規管の不調は完全に吹き飛び、彼らのステータスは「極度飢餓(モチベーションMAX)」へと書き換えられた。
かくして。
天地が逆転し、滝が空へ昇る狂乱の第54階層にて。
世界最強のキャンパー(美食家)たちと、世界最強のデリバリー業者たちによる、前代未聞の合同特訓合宿が幕を開けた。
空間の歪みすらも「寿司を美味く食うためのスパイス」として消費する彼らの執念は、大迷宮の理不尽な環境を、ただの【巨大なアスレチック(調理場)】へと変貌させていくのであった。




