第106話:デタラメ空間の鬼ごっこと、予測斬りで仕留める海鮮フルコース
『悠久の大迷宮』第53階層――『硝子細工の共鳴迷宮と水晶の神獣』。
極度の緊張感の中、壁一つ傷つけない「極限のサイレント・ハント」を見事完遂したトウヤたち『悠久の踏破者』の六人と三匹。
彼らは究極の鹿肉のステーキと、無限発酵蔵の赤ワインを心ゆくまで堪能し、翌朝には完全なる満足感と共に次なる階層への扉の前に立っていた。
「いやー、昨日の鹿肉は本当に神がかってたな! 縛りプレイで苦労した甲斐があったぜ!」
トウヤが、大きく伸びをしながら快活に笑う。
「ええ! あれほど柔らかくて上品なお肉、地上のどんな王宮でも絶対に食べられませんわ!」
エリスも、昨晩の味を思い出してうっとりと頬を押さえる。
「さて、53階層が極限の繊細さを求められる迷宮だったが、次は何が来るか……。羅針盤、頼むぞ!」
トウヤが懐から『天啓の美食羅針盤』を取り出し、第54階層への黒曜石の大扉の前で魔力を流し込んだ。
……ピカッ、チカチカッ、フワッ。
「……ん?」
盤面を覗き込んだトウヤが、不思議そうに首を傾げた。
「どうしたんだ、トウヤの兄貴? ハズレか?」
ジンが横から覗き込む。
羅針盤の盤面には、極上食材を示す『黄金色の光』が確かに存在していた。
しかし、その動きが異常であった。黄金の光は一つ現れたかと思えば、瞬時に五つに分身し、次の瞬間には盤面の端から端へと瞬間移動し、チカチカと明滅を繰り返しているのだ。
「羅針盤が壊れたのか……? いや、違う」
トウヤが、鋭い目で盤面を睨みつける。
「光の純度は間違いなく一級品の極上食材だ。だが、この異常な動き……どうやら次の階層の獲物は、物理的な足の速さじゃなく『空間的にデタラメな動き』をするバケモノらしい」
「空間的にデタラメ……? 厄介そうですわね」
エリスが『竜殺しの重剣』の柄を撫でる。
「厄介だが、美味いことは確定してる! 何が来ようと、俺たちの食欲(執念)で捕まえてやるさ!」
トウヤがニヤリと笑い、力強く大扉を押し開けた。
――その瞬間。彼らの三半規管を、強烈な目眩が襲った。
「うわっ!? なんだここ……!」
第54階層――『位相の狂った幻影の湖と逆さ滝』。
そこに広がっていたのは、天地の理が完全に崩壊した狂気の世界であった。
足元には鏡のように澄み切った巨大な湖が広がっているが、空を見上げれば、そこにも「逆さまの湖」が波打っている。水面からは空に向かって滝が『逆流』し、空中には大小様々な水の球がフワフワと無重力のように浮遊していた。
重力の方向すら場所によってバラバラで、景色そのものが蜃気楼のようにグニャグニャと歪んで見える。
「ピィィッ……!(兄貴、お空と地面がぐるぐるしてて気持ち悪いよぉ……!)」
トウヤの頭上のクーが、目を回してペタンとへたり込む。
「ワゥ……」
クロも、自分の影が複数の方向に伸びているのを見て警戒の唸り声を上げた。
「こ、これはまた……とんでもなく一筋縄ではいかない環境が来ましたね……」
マリアが、空へ向かって落ちていく(?)水滴を見上げて絶句する。
だが、トウヤの【神眼の指揮】は、空間の歪みの奥で蠢く『極上の被写体』を完全に捉えていた。
「おい、お前らァァァッ!! 環境の悪さにビビってる場合じゃねえぞ!!」
トウヤの歓喜の絶叫が、幻影の湖に響く。
「あの空中の水球の中を泳いでる透明な影! あれは『ファントム・クリア・スクイッド(幻影の透明大烏賊)』だ! 空間の狭間を泳ぐことで極限まで身が引き締まり、その透明な身は噛めば噛むほど信じられない甘みが溢れ出す『究極のイカ刺し』になる!!」
「「「きゅ、究極の、イカ刺しィィィッ!!!」」」
「さらに! あの湖の底から空に向かって跳躍してる巨大な海老! 『ディメンション・オマール(次元大王海老)』だ! 激しい次元跳躍の負荷に耐えるために発達したその極太の尻尾の身は、プリップリの次元を超えた弾力! サイラスたちが届けてくれた特級パン粉で『神話級の極太エビフライ』にすれば、サクサクの衣の中から濃厚なエビ汁が爆発するぞォォォッ!!」
「「「神話級の、極太エビフライィィィッ!!!!」」」
イカ刺しとエビフライ。
その魅惑のワードを聞いた瞬間、メンバーの三半規管の不快感など完全に消え去り、瞳に食欲の炎が点火された。
「エビフライ!! タルタルソースをたっぷりかけていただきますわぁぁッ!!」
「ヒャッハー!! イカ刺しだ! 生姜醤油で無限に酒が飲めるぜェェッ!!」
大人組(エリス、ジン、ガレス)が、ヨダレを撒き散らしながら武器を構える。
「よし! 【次元歩行の靴】起動! 空間が歪んでようが関係ねえ、全部捕まえて美味しくいただくぞ!!」
六人と三匹が、狂った位相の空間へと一斉に飛び出した。
――しかし、この階層の生態系は、彼らの想像を遥かに超える「獲りづらさ」であった。
「あの巨大イカ、もらったぜ! 【直感回避・神速・触手斬り】!!」
ジンが空中の水球へ向かって飛び込み、透明なイカの急所へ双剣を突き立てる。
スカッ。
「……あ!?」
ジンの刃は、イカの体を『すり抜けた』。いや、正確には、そこにあったのはイカの「幻影」であった。
「ギョロロロッ!」
十メートル離れた別の水球から、本物のイカがジンを嘲笑うように墨を吐き出し、再び『シュンッ!』と音を立ててテレポートで消え去った。
「なっ……テレポートに幻影だと!? 俺の直感がブレまくって、本物の位置が掴めねえ!!」
百発百中を誇るジンの直感レーダーが、空間の歪みと次元跳躍の前に完全に狂わされていた。
「イカがダメなら海老ですわ! そこのエビフライ候補、覚悟なさい! 【渾身撃・オーバードライブ】!」
エリスが、湖から飛び出してきた次元オマール海老に向かって重剣を振り下ろす。
しかし、海老は尻尾を弾いた瞬間に『空間の亀裂』へと滑り込み、エリスの剣は空しく湖面を叩き割るだけであった。
「も、潜られましたわ!? 空間の裏側に逃げるなんて卑怯ですの!!」
「くそっ、爆炎で一網打尽にしてやる! 【超極大光熱爆破】!!」
ガレスの放った爆炎も、重力の歪みによって軌道を急カーブさせられ、明後日の方向(空の滝)へと飛んでいってしまう。
「……マジかよ」
トウヤが、空振りし続ける仲間たちを見て冷や汗を流した。
「こいつら、戦闘力は皆無だが『逃げ隠れする能力』だけなら間違いなく100階層クラスだ……! このままじゃ、イカ刺しもエビフライもお預けになっちまう!」
「ト、トウヤさん! どうしましょう!? 私の結界も、テレポートされると閉じ込められません!」
マリアも焦った声を上げる。
美食家たちにとって、「目の前に極上の食材があるのに捕まえられない」という状況は、どんな強力なボスと戦うよりもストレスが溜まる地獄である。
「落ち着け! 何か、何かしら法則があるはずだ……!」
トウヤは、深呼吸して【神眼の指揮】の視界を極限まで広げた。
幻影、テレポート、空間の歪み。
視覚と直感がアテにならないなら、どうする?
『ワゥッ!!』
その時。足場の岩に張り付いていたクロが、鋭い声で吠え、虚空に向かって飛びかかった。
クロの爪が、何もない空中の「空間の歪み」を切り裂く。
「ギチッ!?」
すると、そこから次元の裏側に隠れていた『次元オマール海老』が、ポロッと実体を現して水球に落ちたのだ。
「……そうか!! クロ、ナイスだ!!」
トウヤの頭に、電流のような閃きが走った。
「お前ら! 目視や直感で追うな! 奴らが幻影を作り出し、空間を跳躍しても……【影】と【魔力の波紋】だけは嘘をつけないんだ!!」
トウヤが、仲間たちに新たな「狩りのフォーメーション」を指示する。
「クー! 上空から『魔力溜まり(テレポートの予兆)』を念話でジンに伝えろ! ジンはクーの指示通りに、敵が現れる【0.1秒前の空間】へ刃を置け!」
「ピィィッ!(分かった! あそこの水球の裏、来るよ!)」
「おうッ! 予測置き斬りだな! 【幻影歩法・先読みの刃】!!」
クーの生体レーダーとジンの神速が合わさった瞬間。
シュンッ! とテレポートで出現した透明なイカが、自らジンの双短剣に「当たりに行く」形となり、ピクッと痙攣して動きを止めた。
「エリス! 次元海老の潜伏場所は、クロに【影】を辿らせろ! 空間の裏側にいようが、この階層の光が当たる限り、必ずどこかに『不自然な影』ができるはずだ!」
「ワゥォォンッ!」
クロが、湖面に映る奇妙な影の歪みに向かって『影縫い』を放つ。
「ギチチッ!?」
影を固定され、次元跳躍を封じられたオマール海老が水面に引きずり出される。
「逃がしませんわ! お肉を傷つけずに気絶させます! 【渾身撃・峰打ち・脳天落とし】!」
エリスの正確無比な一撃が、海老の硬い甲殻越しに脳を揺らし、一撃でノックアウトする。
「ルミナ、マリア! 空間ごとパッケージングだ!」
「「はいっ! 【絶対浄化・空間氷結】!!」」
ついに、彼らの完璧な連携が、デタラメな空間の理をねじ伏せた。
「よぉーし!! イカと海老、第一号確保ォォォッ!!」
トウヤがアイテムボックスに獲物を収納し、歓喜の声を上げる。
「ガッハッハ! コツさえ掴めばこっちのもんだぜ!」
「ヒャッハー! エビフライ! イカ刺し! 全部狩り尽くしてやる!!」
三匹のテイムモンスター(クロ、クー)の索敵能力を限界まで引き出し、空間の歪みすらも「読み合い」のゲームに変えた『悠久の踏破者』たち。
彼らはその後も、重力が乱高下し、滝が逆流する蜃気楼の砂海を文字通り縦横無尽に飛び回り、次元を逃げ回る極上食材たちを、執念と連携の力で次々と網にかけていった。
***
数時間後。
すっかり位相の狂った空間にも慣れ、アイテムボックスを透明イカと次元海老でパンパンにした一行は、湖畔の比較的重力が安定した場所に【星の箱庭】を展開していた。
大広間のテーブルには、サイラスたち(深淵のウー〇ー)が運んできてくれた『千年熟成醤油』や『特級パン粉』、さらにはトウヤが拠点の鶏から作った『自家製マヨネーズ』などが並べられている。
「さあ食え!! 苦労して捕まえた分、味は保証するぞ!!」
トウヤが、巨大な皿をドンッと置いた。
「『ファントム・クリア・スクイッドの究極・透明活き造り 〜生姜と熟成醤油を添えて〜』! そして、『ディメンション・オマールの神話級・極太エビフライ 〜自家製具沢山タルタルソース〜』だ!!」
「いただきますッッ!!!!」
ジンが、まだピクピクと動いている透明なイカの刺身を、生姜醤油につけて口に放り込む。
「――――ッッ!! う、うめぇぇぇぇぇっ!! なんだこのコリッコリの食感!? 噛むたびに、イカの甘みがジュワッ、ジュワッと口の中で爆発しやがる! 臭みが一切ねえ!! 酒だ! 日本酒持ってこい!!」
エリスは、自分の腕ほどもある極太のエビフライに、タルタルソースをたっぷりと乗せてかぶりついた。
サクッ、ブリンッッ!!
「んんんんん〜〜〜ッ!!」
エリスが、感動のあまり涙ぐみながら身悶えする。
「衣がサクサクなのに、中の海老の身が信じられないくらい弾力がありますわ! 歯を押し返してくるほどのプリプリ感! そして、噛み切った瞬間に濃厚すぎる海老の甘い汁が、酸味の効いたタルタルソースと絡み合って……私、もうこのエビフライ以外愛せませんの!!」
「ガッハッハ! 苦労して空間の裏側から引っ張り出した甲斐があったぜ! このエビフライはマジで世界遺産級だ!!」
ガレスも、エビフライを豪快に齧りながらビールを樽ごと飲み干す。
クーはイカのゲソを突っつき、クロは海老の尻尾をバリバリと噛み砕き、リルはテーブルから落ちたパン粉を嬉しそうに浄化(掃除)している。
どんなに一筋縄ではいかないデタラメな環境だろうと。どんなに逃げ足の速い次元のバケモノだろうと。
「絶対に美味い飯を食う」という最強のモチベーションと、仲間(テイムモンスター含む)との完璧な連携の前では、全てが極上のディナーへの『スパイス』に過ぎない。
透明なイカの甘みと、サクサクのエビフライの暴力的な美味さに包まれながら、美食家たちのスローライフは、大迷宮の後半戦も絶好調で突き進んでいくのであった。




