第56話 別れ、進め、止まること勿れ
朝日が王都を黄金色に染めていた。
帝国の巨大な正門。その前には、一台の馬車が停まっている。
ノアは小さな荷物を背負い、その前で静かに立っていた。
今日、この瞬間をもってクミ達との旅は一旦終わる。
勇者ノア・ファトリィブとしての人生が始まるのだ。
誰も口を開かない。
別れというものは、どうしてこんなにも言葉を奪ってしまうのだろう。
最初に口を開いたのはボーガスさんだった。
「そんな顔するなノア」
豪快に笑いながら僕の頭を乱暴に撫でる。
「お前はもう立派な勇者じゃ。帝国の奴らが何を言おうが、お前がワシ達の自慢なのは変わらない」
「……はい」
「腹減ったらちゃんと食うんじゃぞ?あと無茶をするな」
「はい!」
豪快な笑い声が響く。少しだけ空気が軽くなった。
次に前へ出たのはジンだった。
「ノア」
短く名前を呼ぶ。ジンらしい。
「頑張れよ」
「はい」
「色んなことがあると思うが…お前なら大丈夫だろ?」
「……はい」
「困ったら戻ってきても良いんだぞ?」
正直、少し驚いた。ジンがそんな事を言うとは思わなかった。
「しませんよ!」
「……だろうな!頑張れよ!」
ジンは満足そうに頷いた。
その横から香薬が涙目で近寄ってくる。
「ノア君……」
「香薬……」
「ちゃんとご飯食べるんだよ?」
「はい」
「好き嫌いしちゃ駄目」
「してませんよ」
「夜更かしもしちゃ駄目」
「……」
魔法の勉強で多少なら……。今まではクミさんが見張っててできなかったけど、一人なら……?
「返事!」
「はい!」
ダメそうだ。
思わず笑ってしまう。香薬も笑う。
でもその笑顔はすぐ崩れてしまった。
「寂しくなったら……いつでも帰ってきてね」
「はい…!」
「みんな待ってるから」
香薬は耐えきれず、僕を優しく抱きしめた。
「頑張ってね……」
「……ありがとうございます」
少しだけ肩が震えていた。
次はアニーナだった。
「もう勇者様と呼んだ方がいいかい?」
いつもの調子で笑う。
「そんな気が全然しませんよ」
「だろうね!」
二人で笑う。
「ダンジョンで出会ってから短い時間だったけど、楽しかった。落ち込んだ時はありがとう」
アニーナは真剣な顔になる。
「強くなって帰ってきて」
「もちろんです」
「それで、また旅を続けよう?お姉ちゃんの分も旅するって決めたんだから」
「そうですね。頑張ります」
「うん!その調子だよ」
軽く額を小突かれる。その優しさが嬉しかった。
最後にアスが前へ出る。
「ノア……」
言葉が続かない。何度も口を開いて閉じる。
「……」
「……」
沈黙だけが流れる。
やがてアスは叫ぶように話し出す。
「絶対追いつくから!!」
突然の大声に僕は目を丸くする。
「勇者だからって負けないから!」
「うん」
「今度は僕がノアを守らから!」
「うん…」
「約束だよ!」
「約束…」
二人は強く握手を交わした。涙が出そうになるのを必死で堪える。
最後にクミさんが歩み寄る。
昨夜とは違う。いつもの顔だった。
「ノア」
「はい」
「泣きそうですか?」
図星だった。僕は苦笑する。
「少しだけ」
「私もです」
クミさんも少し笑う。
「でも泣きません。よね?」
「はい」
「あなたは今日から勇者です」
「……」
「胸を張って歩いてください」
ノアは深く頷く。
「クミさん」
「なんですか?」
ノアの顔は真っ赤になる。ノアがする最後の我儘だった。
「さ、最後に子供っぽいことして良いですか?」
ノアは今にも照れて死んでしまいそうな顔をしながら、腕を広げる。
クミは少し微笑み、何も言わずにノアを抱擁する。
「あの日」
「?」
「あなたを弟子にして、本当に良かった」
ノアの目から涙が零れそうになる。
それでも必死に堪えた。
「じゃあ…また!」
「ええ。頑張ってください」
クミさん達が乗った馬車がゆっくり動き出す。
誰も泣いていない。笑っている。
だからノアも笑った。
何度も何度も手を振り続けた。
姿が見えなくなるまで。
○ ○ ○
数日後。
第一王域西部に位置する帝国最高峰の教育機関。
アイデン魔法学校。
広大な敷地。中央には巨大な白く輝く校舎。周囲には訓練場、図書館、研究塔、学生寮。
王都の一角とは思えないほど広い。
制服姿の学生達が校門をくぐっていく。
ノアも新しい制服に身を包み、その門を見上げていた。
「ここが……学校」
胸が高鳴る。未知の世界。
勇者としてではなく、一人の学生として生活する場所。
「頑張ろう!」
そう呟き、校門をくぐった。
しかし。
「おい!」
早速声を掛けられる。
振り向くと三人の学生が立っていた。
一番前。金髪を整えた少年。高価そうな制服。腰には装飾だらけの短杖(クミさんも使っていた、腰にさせるほどの短い魔法の杖)。
いかにも貴族らしい人物だった。
「お前が勇者か?」
見下すような目だった。
「えっと……はい。ノア・ファトリィブと言います」
「ふーん」
同い年の証である学章と制服を着た彼は鼻で笑う。
「俺はザマク・サーランド。サーランド侯爵家の長男だ!」
周囲の学生がざわつく。どうやら、そこそこの名家らしい。
「勇者がいると聞いて見に来れば……ただのガキじゃないか」
同い年じゃないの…?と言う疑問が浮かぶが…。
ノアは困って笑う。
「僕もまだ実感なくて……」
「は?」
「え?」
「馬鹿にしてるのか?」
「違います!」
ザマクの後ろから少女が小さくため息をつく。
緑色の髪を肩まで伸ばした少女だ。ザマクと同じ制服であるから僕と同い年。
「ザマク様……もうやめましょう?」
「うるさいエナ!」
さらに茶髪の少年も困った顔をしている。
「ダニエル、お前も来い!勇者なんてどうせ嘘なんだ!」
「またかよ……」
二人とも仕方なく従っているようで、嫌そうだった。
「俺は認めねぇ!勇者はもっとかっこいいんだ!」
ザマクは杖を向ける。
「勇者なら実力を見せろ」
「え?」
「勝負だ!」
「え!?」
校門に人が集まり始める。
「またザマクだ」
「相手勇者だぞ?」
「だからこそだろ。あの子が勇者?可哀想…」
どうやら少し有名人らしい。周りのコソコソ話しが耳に入る。助けて欲しそうに視線を送るが、友達もいない中で助けてくれる人はいなかった。
ノアは困り果ててながらも説得を試みる。入学初日からまさか絡まれてしまうとは…。
「えっと……戦う必要あります?」
「逃げるのか?」
「いや……入学初日から余計な事をしたく無いと言うか…」
「なら決まりだ!」
「何が!?話聞いてました!?」
どうやら断れそうにない。
仕方なく僕は杖と剣を邪魔にならない場所に置く。
「おい!なにやってる!使わないのか!?」
「ええ。怪我をさせても申し訳ないので」
「な、舐めやがって…!」
ザマク、エナ、ダニエル。
三人が向かい合う。
「え?三人同時?」
ノアが聞くと、ザマクは嘲笑いながら答える。
「勇者なら当然だろ?それとも怖いか?」
「そうですか」
ノアは構えず、ただ棒立ちする。
「な、なにしてる!構えないのか?」
「危ないので」
「……舐めるな!」
ザマクが魔法を放つ。
「第二門!大地を駆ける大いなる風!自然の怒りと共に……」
ザマクは詠唱を始める。
そうか、普通は詠唱が必要なのか。
ノアは久しぶりに聴く詠唱に懐かしさを覚えていた。
最近までは無詠唱をずっと使っていたし、その前も短縮していたので、短い詠唱さえもノアにとっては長く感じた。
「大いなる敵を討ち取りたまえ!大風斬撃!」
ざっと10発ほど放たれた風の刃。威力も申し分ない。
ただ、僕にとってはただの風の刃だった。
数歩のステップだけで避ける。
「え?」
次の瞬間、ザマクの懐へ。
「速っ!」
水仙流剣術の応用、水仙流体術を使う。これは、ループの中で飛将さんに習ったもので、水仙流剣術と同じように敵の攻撃を流したり、流れるような所作で連撃を放つもの。
体の力を抜いて流れるように懐へ踏み込み、そのまま腕を払い、杖を弾き飛ばす。
「なっ!?」
ザマクの攻撃手段を封じると、背後から声がした。
「う、うぉぉ!!」
ダニエルがこちらに向かって剣を振る。
しかし、最小限の動きだけで全て受け流し、腹を軽く殴る。
「ぐっ!」
ダニエルが尻もちをつく。
「ご、ごめん!」
力加減に苦戦していると、魔力を感じ、そちらへ目を向ける。
最後にエナが魔法を放つ。ザマクとダニエルの相手をしているうちに詠唱を済ませていたようで、震えながらも標的を定めていた。
「だ、第二門!水砲弾!」
巨大な水弾が僕を捉え、放たれる。
焦ることなく手を前へ。そして指を鳴らす。
エナの水砲弾は激しい炎に阻まれ、眩い光と共に燃え、水蒸気になって消える。
第一門の「火炎着火」。無詠唱かつ杖を使わないまま魔法使用。できる自信だけはあったが試したことはなかった。
と言うか、あれを避けていたら後ろで見ている生徒にあたってたけど……。
「え?へ?な、なにしたの?詠唱もな…い…?ええ!?」
エナが半分パニックになりながら驚く。そのまま力無くその場に座り込む。
ザマクが呆然としていると、ノアはいつの間にか目の前に立っていた。
「終わりです。その……まだ何か?」
勝負あり。
辺りは静寂に包まれる。誰も声を出せなかった。わずか数十秒。三人とも完敗だった。
ノアは慌てて頭を下げる。
「ご、ごめんなさい!」
「……」
「怪我してませんか?何せ同い年の子と戦う事がなくて、その…力加減が……」
「……」
ザマクは立ち尽くしたままだった。
悔しさと驚きが入り混じった表情。
周囲の学生達も息を呑んでいる。
「やっぱり勇者はちげぇな……」
「最後何したんだ?どっから炎が…?」
「同い年だろ……?」
周りはザワザワしだし、ノアのことをいろんな目で見ていた。ノアは居心地悪そうに苦笑した。
その様子を。
校舎二階の渡り廊下から、一人の少女が静かに見つめていた。
銀色の長い髪。
透き通るような白い肌。
宝石のような薄紫色の瞳は、誰よりも冷静にノアを観察している。
少女は小さく呟いた。
「……あれが、100代目勇者。お兄様が気になっていた……」
その声は風に溶け、誰にも届かない。
彼女の瞳だけが、ノア・ファトリィブという少年の姿を静かに映し続けていた。




