第55話 一人で頑張る時間
食事会後の夜。
帝国が勇者一行のために用意した宿は、これまで泊まってきた宿とは比べ物にならないほど豪華だった。
細部まで美しい廊下。赤い絨毯が真っ直ぐ伸び、壁には帝国の歴史を描いた絵画が並ぶ。
部屋の中も広く、大きな窓からは王都の夜景が一望できた。
家の明かりが宝石のように街を照らし、昼間とは違う静かな美しさを見せている。
それなのに。
「……眠れないや」
ノアはベッドの上で何度目か寝返りを打った。
100代目勇者。
カナシスさんの言葉。
学校。
新しい生活。
吾妻のこと。
色々な出来事が頭の中を巡り続け、目を閉じても眠気はやって来なかった。
窓際へ歩き、夜景を眺める。
ここは中央帝国。もう仙船でも、エデル島でもない。これから始まる生活は、今までとは全く違うものになる。
その時だった。
コンコン。
控えめなノックが部屋に響く。
「はい」
扉を開けると、そこには寝巻き姿のクミが立っていた。
白を基調としたゆったりした寝衣に、長い白髪を下ろしている。
昼間の凛々しい剣士とは違う、どこか柔らかな雰囲気だった。
「起きていましたか」
「クミさん。どうしました?」
「少し、入ってもいいですか?」
「もちろんです」
クミは静かに部屋へ入り、窓際まで歩く。
二人並んで夜景を見つめた。
しばらく沈黙が続く。
やがてクミが小さく笑った。
「やっぱり眠れませんでしたか」
「……顔に出てました?」
「ええ」
優しく頷く。
「あなたと出会ってまだ2年ほど仕方ってませんが、それなりにあなたを見ているんですよ?考え事をするとすぐ顔に出ますから」
ノアは照れ臭そうに笑う。
「やっぱり、さっきの言葉が気になって」
その一言で笑顔は消えた。
「勇者になりたいって、自分で決めました。でも……カナシスさんのいうことも一理あるのかもって……」
窓ガラスに映る自分を見る。そこに居るのは十一歳の少年だ。
「本当に一人でやっていけるのかなって。学校も知らない人ばかりだし、勇者として期待されて。これからは戦う理由が違う。もっと大きな意味なるって考えると……」
声が少し震える。
「少し……怖いです」
クミは黙って聞いていた。
そして、小さく息を吐く。
「実はですね…」
静かな声だった。
「私は昔、一人でした」
ノアは顔を上げる。
クミは夜景ではなく、遠い昔を見つめるように話し始めた。
「前に教えましたが私はヴィバール族です。そんなに多い種族ではありません。今では同胞が他にいるのかもわかりません。…私は小さな山奥の集落で生まれました。自然に囲まれた、とても静かな村でした」
クミさんの視線は窓から見える夜の街へ向けられる。しかし、その目に帝国の明るすぎる街は映っていない。
「しかし、覚えているのはそれだけ。魔物の大群が村を襲った。後から聞いた話です」
部屋が静まり返る。
「気付いた時には、一人でした。父も母も。そもそも誰が居たのか、どんな家族だったのか。何かショックなことでもあったのか、何もかも忘れてしまいました」
クミは自嘲気味に笑う。
「でも、成長して自分が生まれた境遇を理解しても、私は悲しくありませんでした」
ノアは何も言えない。
兄を亡くした自分より、もっと深い孤独がそこにあった。
「やるべき事がすぐに理解できたんです。強くならなければ。それだけを強く心に持って剣を取りました。旅の途中で師匠…飛将に出会い、弟子にしてもらったんです」
ノアはようやくクミさんと言う人物に触れられた気がした。
「剣術も、戦術も、毎日倒れるまで鍛えられました。おまけに、周りからは珍しいヴィバール族と言うのもあって警戒されてましたね」
初めて話すクミの身の上話に、ノアは静かに聞き入っていた。
「ある時、噂を耳にしたのか招集がかかって、師匠のもとを離れ、私はメシア騎士団へ入りました。そこでボーガスやユリウス、吾妻とシスター・マーナス。それからマリスと出会いました」
その名前が出た瞬間、二人とも少しだけ黙る。
「……えっと…何が言いたいかと言うと…。私は知っているんです。一人で歩き始める怖さも。新しい場所へ行く不安も。全部」
優しく笑う。
「でもね、ノア。本当に一人だった人は。一人じゃなくなる事の嬉しさも知っています」
ノアは静かに耳を傾ける。
「あなたは帝国へ来ても、一人ではありません。私達がいます。アスも。アニーナも。ジンも。香薬も。ボーガスも。離れていても、それは変わりません。あなたはこれから一人で頑張る時間です。成長する時間なんです。でもね、一人とは言っても私達が居ます。距離が離れようと変わりません。私達も離れた場所で成長するんです」
クミさんの話は、夜宵さんが言ってくれた言葉と、どこか重なった。
「あなたなら大丈夫です。お互い、成長してから会いましょう。…………それに…」
クミは少し照れくさそうに笑う。
「あなたは私の、一番最初の弟子ですよ?魔王を倒したメシア騎士団の剣士の一番弟子で愛弟子です。あなたなら大丈夫」
その一言で、胸の奥の重石が少しだけ軽くなった。
「……ありがとうございます。安心しました。」
クミは満足そうに頷く。
「では今日はもう休みましょう」
部屋を出ようとして、クミは足を止めた。
振り返らず、小さく言う。
「それと、勇者になったからといって、あなたはノアのままでいてください。それが、一番大切な事です」
静かに扉が閉まる。
部屋には再び静寂が戻った。
ノアはベッドへ腰を下ろし、ゆっくりと横になる。
不思議と先ほどまでの不安は薄れていた。
目を閉じる。クミさんの言葉が頭の中で巡る。
そして、これまで出会ってきた仲間たちの笑顔が浮かぶ。
勇者としての人生は、もう始まっている。それでも、自分は一人ではない。
そう思えた夜、ノアは帝国で初めて穏やかな眠りについた。
○ ○ ○
意識がゆっくりと沈んでいく。
窓の外で揺れていた帝国の灯りがぼやけ、やがて焚き火の赤い炎へと変わっていった。
――夢だ。
それは帝国へ着く数日前。
街道脇で野営をした夜の記憶だった。
満天の星空。薪の弾ける音。鍋から立ち上る湯気と、香薬が作ってくれた温かなスープの香り。
皆が火を囲み、他愛もない話をしていた。
それが、帝国へ着く前の最後の野営だった。
「もう明日には帝国ですね」
アスが焚き火を見つめながら呟く。
誰も返事をしない。皆、その意味を理解していた。
帝国へ着けば、ノアは勇者として新しい生活を始める。
そして、自分たちはーー。
今までのように四六時中一緒にはいられなくなる。
静かな沈黙を破ったのは香薬だった。
「……やっぱり寂しいね」
小さく笑っている。
でも、その笑顔は少しだけ無理をしていた。
「ノアくんがいなくなるなんて、まだ全然実感ないや」
香薬は木の枝で焚き火をつつく。
「毎日ご飯作って、一緒に食べてさ。朝になったら起こして。またそんな毎日が続くと思ってた」
ノアの胸が少しだけ痛くなる。
「香薬さん……」
香薬は慌てて笑顔を作る。
「ごめんごめん!こんな話するつもりじゃなかった!」
「勇者になれるんだから、おめでたい事なのにね。」
「うん……」
今度はアスが口を開いた。
「正直……僕も寂しいです。ようやく久しぶりに旅が出来ると思ってたけど、ノアの道はノアの道だから…」
珍しく真剣な表情だった。
「僕、ノア君と旅するの楽しかったです。街を歩いて。魔法の話をして。一緒に怒られたり…」
その言葉にアニーナが吹き出す。
「最後だけ変じゃない?」
「だって本当ですし」
アスも苦笑した。
「僕、昔は一人で旅するのが普通でした。でも今は……」
少し言葉を探す。
「皆で旅する方が普通になっちゃいました。」
その一言に、誰も笑えなかった。
ノアも同じだったから。
兄を失ってから、一人で生きてきた。
でも今は違う。仲間と笑い合う毎日が当たり前になっていた。
だからこそ、別れが怖かった。
そんな空気を変えるように、アニーナが立ち上がる。
「もう!」
パンッと手を叩く。
「湿っぽいのは終わり!」
皆が彼女を見る。
「確かに寂しい事さ。でも…」
アニーナは笑った。
「ずっと一緒にいる事だけが仲間じゃないだろ?」
その笑顔は太陽みたいだった。
「ノアは勇者になる。私達も私達で強くなる。それでまた会った時『成長したね!』って笑えた方が絶対いいさ」
ジンも静かに頷く。
「俺もそう思う」
皆の視線がジンへ向く。
「ノアだけじゃない。俺達も成長しなきゃならない」
焚き火が静かに揺れる。
「勇者の仲間になるなら。勇者に守られるだけじゃ駄目だ。俺が盾として守らなきゃ。俺は肩を並べて戦えるくらい強くなる」
短い言葉だった。
だが、それがジンらしかった。
アニーナが笑う。
「ほら、あのジンもこう言ってるんだから!」
香薬もゆっくり頷いた。
「そうだね。泣くのはまた今度にする!」
皆が笑う。
その笑顔を見て、ノアも自然と笑っていた。
その時だった。
「おーい。見張り交代だ。と言っても、帝国周辺に魔物は居ないけどな」
聞き慣れた声。
振り返ると、街道の向こうから丹玄が歩いて来る。
仙船から帝国近くまで護衛を務めてくれた。
「話は終わったか?」
「丹玄さん」
丹玄は焚き火の近くまで来ると腕を組む。
「俺はここまでだ。ここから先は帝国の管轄だ。それに、ここまで来れば帝国まで一本道だしな」
皆の表情が少しだけ曇る。
「短い間だったが楽しかった。」
それだけ言う。
丹玄らしい、不器用な別れだった。
ノアは立ち上がる。
「丹玄さん。ありがとうございました。」
深く頭を下げる。
丹玄は少し照れ臭そうに頭を掻いた。
「礼を言うのは俺の方だ。お前達のお陰で、俺も前へ進める」
少しだけ笑う。
真っ直ぐ見つめる。
「お前はこれから勇者になる。きっと今まで以上に苦しい事が増えるし、一人になる時間もある。迷う事もある」
丹玄は静かに続ける。
「だが、それでも歩け。止まるな。お前は一人じゃない。いや、一番実感しているか…」
クミさんと同じ言葉だった。
「俺達がお前を勇者にしたんじゃない。お前自身が、その資格を掴んだ。だから胸を張れ。誰に何を言われても、勇者はお前しかいない」
丹玄はノアの肩を軽く叩く。
「次に会う時はもっと強くなっていろ」
そう言い残し、次の日の朝、街道を歩いて行った。
振り返る事なく。真っ直ぐ前だけを見て。
○ ○ ○
そこで夢はゆっくりと途切れた。
朝日が部屋へ差し込む。
ノアはゆっくりと目を開ける。
「……夢」
夢だったはずなのに、あの焚き火の温もりも、仲間達の笑顔も、丹玄さんの力強い言葉も、先程の出来事のように胸へ残っていた。
ノアは勇者紋章をそっと握る。
「……うん」
小さく頷く。
自分は一人ではない。
離れていても、皆がそれぞれの場所で前へ進んでいる。
だから自分も進もう。
100代目勇者として。
そして、一人の少年――ノア・ファトリィブとして。




