第1話 留学生と公爵令嬢
春
ブライト王国王都にある王立カルディア学園は、新たな一年の始まりを迎えていた。
広大な敷地を囲む白亜の校舎には、各地から集まった貴族子弟たちが行き交い、正門前には色とりどりの馬車が列を作っている。
そんな中、一台の馬車から一人の少年が降り立った。
黒に近い深緑の髪、穏やかなエメラルドの瞳。
仕立ての良い制服に身を包んではいるものの、胸元に飾られた徽章にはブライト王国の貴族章がない。
少年は学園を見上げ、ふっと笑った。
「ここが、カルディア学園か」
少年の名は、フォーマ・バイエンス。
ゼレノイ帝国から派遣された留学生である。
「3年間、か」
そう呟いて、フォーマは小さく息を吐いた。
本来ならば、帝国の人間である彼がこのような形で他国の学園へ通うなどあり得ない。
だが、本人が望んだ。
帝国の者としてではなく、一人の学生として他国の文化を知りたい。
そう父に願い出た結果、母方の旧姓を使い、留学することが許された。
従者も最低限、貴族としての礼装もない。
今の自分は、ただの留学生──フォーマ・バイエンスだ。
「さて。面白いものが見つかるといいんだけどな」
そうしてフォーマは、学園へ足を踏み入れた。
◇
入学初日
フォーマは早くも、この学園が非常に特殊な場所であることを理解した。
国内でも屈指の名門校。
当然ながら、在籍しているのは高位貴族の子弟が多い。
そして、その中でもひときわ目立つ2人がいた。
「皆、もう知っていると思うが紹介しておこう。ブライト王国第一王子、マルケール・オールブライト殿下だ」
教師がそう告げると、教室の空気がわずかに引き締まった。
臙脂色の髪、琥珀色の瞳、整った顔立ち、堂々とした態度。
いかにも王太子らしい少年だった。
そして、その隣に立つ少女。
「そして殿下の婚約者、フルーネフェルト公爵家のエカテリーナ・フルーネフェルト嬢だ」
セラドンの髪、アイスブルーの瞳、背筋は真っ直ぐに伸び、教師に紹介されると優雅に一礼した。
「エカテリーナ・フルーネフェルトと申します。皆様、どうぞよろしくお願いいたします」
静かで、よく通る声だった。
フォーマは何気なく2人を見比べる。
王太子と、その婚約者。立場だけ見れば、よく釣り合っているように見える。
──だが
「……?」
ほんの一瞬、エカテリーナが頭を上げた時、フォーマは彼女の瞳に奇妙なものを見た。
疲労。
それも、一日二日ではない。
長い年月をかけて蓄積されたような、薄い疲れ。
けれど、それは一瞬で消えた。
「どうかしたか?」
隣の席の男子生徒に声をかけられ、フォーマはそちらを見る。
「いや、何でもないよ」
「ならいいけど…あの2人、凄いよな」
「何が?」
「王太子殿下は学年でも成績上位だし、剣術も優秀。将来は間違いなく名君になるって評判だ」
「へえ」
「それにフルーネフェルト嬢も……まあ、優秀だけど」
「けど?」
「成績は殿下より下だよ。学年順位で言えば真ん中くらいだったかな」
「……そうなのか?」
「知らなかったのか?まあ、留学生なら当然か」
フォーマは再びエカテリーナを見る。
彼女は教師の説明を静かに聞いていた。
手元の教科書には、いくつもの細かな書き込みがある。
授業内容を理解している者の書き込み方だ。
「……不思議だな」
思わず呟いた。
「何が?」
「いや」
フォーマは笑って誤魔化した。
その時はまだ、それだけだった。
◇
数日後
魔法基礎訓練の授業。
「今日は二人一組で簡易魔法陣を構築してもらう」
教師がそう告げると、生徒たちは次々に組を作り始めた。
「フォーマ・バイエンス」
「はい」
「エカテリーナ・フルーネフェルトと組め」
「承知しました」
フォーマが振り返ると、エカテリーナが軽く頭を下げた。
「よろしくお願いいたします、バイエンス様」
「こちらこそ、フルーネフェルト嬢」
指定された魔法陣の構築は、それほど難しいものではない。
魔力を一定量流し、指定された術式を描く。
ただし2人で同時に魔力を流すため、互いの魔力の流れを把握する必要がある。
「私が左側を担当いたします」
「じゃあ俺は右を」
「はい」
2人が同時に魔力を流す。
その瞬間、魔法陣が淡く光った。
「……綺麗だな」
フォーマが呟く。
「そうでしょうか?」
「うん、魔力の流れがほとんど乱れてない」
「バイエンス様の調整が正確だからです」
「いや、君の方が凄いよ」
「……」
エカテリーナが少しだけ目を見開いた。
「どうかした?」
「いえ……」
彼女は小さく首を振った。
「ありがとうございます」
その笑顔は、とても綺麗だった。
だが、フォーマは違和感を覚えていた。
──やはりおかしい。
これほど魔力操作が正確なら、学年順位が中ほどなどあり得ない。
授業が終わり、生徒たちが教室へ戻っていく。
フォーマはエカテリーナを呼び止めた。
「フルーネフェルト嬢」
「はい?」
「少し聞いてもいい?」
「私でよければ」
「君って、本当に学年順位が真ん中くらいなの?」
「……」
エカテリーナの足が止まった。
しばらく沈黙した後、彼女はいつもの淑女らしい微笑みを浮かべた。
「ええ」
「……どうして?」
「殿下のためです」
「マルケール殿下?」
「はい」
彼女は何でもないことのように続けた。
「殿下の顔を立てるためにやっております」
フォーマは言葉を失った。
エカテリーナは微笑んでいる。
それは、誰が見ても完璧な公爵令嬢の微笑みだった。
けれど近くで見たフォーマには分かった。
その瞳の奥には、深い疲労が沈んでいる。
「……それで?」
「ですから、私は殿下より上にならないようにしております」
「成績も?」
「はい」
「魔法も?」
「はい」
「……わざと?」
「はい」
あまりにもあっさりと答えるものだから、フォーマは逆に何も言えなかった。
「なぜ……そんなことを?」
「婚約者ですから」
当然のことのように、彼女は答えた。
「殿下のお心を乱すようなことをしてはいけませんでしょう?」
「でも、それじゃあ君は──」
フォーマはそれ以上言うのをやめた。
エカテリーナは静かに微笑んでいる、その微笑みはどこか寂しかった。
「……何でもないよ」
「そうですか?」
「うん」
フォーマはそれ以上、踏み込まなかった。
「じゃあ、また明日」
「はい」
エカテリーナが去っていく。
その背中を見送りながら、フォーマは小さく息を吐いた。
「……馬鹿げてる」
誰に聞かせるでもなく呟く。
自分より優秀な婚約者を、自分より下に見せるために能力を抑えさせる。
そんなことをして、何になる?
フォーマはやるせない気持ちを抱えたまま教室へ戻って行った。
◇
翌日の昼休み。
フォーマは中庭のベンチで1人、帝国から持ってきた本を読んでいた。
「……あ」
視界の端に、見覚えのある姿が映る。
エカテリーナだった。
彼女は1人で本を抱え、廊下を歩いている。
フォーマは本を閉じて声をかける。
「フルーネフェルト嬢」
「はい?」
振り返った彼女に、フォーマは笑いかけた。
「昼食、もう食べた?」
「え?」
「まだなら一緒にどう?」
「……私と、ですか?」
「うん」
彼女は少しだけ戸惑ったような顔をした。
「ですが……」
「留学生として、この国のことをもっと知りたいんだ」
「この国のこと?」
「そう。歴史とか、文化とか。あと美味しい店とか」
「……ふふ」
初めて彼女が自然に笑った。
「それでしたら、私より詳しい方をお誘いしたほうがよろしいのでは?」
「いや、君に聞きたい」
「どうして?」
「君の話を聞いてみたいから」
エカテリーナは目を瞬いた。
そして少しだけ頬を緩める。
「……では、ご一緒いたします」
「ありがとう」
2人は並んで歩き始めた。
その日、ブライト王国には、帝国にはない菓子があることをフォーマは初めて知った。
王都の南側には美しい湖があること。
古い王家の歴史には興味深い逸話があること。
そしてエカテリーナ・フルーネフェルトという少女が、王太子の婚約者という肩書きを外せば、よく笑い、意外と甘い物が好きで、話してみれば驚くほど知識が豊富な少女だということを。
「そういえば」
ふと思い出したように、フォーマが言った。
「帝国では、エカテリーナの愛称って『カーチャ』って呼ぶんだよ」
「……カーチャ?」
エカテリーナが足を止める。
「うん。発音が可愛らしいだろう?」
「……そう、なのですか?」
「嫌だった?」
「いえ……」
エカテリーナは少し考えた後、柔らかく微笑んだ。
「不思議な呼び方だと思っただけです」
「じゃあ、君のこともカーチャでいい?」
「え……はい」
フォーマは笑った。
「じゃあ、これからよろしく。カーチャ」
「はい。よろしくお願いいたします、フォーマ様」




