第19話:それぞれに借りた本(上)
コンテナ車両が施設の門をくぐると、それだけで少し肩の力が抜けた。
数日ぶりの、慣れた建物。慣れた廊下。慣れたにおい。深緋は荷物を肩にかけ直して、見慣れた中庭を歩いた。芝生の隅に、見覚えのある黄色い花が咲き始めている。出る前にはまだ蕾だった白い花はもう終わっていた。
「コキアー、まだー?」
鶸が先に玄関口で振り返っていた。月草は鶸の少し後ろで、両手で自分のバッグの肩紐をぎゅっと握っている。数日ぶりの施設を、下からゆっくり見上げていた。
「いま行く」
「おそーい」
「荷物重いし」
「ボクのと変わんないじゃん」
「ヒワのが軽いだけだから」
「え、なんでヒワの荷物が軽いの?」
月草が首を傾げる。
「ヒワは資料とか全部捨ててくるから」
「えっ……それ怒られるんじゃ?」
鶸はへへへーと笑った。月草の声も明るい。帰ってきた、という安心が、ゆっくり広がっている。
深緋は部屋に戻って、荷物をベッドの脇へ置いた。それだけで、なんだか体が軽くなった気がした。泊まりがけの任務は、慣れててもちょっぴり疲れる。
月草は自分のクローゼットから部屋着を出すと上着を脱いだ。着替えてベッドに腰かけ、少しほっとした顔をした。汚れた服を畳んでランドリー袋に詰めていく。
「あー、お腹すいたー」
「ヒワ、任務バッグ片付けて」
「お腹すいて動けないよー」
「はい、ヒワのランドリー袋、これです」
月草は鶸に空のランドリー袋をサッと渡すと、自分の着替えを抱えて、洗面所の方へ消えていった。鶸は自分のベッドに大の字で寝転がった。
「最近、ツキきびしくなーい?」
「なにいってんの? 優しいじゃん」
深緋は目を眇めて、鶸を見やった。
思い当たる節はたくさんあるはずの鶸は、プスーっと膨れた。
*
簡易検査には、三人とも呼ばれた。
深緋は炎を使ったし、鶸も飛んで風を使った。月草は魔法を使っていなかったが、深緋の炎のすぐそばにいたので呼ばれた。検査は痛いし、気持ちが悪いので、月草も全然慣れないようだ。でも次の日の夕方には、南一班の部屋はいつもの空気に戻っている。
深緋はいつものようにお茶を淹れる。月草にお砂糖を二つ。今回の、任務報告書の下書きを月草に頼んだ。月草ははりきって日誌を見返しながら、下書きを作っている。鶸には頼まないのかと聞かれたので、「余計手間が増えるから頼まない」と答えた。
当の鶸はベッドの上で、魔獣図鑑の写しをまた見ている。何度も読んでるようで、もうボロボロだ。
「コキア」
「ん」
「あとで資料室いかない?」
「いいよ」
「やった」
「織部か潤には自分で頼んでおいて」
「へーい」
鶸は軽い返事をして、また寝転がった。どうせまた魔獣図鑑を見に行くんだろう。
夕食の前に、月草がシャワーから戻ってきた。髪の先がまだ少し濡れている。さすがに体が小さくてドライヤーがうまく持てないようなので、深緋が乾かしてやった。深緋も汗をかいたので、簡単に汗を流した。
食堂で、いつもの席に座って、いつものように夕食を食べた。
チーズの浮かんだスープは少し熱かった。月草はパンをちぎってスープにつける食べ方を、最近覚えたようで、こぼさないようにそろそろとパンを浸している。鶸がやっていたのを真似して気に入ったようだ。
夕食の後、食器を片付け、深緋たちは渡り廊下前の溜まり場で大人が来るのを待っていた。
「ツキも資料室来るでしょ?」
「えっ? いいの?」
「いいよー」
月草はパッと目を輝かせて「行きたいです!」と言う。月草には初めての資料室だ。
潤がやってきて、「寝る時間には帰りますよ」と言いながら資料室へ向かった。
*
資料室は、中央棟の三階。廊下のいちばん奥の扉。子どもが入っていいのは右側のガラス扉だけだ。深緋が扉を押すと、紙とほこりと、インクと、うっすら漂う古い本のなぜか甘い匂い。
「わぁ……本いっぱい!」
「でしょー」
小さく声を上げた月草に、鶸が自分の住処を案内するみたいな顔をした。
「奥の方が、デカい本ばっかなんだよ」
「うん」
月草は入口のあたりで、しばらく下から天井までの棚をゆっくり見上げていた。深緋は、月草が落ち着いて見て回るまで、入口近くの机に荷物を置いた。
鶸が奥の魔獣図鑑の書架へ向かっていくのが見えた。いつも通りだ。
「コキア」
「ん?」
「僕、ここで自由に見ていいんですか?」
「いいよ、探検しておいで」
月草はどこを見ても本という環境で、きょろきょろしながら次々に棚を覗き込んでいた。一冊少し抜いては戻し、また別の棚へ行く。落ち着きなく、探検を楽しんでいるようだ。
深緋は少し紋様集でも見ておこうかと、奥へ進む。鶸がいつも陣取っている魔獣や植物の図鑑が並んでいる棚を通ったが、そこにいるはずの鶸がいない。不思議に思って隣の書架を覗くといた。
地誌の棚だった。
深緋は、一度足を止めた。それから、月草の方を振り返った。月草は、入口近くの低い棚の前にしゃがんで、表紙の絵が大きい本を一冊抜き出してじっと眺めているところだった
深緋は鶸の方へ歩いていった。
「あれ? ヒワ」
「ん」
「地誌?」
「うん」
「めずらしい。セイランが読んでたやつ」
「うん」
深緋は少し迷って口にした。
「気になる?」
「……ちょっと」
鶸の返事は短かった。深緋もそれ以上は聞かなかった。
鶸は棚に向き合ったまま、背表紙を指でなぞっている。地名の本、地形の本、街道の本、海岸線の本。深緋の身長より少し高い位置まで、ずらりと並んでいた。
「借りるなら重いから、二冊までにしときな」
「うん」
鶸は、そのうち一冊へ手を伸ばした。少し背伸びをして、引き抜いた。表紙を開いて、目次を見て、また閉じた。それから、隣にあった薄い方を一冊、追加で抜き出した。
鶸は、二冊を脇に抱えて、入口近くの机へ戻っていった。深緋は、もう一度棚を見上げて、それから月草の方へ歩いた。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
続きも読んでみたいと思っていただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけるとうれしいです。
月・木 朝7時過ぎに最新話を更新しています。




