第18話:明かりが残っている家(下)
「昔話で聞いたとおりだ。そういう時はルデトが近いと、じいさんが何度も言うとった。だから、わしは行かん。ルデト避けもないところへは、行けん」
老人は、深緋たちを順番に見た。声をさらに低くして語りかけてくる。
「おまえさんらも、気をつけろ。あんな──」
外からバタバタ、と複数の足音がした。
通りの角から、軍服の大人が二人、早足で来た。誘導班の大人たちだ。
「南一班、この区画の確認は終わりましたね」
普通の声の中に、抑えつけるような強さが滲んでいる。
「はい。あとこの一軒だけです」
「そうか」
大人はさりげなく鶸の肩に軽く手を置いて、そのまま老人との間に立った。自然な動きだった。鶸は、自然とその腕に促されて、半歩後ろを向く形になる。
「ご老人」
大人は老人へ顔を向けた。
「お話の途中に、申し訳ありません。避難の件、こちらで改めて伺いますので」
「わしは行かんと言うとる」
「承知しました。では手続きの説明をさせてください」
もう一人の大人が、深緋と月草の前に立った。二人の視線を、自然にさえぎる位置だった。
彼らの幅の広い背中、軍服に威圧する意図があることは、子どもにだってわかる。
「南一班」
「はい」
「移動してください」
「え、でも」
「移動してください」
「……はい」
深緋は返事をした。鶸も「はーい」と返した。月草は、少し遅れて小さく「はい」と言った。
鶸は月草の背中にそっと手を当てた。月草はそのまま、鶸に押されるように歩き出した。振り返りそうになる月草を深緋は首を横に振って止めた。
角を曲がるまで、誰も何も言わなかった。曲がってから、鶸が小さく、はぁっと息を吐いた。
「ね、コキア」
「うん」
「いまの」
「うん」
それだけだった。深緋もそれだけ返した。
鶸は深緋の目を見て、口の端だけで、ちょっと笑った。深緋も、ちょっとだけニヤッとした。月草は、二人の顔を順番に見て、それから自分の足元を見た。
*
駐屯のコンテナ車両に戻ったのは、夕方だった。
今日で今回の任務は完了だった。明日には、施設へ帰る。
簡単だけど温かい夕食を終え、子どもたちは駐屯の間の荷物をまとめている。あとは班ごとに日次報告を出して、寝るだけだった。他の班もめいめいに散らかった荷物を片付けている。
月草は荷物を途中までまとめたものの、自分の毛布の端に座って、膝を抱えていた。さっきから、あまりしゃべらない。
深緋が見かねて声をかける。
「ツキ、どうしたの?」
「……あの大人たちは、怒ってましたか?」
「怒ってはいないよ」
「でも、急に来て、怖かった……」
月草は俯いていた。自分が何を間違えたんだろう、という顔だ。
「ぼくが、おじいさんに、いろいろ聞いたから」
「ちがうよー」
鶸は少し小さめの声でツキに言う。駐屯の間に大量に散らかしたものを寄せ集め、更に並べた荷物を、バッグに全部無理やり詰め込んでいた。
「ツキはなーんにも悪くないの」
「でも」
「あれはさー」
なんとかバッグをぎゅうぎゅうに閉じた鶸は、身体中に毛布をぐるぐると巻きつけて、ごろりと床に転がった。また虫のスタイルだ。
「ツキを怒ってたんじゃないって。ね、コキア」
「うん」深緋はうなずいた。
「ツキは、なにも悪くない」
月草は、まだ少し納得していない顔だった。けれど、抱えていた膝を、少しだけゆるめた。ふわふわした毛布が手にあたる。
「ほんとですか」
「ほんと」
「気にしなくていい、大丈夫」
「……はい」
月草は、それで少し安心できたようだ。立ち上がって、途中だった自分の荷物をまとめはじめた。少しずつ、いつもの月草に戻っていた。
鶸はもう何も言わなかった。けれど時々、考えるみたいに天井を見ていた。
子どもたちは、それぞれもう毛布に包まっている。この数日のうちに、なんとなく決まった場所で。大人たちの声が少し慌ただしくなってきて、車が動き出す。砂利を噛む音が周りで響く。
コンテナ車両もやがて、ゆっくり揺れて走り出した。深緋もそっと目を閉じたのに、戸口の刺繍札や老人の声が少しだけ頭の中を巡っている。
(了)
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