第18話:明かりが残っている家(上)
外縁の点在した集落は、静かだった。
遠征最終日。もうほとんどの住民は避難を終えて、必要な人には医療の提供が行き渡りつつある。残っているのは、避難完了確認のための見回りと、まだ残っている人を探して避難誘導することだった。
舗装されていない道の両脇に、低い屋根の家が並んでいる。けれど窓に明かりはなく、戸口の多くは閉まったままだ。開いている家もあるが、中はがらんとしていた。置いていかれた木箱や、ひびの入った植木鉢が、軒先に残っている。どの家にも戸口の上に、沿岸地区で見かける布の札が吊るしてある。扉にも植物の蔓のような渦を巻く模様が書いてある。
人々の生活の跡はくっきり残っているが、その生活は途中で途切れて人の影が消えている。街が息を潜めているようで、ざわざわと気持ちが落ち着かない。
深緋は地図を片手に、一軒ずつ確認していく。避難が済んでいるか、獣害の跡がないか。確認済みの家には、地図に印をつけた。
「コキア、こっち終わったよー」
鶸が隣の路地から出てきた。深緋は鶸が確認を終えた路地の分を、一気に地図に印を入れる。
「ツキは?」
「あっちの三軒。ひとりで回ってる」
「うん」
深緋はうなずいて、次の家へ向かった。月草は通りの向こうで、扉を二度ノックして、しばらく待ち、それからもう一度ノックしていた。返事がないのを確かめてから、タグを貼る。動作には無駄がなく迷いがない。頼もしい。
地図を眺めながら、残りの地区をチェックする。パタパタと小さな足音と共に月草が戻ってきた。
残りの区画は少し離れた一軒だけのようだ。
道はゆるやかに下っていた。しょっぱくて生臭いにおいが、風にまじって届く。海が近いのだ。
「この先で、この区画は終わりかな」
「だといいけどー」
鶸がううーんと伸びをする。
「あーおなかすいたー」
「ヒワ、まだお昼じゃないです……」
月草に言われて、鶸は目を眇めて月草を見る。
「わかってるよー! ツキ、最近コキアみたいじゃん」
「えっえっ、僕はそんな……」
月草が、二人のあいだを少し早足で歩きながら、両手を振って慌てている。深緋もそのやりとりにニヤッとして、道の先で足を止めた。
「海だよ」
「わぁ……広い!すごい!」
「ボクも見るの久しぶりー」
鈍く光る海原と岩場の手前にポツンと小さな家が見える。
「ね、あの家、明かりがついてるね」
集落のいちばん端の家だった。低い石垣に囲まれていて、他の家と同じように刺繍の札と植物の蔓の模様が印されている。
深緋たちは近づいた。戸はわずかに開いていて、中から光が漏れている。
「すみませーん」鶸が声をかけた。
「だれかいますかー」
しばらくして、戸の奥から人影が出てきた。腰の曲がった、白髪の老人だった。
「なんだ、子どもか」
「こんにちは」
「確認に回っています。避難先まで案内しにきました」
老人は、深緋たちを上から下まで見た。それから、ふん、と鼻を鳴らした。
「わしは行かん」
「でももう、ここらへんは危ないよ?」
「獣害の危険度が上がってるので、避難してください」
「周りが行くからって、わしも行くとはかぎらん」
老人は戸口に座り込んだ。動く気はないようだ。
深緋と鶸は顔を見合わせた。大人に頼んだ方がいいんだろうか?という相談だ。
「あの……どうして逃げないんですか?」
後ろから、月草が不思議そうに聞いた。
老人は、しばらく月草を見ていた。それから、ゆっくりと口を開いた。
「あっちには、ルデト避けがないだろう」
「ルデトヨケ?」
鶸が首を傾げる。
「知らんのか。いまの子どもは、知らんのだな」
老人は、戸口の上の刺繍の入った布札を、節くれだった指でさした。
「これが、ルデト避けだ。ルデトから、人々らを守ってくれるものじゃ。昔から、どの家にもかかっとるだろう」
その言葉に、深緋は頭の中を巡らすように天井を見上げる。
「あ」
深緋は小さく声を漏らした。思い出しかけたその横で、鶸がすぐに身を乗り出した。
「なにそれ! ルデトって、なに?」
老人の目が、少し遠くなった。
「大きな大きな獣だ。山みたいに大きい。海べりを歩いて、ドスーンドスーンとまわっていく。角が……こう、ぐるりと渦の柄を巻いとる」
老人は、指でぐるぐるとゆっくり円を描いた。
「へえー! かっけー……」
相変わらず鶸の魔獣への熱意は、よくわからないな、と深緋は思った。
「おじいちゃん、それ見たことある?」
「いや、見ていたら生きとらん。そもそも昔の話じゃ。大昔の」
老人は首を振った。
「わしが子どもの時分にな、じいさんから聞いた。じいさんのそのまたじいさんから聞いた話じゃと。何百年も前に、大変なことがあったと」
「大変なことって?」
「集落がいくつも、消えたと」
「ええ!」
「家も、人も、みんなやられた。だからルデト避けを、どの家にもかけるようになったんじゃ」
老人は強く言った。鶸もさすがに神妙な顔になった。
深緋は黙って聞いていた。
「それは、こわいですね……」
月草が小さな声でぽつりと言った。
「最近な」
老人は声を低くした。
「山の獣どもがおかしい。動きが、いつもとちがう。妙な集まり方をする。ふだん来ん所まで降りてきとる。鳥も、群れの方向が違う」
深緋は鶸をチラッと見た。鶸もこちらをチラッと見てくる。二人は駆け抜けていった魔獣を思い出す。
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