第16話:第七地区外縁(下)
現地は思っていたよりずっと静かだった。
第七地区外縁には、大勢の避難民を受け入れるための広場が設けられていた。大きな天幕がいくつも立てられていて、札が下げられている。
白い札は受け入れたばかり。そこから具合の悪い人を緑の札の天幕と黄色の札の天幕へ振り分ける。医療チームの治療の必要のない人は、青いタグを渡し青札の天幕に移動して休んでもらう。
「南一班はこの天幕から見ていってください」
「はい。じゃツキは最初だけ、ぼくと一緒にやろうか」
「は、はい」
深緋は月草を連れて、小走りに天幕へ向かった。規模の大きな避難民の受け入れは、次から次へと人がやって来るのでスピードと判断力が勝負だ。
「こんにちは」
深緋は一人ずつ声をかける。
声をかけた男性は、見ると、疲れてはいるがどこも傷めてなさそうだ。
「このタグを持って、出て左側の青い札の天幕で休んでください」
「……ありがとうございます」
タグを握って男性は出ていった。次はなかなか辛そうなお年寄りと、その息子らしい男性……だろうか。
「こんにちは」
「……あ、あの、母が倒れてきた塀の下敷きになったんで」
隣についている男性は、治療の必要はなさそうだ。だがお年寄りは治療が必要だ。
「ツキ、こっちの方には青いタグ渡して」
「は、はいッ……えと、このタグを持って青札の天幕へ」
「待ってツキ。……お母さんと一緒に来ますか?」
深緋は月草の案内を止めて、男性に確認する。
「はい、できれば側に着いていたいです」
「じゃあ、一緒にお願いします」
お年寄りは、右足の骨が折れているだろう。強く体を打っていて、胸の骨も折れかけている。子どもが支えるより大人の支えの方がいい。
「ゆっくり立ち上がってください。右足は無理につかないで。支えは左側から支えて、そうです」
月草が後ろから、深緋をじっと見ているのがわかる。深緋も少し背筋が伸びる。
「右足の骨折れてて、胸の骨もちょっと危ないです。内側は大丈夫そうです」
無事に緑の札の天幕まで誘導したあと、ふ、と息をついた。月草も、はぁ、と息を止めていたように大きく息を吐いた。
「コキア、ごめんなさい。僕……」
「いいの。こういうのを最初に覚えるために、ぼくのそばに来てもらったの」
「そうなんですか……」
「体の大きな大人の人が支えてくれるなら、ああやって助けてもらうんだよ」
「はい!」
「じゃ、ぼくもヒワも、ツキのそばにいるから、後は一人ずつ見てあげて。困ったら呼んでいいから」
怪我人は次々に来た。腕の擦り傷。足首。背中の打撲。誰も大声を出さなかった。みんな疲れていた。深緋は怪我をしているか見ながら、必要に応じて医療用の天幕へ誘導した。
二時間ほど経ったとき、深緋はちらりと入口を見た。
月草が、歳をとった女性の手を引いて歩いていた。女性の歩みに合わせて、月草のほうがゆっくり歩いている。空いている方の手で、天幕の入口の段差を示し、声をかけ、自分が先に下りて、女の人の腕を支えた。
「コキア、ちょっとごめん、この人頼んでいい?」
鶸が背中側から声をかける。
「足、踏まれたって。骨はたぶん大丈夫だけど」
「うん、首の方もだね」
「そうそう、よろしくねー」
鶸はそのまま、踏まれたという中年の男性を深緋に託して、自分は別の歩けなくなっている若者を、黄札の天幕へ連れて行った。
深緋が男性を緑札の天幕へ案内して戻ると、月草が深緋の所へ小走りで近寄ってきた。
「コキア、もうこの天幕は落ち着きました」
「うん」
「次、何しましょうか」
「青札の天幕、毛布が足りないって言ってたから、ちょっと手伝おうか」
「はい」
*
夜になった。
コンテナ車両の中で、深緋たちは交代の休憩を取っていた。車両の中はランプ一つぶんの明かりで、鶸はもう奥の毛布の上で、半分目を閉じている。今日の鶸は、休まずずっと働いていた。
月草は足を投げ出して、温かいスープを飲んでいた。深緋はもう飲み終わり、両手で水筒を握っていた。
水筒は空だった。
深緋はそれを振った。からん、と中で何も鳴らない音がした。深緋も一日休まず働いていたので、喉は乾いていたが立ち上がるのが億劫だった。
「ね、ツキ」
「……はい?」
「ぼく、お水のみたいな」
「……はい!」
月草はスープをサッと横に置き、立ち上がって車両の入口に行って冷えた水を持ってきた。深緋の水筒を受け取って、ボトルを両手で支えて水を注ぐ。深緋はそれを受け取ってごくごくと水を飲んだ。
深緋は座ったまま、ふ、と息を吐いた。
鶸が毛布から顔を出し、じっと、深緋を見ていた。
「……なに」
深緋は眉間に皺を寄せて怪訝そうに問う。
「いや」
「なに」
「いやー」
「なに」
「コキアがツキにお願いするの、初めて見た」
「え」
深緋は、ぽかんとした。自分が何をいま月草に頼んだのかを、ようやく頭の中で思い返した。
水。ぼく、お水のみたいな。
「……ぼく、頼んだ?」
「頼んだ」
「え」
「え、じゃないよ」
鶸はおかしそうに笑った。声を潜めて毛布に顔を埋めてずっとぐふぐふ笑っている。
「いいじゃん、頼んだらー」
「コキア、僕は別に頼んでもらっていいんですよ?」
水を持ってきた月草も、深緋に水を渡しながら言う。
「いや、別に、ぼく……が、立てばよかったんだけど」
「うん」
「なんか、ツキ隣にいたから」
「うん」
「……うん」
深緋は自分の膝を見た。膝の上で、空の水筒を握っていた手が、ゆっくり緩んだ。
月草が戸惑ったように、でも真剣な顔で深緋の目を見て言う。
「コキア、がんばってるの、僕知ってるので」
「うん」
「頼ってもらえるの、僕は嬉しいです。お水くらいいっぱい持ってきます!」
「……ツキ、ありがとう。冷たいお水、嬉しい」
「よかったです」
月草は満足そうにうなずいて、スープを飲み干した。そしてあくびをひとつして、毛布に包まってコロンと横になる。
深緋は飲み口に口をつけた。冷たかった。支給品の外側に近い冷たいものを選んでくれたのだろう。水を膝に置いて、もう一度息を吐いた。
鶸はもう、毛布の中で寝息を立てている。隣で寝ている月草は、ほんの少し深緋に寄りかかっている気がした。
車両の窓の外で、大人たちが行き来する足音が聞こえる。遠くで、犬が一度だけ鳴いた。
深緋はランプの方を見て、それから、目を閉じた。
(了)
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