第16話:第七地区外縁(上)
地下訓練室の空調は、いつ来てもひんやりしている。
深緋は、左手の掌上で、炎を小さく回していた。橙色の塊を、米粒くらいまで絞って、また膨らませる。絞って、膨らませる。出力を一定に保つ訓練だ。地味で、退屈で、けれど一番むずかしい。
すぐ近くで、鶸が風の刃を空中に並べていた。五枚。間隔をそろえて浮かせて、そのまま静止させる。こっちも地味で疲れるやつだ。
「コキア、それ何個目?」
「五十個」
「ボクまだ三十」
「集中しなよ」
「してるってー」
言いながら、鶸の黄緑に光る刃が一枚、ぽろっと落ちて光の粒になって消えた。
「あー」
「集中しなって」
「言われると落ちるんだよ」
「じゃあ、言わないであげる」
鶸はつまらなそうにむくれた。深緋は、手のひらの炎をぐっと縮め始めた。
ドームの反対側で、月草が浮いていた。
朽葉が下から指示を出している。
「月草、もう一度」
「はい」
月草は、床から二十センチほどのところに浮いていた。両腕を軽く広げ、足の裏で空気を押している。前に進もうとして、姿勢が少しだけ前のめりになり、ぐらりと崩れた。月草は慌てて足を下ろした。
「前へ出るときは、頭から行くな」
「は、はい」
「足の裏で押す。頭は、向きに合わせるだけだ」
「合わせるだけ」
「そうだ」
月草はうなずいて、もう一度、目を閉じた。
深緋は水筒に口をつけながら、見ていた。月草は十秒もかからずにまた浮いた。今度は崩れなかった。その状態で、朽葉の言う方向へ、ゆっくりと体ごと向きを変えた。
「……」
深緋は水筒の口を、もう一度きちんと閉めた。
昨日まで、空中の姿勢制御はぐらついていたはずだった。今日の月草は、もう、横向きへの方向転換に入っている。
深緋の隣で、鶸も壁にもたれて休憩している。
「コキア」
「うん」
「ツキ、もうあれやってるんだけど」
「やってるね」
「ボク、横向き覚えるのに三日くらいかかんなかった?」
「四日」
「うわ、ひでぇ」
鶸は笑った。深緋は笑わなかった。笑わなかったけれど、嫌な気持ちではなく、ただ驚いていた。
月草はまだ着地のたびに、踵から下ろせずに、つま先で一度跳ねる。完璧ではない。完璧ではないのだが、月草は訓練のメニューが進むスピードが速い。飲み込みが良いだけではなくて、部屋に帰っても熱心にノートを書いている。
朽葉が片手を上げた。
「月草。今日はここまで」
「はい」
「明日は離着陸を二十回やる」
「二十回……」
「やれる」
「は、はい」
月草はぺこりと頭を下げて、訓練着の裾を引っ張った。それから振り返って、深緋たちの方へ小走りに戻ってきた。頬が赤くなっていた。
「ツキすごいじゃん!」
鶸が言った。
「ぐらってなっちゃったです……」
「最後はならなかったじゃん」
「でも最後だけで」
「最後にできたら全部できたってことだよ」
「そうなんですか?」
「そう」
月草は深緋の方を見上げた。深緋は水筒を月草に差し出した。
「お水飲みな」
「あ、はい」
「もう横移動まで進んでる」
「はい」
「早いね」
「まだ全然追いつかないです……」
月草は水筒を両手で持って、ちびちび飲んだ。深緋はその頭を、見ていた。前髪の生え際が、汗で少し濡れている。
「ぼくたちは、もっとかかったんだよ?」
「えっそうなんですか?」
「そうだよ」
月草は思いもよらなかったように、目を丸くした。
努力家だね、なんて言われたらどんな顔をするんだろうと、深緋は月草から見えない所でクスッと笑った。
*
訓練後に織部が部屋にやってきた。
「明日から三日間の合同任務です。第七地区外縁の避難支援。午後の座学は合同教室に変更です」
「はーい、え? 明日?」
丸テーブルにおかれた書類を鶸が眺める。
「いち、にー、さん……結構一緒に行く班いるね」
「そんなに?」
「ツキー、今回はにぎやかだよー」
「えっえっ……僕そんなすごいとこに行くんですか?」
「大丈夫、大丈夫」
アタフタしだした月草に、深緋は苦笑した。
「すごく、大きい任務なんですね……」
「ぼくたちは、こないだみたいに怪我している人たちを見て、医療チームに引き継ぐだけだよ」
「そうそう。いっぱい避難してきた人がいるから、大勢で行くけどね」
几帳面に数日分の遠征用の荷造りをしながら、月草はまだ心配そうだ。
「あの、何持っていったらいいですか?」
「うーん……図鑑とか?」
「いらないでしょ」
「えー、ひまだよ?」
「三日しかないのに」
「三日もあるんだよー」
鶸と深緋の顔を交互に見ながら、月草は任務バッグを前に途方に暮れていた。
*
翌朝。
いくつもの班が、二台のコンテナ車両の前にあくびを堪えて集合すると、ゾロゾロと分乗していく。深緋は早速端っこに陣取った。隣に月草、向かいにはさっそく支給の毛布に包まった鶸が座っている。月草は膝の上に任務バッグを抱えて神妙な顔をしている。
「ツキ、毛布取っておいで」
「毛布、ですか?」
「入口にあるから」
「え、気が付かなかった」
トコトコと毛布を取って来ると、月草は鶸のように毛布に包まって座った。車内には、南一班のほかに二班、特に見知った班ではないが同乗している。みんなほぼ黙っていた。任務の朝はだいたいこういう感じなのは、眠いからだ。
「ツキ」
「はい」
「移動の間は寝てな」
「……良かった。僕、眠かったです」
月草はホッとした顔で深緋を見た。
鶸が向かいから笑った。
「ボクも寝るー」
「そうだね」
「えへへ、おやすみなさい」
「おやすみ、ツキ」
「おやすみー」
月草は毛布に埋もれて壁に寄りかかると、車両が走り出す前にもう眠っていた。バッグを抱えていた手が緩んだので、深緋は任務バッグを横に避けた。
深緋は壁に頭をもたせかけて、目を閉じた。
しばらく走って休憩地点で車両が停まり、深緋は目を覚ました。突然、後部扉が開いて大人が入ってきた。
「現地が想定より混乱しているので、ここで任務指示を行います」
「……ツキ、ヒワ、起きて」
南一班だけでなく、他の班も慌てて寝ているメンバーを起こしている。
寝ぼけ眼の月草も資料を渡されて、ぼんやりしている。
「拠点は第七地区の外縁です。施設でも説明されたと思いますが、このコンテナ車両は医療チームの補助、振り分けの担当です。主に旧集落周辺の避難民を見てください」
深緋はあくびをかみ殺して、鶸の方を見ると真剣に資料を眺めている。珍しいな、と思った。
他の班から医療チームの場所や基準の細かい質問がいくつかあり、「では、十五分後に出発しますので、到着まで休んでいてください」と大人は出ていった。静かに後部扉が閉まった。
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