第13話:引き出しの奥(上)
簡易検査の待合は、いつも少しだけ肌寒い。
月草は長椅子の端に座って、膝の上で両手を重ねていた。隣で鶸がだらりと背もたれに体を預けている。その向こうで深緋が壁にもたれ、目を閉じていた。眠っているわけではないらしく、番号を呼ばれるたびに薄く目を開ける。
「十番入ってください」
白衣の人が扉から顔を出した。鶸が「はーい」と気のない返事をして立ち上がる。
「いってきまーす」
「いってらっしゃい」と深緋が目を閉じたまま言った。
鶸が扉の奥へ消えると、また待合は静かになった。月草は天井の照明を見上げる。検査は、慣れない。ずーっと慣れないだろうなと思った。座って、待って、呼ばれて、台に乗って、少し気持ちが悪くなって、戻る。毎回検査って聞くたびお腹のあたりが重たくなる。
しばらくして鶸が戻ってきた。心なしか顔色が悪い。長椅子に体を投げ出すように座って「うえー」と言って。
「次たぶんツキだよ」
「……はい」
「十二番どうぞー」
十二と書かれたタグを握りしめて、月草は検査室に入った。簡素な台に乗った。結局また耳当てだ。気持ちが悪くて痛いのは、おんなじだった。けれど以前に味わった、あの体の底の抜けるような、立てなくなるようなほどのつらさではない。
ぬるいお水をゆっくり飲めば、なんとか今回は歩いて帰れそうだ。
待合室に戻ってくると、深緋が呼ばれて出ていくところだった。鶸はもう長椅子で半分眠っている。
「ヒワ、大丈夫?」
「だいじょぶー……ちょっと気持ちわるいだけー」
鶸はそう言って、また目を閉じた。月草はその隣に座り直して、深緋が戻ってくるのを待った。
織部に連れられて南棟に戻ってくるとほっとする。南棟の廊下は、検査棟よりも空気がやわらかい。生活のにおいがする。月草はまだそれを上手に言葉にできないけれど、この棟に入ると体の芯がゆるっとする。
部屋に入ると、鶸が真っ先にベッドへ倒れ込んだ。
「もう動けないー」
「靴」と深緋が短く言った。
「えー」
「靴」と、もう一度深緋が言う。
鶸はうめきながら片足ずつ靴を脱いで、床に落とした。深緋はそれを拾って、そろえて壁際に寄せる。動きが普段の深緋より少しゆっくりだな、と月草は思った。
部屋の隅の小さな棚に、三人分の水差しが置いてある。深緋は小さな棚の上の水差しを取って、コップに水を注いだ。ひと口飲んでから、もう一つのコップにも半分だけ注ぐ。
「ヒワ、水」
「あとでー……」
「あとで飲みな」
「うー……」
鶸は枕に顔を半分埋めたまま、返事だけした。
月草も、自分のコップに少しだけ水を注いだ。両手で持って、ベッドの端に座る。ぬるい水を飲むと、お腹の奥がまだ少し重かった。
*
翌朝、鶸はいつも通りお腹が空いたと言って起き出した。
月草も少しまだグルグルしていたものの、動くのにはほとんど支障がない。
錫先生から出されていた宿題の続きをしようとして、引き出しの中で消しゴムを探していたらどんどん奥に転がってしまった。
ころん、と音がして、消しゴムは転がり、取れなくて腕を突っ込む。
「あ」
月草はしゃがんで、引き出しをもう少し開けた。奥の方へ入り込んでいる。手を伸ばしても届かない。引き出しをもう少し引いた。まだ届かない。もう少し。
がたん、と引き出しが外れて、落っこちてきた。
「わっ、わっ」
月草は引き出しを両手で受け止めた。尻もちをついたが、何とか中身はこぼれなかった。ほっとして、外れた引き出しを床に置こうとして――その奥の、机の奥の暗がりに、何か白いものが挟まっているのが見えた。
くしゃっと丸まりかけた、紙だった。
引き出しがあった場所のいちばん奥。普段なら絶対に手の届かない、見えもしない場所だ。月草は消しゴムのことを忘れて、首を傾げながらその紙に指を伸ばした。引っかかっていたそれを、そっと引っ張り出す。
折れ目のついた、皺だらけの紙。広げると、鉛筆で何か書いてある。
「……これ、なんだろう」
「ツキ、大丈夫ー?」
鶸が笑いながら、そばに寄ってきた。
月草は振り返った。
「ねえヒワ、これ。何か、書いてあるの」
深緋もベッドから立ち上がってやってきた。
「見せて」
月草は紙を差し出した。深緋がそれを受け取って、広げる。くしゃっと丸まった、白い紙だった。元はノートの一枚らしかった。端が破られた跡がある。
深緋の手が止まった。紙を開く指先が、ゆっくりと丁寧になっていく。皺を伸ばす指が少し震えているのが見えた。
「コキア?」
「なに、それ」
鶸は深緋の横から覗き込んだ。月草は二人の少し後ろから、その紙をのぞき込む形になった。
紙には、ばらばらに言葉が書いてあった。
第七、と書いてある。
その下に、旧集落、と。
離れたところに、獣害、という字。それを丸で囲ってある。
紋様、と書いた横から、矢印が伸びていた。矢印の先に、伝承、と書いてあって、最後の字は途中で消しかけたような線が引いてある。
ほかにも、いくつか線や丸があった。何かと何かを結ぼうとして、結びきれなかったような線だ。
「あ」
鶸の声が、いつもより少しだけ低かった。月草はその声に、つられて鶸を見た。
鶸は、紙を見たまま、ぽつりと言った。
「……これ、セイランの字」
月草は、深緋を見た。
深緋は、紙のしわを、指の腹でゆっくり伸ばしていた。深緋は何も言わずに、しわが落ち着くまで、紙を撫でていた。
「セイランの字だ」
「うん。セイランの字」
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