第11話:可動標的(下)
一瞬、鶸の体が光ったように見えた。
手を振り下ろした瞬間、鶸へ向かって一気に空気が流れ込んだ。月草の足が床から浮いた。飛んでっちゃう、と慌てたが、いつの間にか朽葉が月草の上着の背中側を掴んでいた。
鶸の体と同じくらいの刃が、轟音を立てて16番のパネルへ向かっていく。月草は思わず身をすくめた。
「相変わらず精度が悪いな」
朽葉がボソッとこぼした声が、すぐそばで聞こえた。
鶸の放った風刃は、パネルへ当たると重い音を立てて壁の中へ吸い込まれた。
月草は、思わずホッと息をついた。
朽葉が上空の鶸へ声を上げる。
「鶸、16番のどこを狙ったんだ」
「真ん中でーす」
「中心には当たっていない。精度が低い」
「ええー!」
「何年やっている。精度を上げろ」
「はーい」
「降りて休憩」
「えっもう!?」
「休憩」
黒鳶が「ほら! 前を見て降りる!」と鶸に口うるさく言っている。
朽葉は振り返り、後ろで淡々と的当て練習をしていた深緋に声をかけた。
「次、深緋。先に拘束訓練。鶸と同じ。黒鳶先生がチェック」
深緋は黙って頷いて、訓練場の中心の方へ行き黒鳶を待った。
月草はもう一度、両手を組んで集中する。細い針が手前で止まるように。
衝撃が飛び出していく。ターンと音がして、的に当たった。
「わ!」
「それでいい」
朽葉が頷いた。
訓練室の中央では、低い音が鳴った。
深緋が立っていた。
「あ」
「……拘束帯の力がちょっと強いかな」黒鳶が苦笑している。
拘束訓練で捕まえるダミーのディスクを潰してしまったらしい。
「すみません……」
「今日は二人とも張り切ってるなー」
深緋は黒鳶に皮肉っぽく言われて、口元を不満げにギュッと結んでいる。
次のディスクが飛んでくる。まっすぐ胸の高さに伸ばした手のひらから、白い帯がしゅーっと音を立てて伸び、ディスクに絡みつく。
「そのまま維持、10秒」
「はい」
空中でピタリと止まった帯は透けていて綺麗だった。黒鳶の合図で、帯が深緋の手元まで縮んで戻り、ディスクは足元に投げられた。深緋の足元には、既にディスクがいくつも積まれていた。
帯が消える時、水飛沫が上がった。深緋は顔にかかって少し顔をしかめる。あれ、お水なんだ、と月草は気づいた。
「じゃあ飛行メニュー、そのまま進んでいいかな?」
「大丈夫」
軽く膝を曲げたと思ったら、あっという間に訓練場の中ほどの高さまで深緋は上がっていた。ちょっと高くジャンプするくらいの動きだったのに、と月草は目を丸くする。
深緋がすっと手を胸元へ上げた。
ぼ、と空気が鳴った。
深緋の手のひらに橙色のゆらゆらした炎がたまる。
「鶸と同じで14から26まで順番に当てろ」
黒鳶が指示を出すと、深緋は炎を撒くように、右から左へ手のひらを払うと、十二個の炎の塊が糸を引くようにまっすぐパネルへ飛んでいった。逆順では、炎の帯がパネルを繋ぐようにバタバタと叩いていった。
「おーさすが深緋」
深緋は涼しい顔だ。
「じゃあ出力上げる。まず多いほうから」
「はい」
胸元の手のひらにもう一度炎を溜めると、一瞬深緋の目が光る。手のひらから次々に火花が生まれてはパネルに飛んでいく。ごうっという大きな音とともに、バチバチという激しい音が訓練場中に響く。
「うっるさ!」鶸が耳をふさいだ。
月草も思わず二、三歩後ろに下がった。
深緋は大量の火花を飛ばした後、目を細めて鶸に言う。
「ヒワだってうるさいじゃん」
「ボクがうるさいのは口だけでしょ!」
「自覚あったんだ」
「なにそれー!」
「はいはい、二人ともそこまで!」
黒鳶がため息をついて「次、大きい方で」と深緋に指示する。
そこで深緋は顎に手を当ててちょっと考えている。何にしようかな、というような。
「燃やすなよ?」
「わかってる」
深緋は黒鳶を見ずに答えると、胸元に構える左手の下に右手もそっと添える。
そしてゆっくり、息を吐いた。
「出力大、出ます。備え」
深緋の凜としたハリのある号令と共に、空気が、ぐ、と熱くなった。
月草は反射的に後ろに下がった。背中が朽葉にぶつかり、そのまま支えてくれた。
「よく見ておけ」
「はい」
深緋の左手の手のひらの、炎が膨らんでいた。大きくなっていく橙色の塊が、ぐるりと回って、形を整えた。もう眩しい。
ごうっと音がなって、大きな炎の塊が的に向かって発射された。
深緋の体が反動で少し後ろに飛ばされる。
炎はパネルの手前でぐしゃりと形を崩して散った。
「あれが、深緋の手加減だ」
「えっ」
「あれが、お前の仲間だ。覚えておけ」
「……はい」
月草は立っているだけで精一杯だった。ちょっとだけ強い魔法は怖かったから。
*
「班で可動標的の訓練を始める」
訓練室の中央で、低い駆動音が鳴った。
床の一部が開き、小さな球体が浮かび上がる。これが可動標的か、と月草は思わず背筋を伸ばした。球体は一度ふらつくように揺れてから、すうっと上昇する。鶸がもうソワソワしている。
月草は床の中央より少し後ろ、深緋は左、鶸は右の空中にいた。
「条件あり」
朽葉が続ける。
「鶸、撃墜禁止」
「えー!」
「深緋、拘束禁止。撃墜禁止」
「え、最初から?」
標的が頭上を横切った。 標的は天井近くまで上がると、不意に向きを変えた。右へ飛んだかと思えば急停止し、そのまま後ろへ下がる。動きに規則性がない。
月草は思わず見上げる。
「じゃあボク追い込み? 牽制?」
「そうなるね、ぼくも」
月草は二人を見た。少しだけ緊張した。
「ツキ、いけるね?」
「やります」
深緋に問われて月草が答えた瞬間、標的が急降下した。
鶸が早速、手刀を振る。風が標的の横からぶつかり、標的の軌道がわずかに逸れた。
そこへ深緋が炎の帯を走らせる。
細く長い炎が空中を横切り、標的の進路を塞ぎ、逃げ道を妨害した。標的は炎の帯を避けるように方向を変える。
月草は両手を組み、衝撃波を放った。しかし標的はすでに移動して、衝撃波は空を切る。
「あー、もうあんなところまで行ってる」
鶸が言った。
標的は天井近くまで上昇し、そこから急旋回する。鶸は床を蹴って、標的のさらに上に回り込む。
月草は視線で追った。
動きが不規則で狙いを定めにくい。だが、しばらく見ているうちに気づく。
標的は完全に自由に飛んでいるわけではない。風が来れば避ける。炎があれば別の方向へ逃げる。その反応には一定の傾向があった。
標的が左へ逃げる。鶸の風がそれを押し戻す。上へ逃げようとした先には深緋の炎がある。標的は進路を変えた。
その瞬間、月草は次に通る位置がわかった。
狙いを定めて衝撃波を放つ。バンッと音が鳴った。標的が大きく揺れる。
「あ!」
「当たったー!」
標的は姿勢を崩しながらも飛行を続けようとする。
だが動きは鈍くなっていた。
「ツキ、もう一回!」
鶸の風が標的を押す。深緋の炎が逃げ道を塞ぐ。月草は標的の進路を見極め、再び衝撃波を放った。
今度は正面から命中する。
標的は回転しながら落下し、床にぶつかって転がった。訓練室に終了音が鳴る。
月草は思わず息を吐いた。
「やったじゃん」
「ちゃんと当たったね」
鶸が駆け寄ってくる。深緋も頷いた。
月草は息を整えるだけで精一杯だ。汗が止まらない。
*
地下訓練室を出ると、廊下の空気はひんやりとしていた。汗をかいた肌に、それがちょうどよかった。
鶸が大きく伸びをして、それから水筒を逆さにして最後の一滴まで飲もうとした。
月草はぼんやりと自分の手のひらを見ていた。指先の、ちりちりした感覚が、まだ少しだけ残っている。
「ツキ?」
何度か呼ばれていたらしい。はっと顔を上げた。
「あ、うん」
「水、飲んだ?」
深緋が振り向いて言った。月草が首を横に振ると、深緋は自分の水筒を差し出してくれた。
「ちゃんと水飲みな」
「……うん」
通路の角で、白衣の大人が二人、足早にすれ違っていった。書類を抱えていて、何かを早口で話している。「帰還組が」とだけ聞こえて、あとはもう聞こえなかった。月草は少しだけ振り返ったが、鶸は気にもとめていない。
「ねえ、夕飯なにかなー」
鶸の声が、廊下の角に吸い込まれていく。
月草は、空になっていく水筒を握りしめながら、二人の後ろをトコトコと歩いた。手はまだ少し震えていた。けれど、胸の高鳴りが止まらない。
(了)
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