第10話:もういっかい(下)
部屋に戻ると、鶸が真っ先にベッドにダイブした。
「あー、つかれたー」
ここにも暴走するタイプがいたっけ、と深緋は思い出す。
月草も訓練着から部屋着に着替え終えて、すぐにベッドへ倒れ込んだ。今日はかなり集中していたから、さすがに疲れたのだろう。けれど、まだ少し顔が赤かった。
「ツキ、今日ちゃんと的に当たったじゃん」
鶸が毛布へ埋まりながら言った。
「……最後だけ」
「でも当たってたよー」
「うん……」
月草は、毛布を抱えながらちょっぴり笑った。
「あと、魔法を迷わずに出せたね」
深緋がポットでお湯を沸かしながら言う。
月草は一瞬だけ目を丸くした。
「……あ」
「前よりちゃんと出せてた」
「……うん」
その返事は、さっきより嬉しそうだった。
鶸が急に起き上がる。
「ボク先シャワー! 汗きもちわるいー!」
「ヒワ、着替え持ってって」
「あ」
鶸は固まった。
「コキア、ボクの着替えどこー」
「朝、自分でしまってたでしょ」
「えー……」
クローゼットの前の床を、ごそごそ探し始める。
月草は、その様子を見ながらくすくす笑っている。
「ヒワ、そこじゃない」
「えっ」
「下」
「あ、ほんとだ」
鶸は着替えを引っ張り出して、訓練着を肩に引っかけたまま洗面所へ向かった。
「いってきまーす!」
「シャワーなのに?」
「そうだよー!」
勢いよく扉が閉まる。
すぐに中から、ガタガタと何かを落とす音がした。
「ヒワ?」
「だいじょぶー!」
全然だいじょぶそうじゃない音だった。
月草はとうとう吹き出した。深緋は呆れ返った顔をしている。
しばらくすると、洗面所の向こうから鶸の声が聞こえてきた。
「うわ、肩いたーい」
「変な力を使いすぎ」
「クロトビ先生にも言われたー」
「だから狭域訓練だったんでしょ」
「えー、でもあれむずかしいよー」
シャワーの音が強くなる。
「ツキ、最後どうやって当てたのー?」
「えっ」
「なんか急に当たったじゃん」
「……手前で止めたいと思った」
「おー」
月草は、自分の手を少し見た。
「まっすぐ出そうとすると、強く飛ぶから」
「うんうん」
「ちょっとだけでいいって、考えたら」
「当たった?」
「……うん」
その声は、自分でもまだ不思議そうだった。
深緋はぬるめに淹れたお茶のカップを、月草に持たせる。
「ちゃんとお茶は飲んで」
「あ、はい」
月草は両手で受け取る。
「クツハ先生にも言われてたね」
「……うん」
月草はお茶をゆっくり飲みながら、少し黙った。
「ぼく」
「ん?」
「今日、ちゃんとできなかったら」
「うん」
「もう魔法使えないのかと思ってて」
洗面所の向こうが少し静かになる。
「でも、最後、当たったから」
「うん」
「……ちょっと安心した」
深緋はベッドの縁へ腰を下ろした。
「明日もあるしね」
「はい」
月草は頷いたあと、少し迷うみたいに口を開いた。
「……明日、もっと早く出せるようになりたい」
「ん」
「ぼくは……」
「うん」
「任務の時、ぼく全然動けなかったから」
月草は毛布をぎゅっと握った。
「次は、止まりたくない」
その言葉は小さかったけれど、この前みたいな怯え方ではなかった。
そして、洗面所の扉が少し開く。
「ねー! コキアー!」
「なに」
「タオルわすれたー」
「さっき持ってったでしょ」
「あれ顔ふくやつだった」
「同じだよ」
「やだー」
深緋はため息をつきながら、棚の上のタオルを丸めて投げた。
「わ」
「ちゃんとキャッチして」
「かんぺきー!」
扉が閉まる。
少しして、「あっつー!」という声が聞こえた。
月草はベッドへ転がったまま、またくすくすと笑った。さっきまで張っていた肩の力が、だいぶ抜けている。
「ヒワは、元気だね」
「ヒワはね、うるさいんだよ」
「……うん」
月草は天井を見ながら、小さく息を吐いた。
「でも」
「ん?」
「明日、また訓練あるの、ちょっと楽しみです」
深緋はニヤッとした。
「そっか」
「はい」
月草は、それだけ言って毛布へ半分潜り込んだ。
しばらくして、鶸が濡れた髪のまま戻ってきて、もう図鑑の写しの続きを気にしていた。
「あー、あの続き読みたいー」
「ちゃんと拭いてから」
「はーい」
月草はベッドの上で、その様子を見ながらまた笑っていた。
ようやく床を拭き終わると、鶸は自分のベッドへ倒れ込んで、そのまま図鑑の写しを開いた。少し前なら、そのまま寝落ちしていたのに、最近はちゃんと起きて読んでいることが増えた。
鶸は成長した、と深緋はぼんやり思った。
月草は、毛布を抱えながら図鑑を読んでいる鶸を見た。
「ヒワ」
「んー?」
「今日、ありがとう」
「え、なにがー?」
「いっぱい声かけてくれたから」
「えへへー」
鶸は嬉しそうに笑った。
「でもツキ、ちゃんと自分でやってたよー」
「……うん」
月草は少し照れたみたいに頷いて、それから毛布へ顔を半分埋めた。
*
夕食から戻ってきた後、月草はノートを開いた。今日の訓練で言われたことを、書き留めているらしい。長いこと時間をかけて、眠そうに目をこすりながら書いている。
深緋はゆっくり時間をかけて、お茶を淹れた。月草のカップには砂糖をふたつ。自分のカップに砂糖はいらない。
「コキア」
「ん」
「僕、クツハ先生って、いつも怒ってるんだと思ってた」
「うん」
「でも……そうじゃないんだね」
「そうだね」
月草はノートに戻った。
朽葉は子どもたちを守るために厳しいだけだと、深緋は知っている。深緋はお茶の入ったマグカップを、月草の机にそっと置く。「あ、ありがとうございます」と慌てて早口で言われる。
月草はしばらくしてから、また顔を上げた。カップを両手で持って、お茶を飲む。
「コキア」
「ん」
「明日、僕できるようになるかな」
「うん」
「もしできなかったら」
「明後日がある」
「……うん」
月草はノートを閉じた。鉛筆を机の脇に揃えて置いた。鉛筆は二本ともきれいに揃っていた。
「ツキ、寝な」
「うん」
月草はお茶を飲み干し、歯磨きをして、ベッドに入った。
「コキア」
「ん」
「おやすみ」
「おやすみ」
鶸の布団の方からは、もうずいぶん前から寝息がしていた。深緋も自分のベッドに戻った。月草の方を一度だけ見た。月草はもう目を閉じていた。布団の中で、まだ少しだけ指先が動いていた。明日の動きを、たぶんなぞっている。
廊下でいつもの足音が聞こえる。今日も灰桜だな、とわかる。深緋のベッドのそばのスリット窓の前で止まり、その後足音は去っていく。
(了)




