第09話:避難経路(下)
流れの後半は、最初より静かだった。住人の数は減って、最後は数人ずつになった。鶸は誘導台を降りて、広場から通りを一度端まで歩いてきた。
「コキア、西側もう来ないってー」
「うん」
「東は?」
「あと数人」
「はーい」
鶸は月草の隣に立った。月草はちらと鶸を見て、また通りの方を向いた。鶸は何も言わなかった。月草は肩紐がねじれているのを、立ったまま片手で直していた。
最後のひとりが、通りを抜けた。荷物の少ない若い男だった。深緋は男が車両の列に辿り着くまで見て、それから広場の中心に目を向けた。
町が急に静かになった。
戸はほとんど閉まっている。荷車の音もない。住人の声もない。風だけが、通りを抜けていく。
吊り飾りが、カラン、と小さく鳴った。
強い獣の臭いはまだしている。
通りの向こうでは、大人たちがまだ車両の誘導を続けていた。
地図を持った職員が、別の誰かへ紙を渡している。
「第七地区側、また増えてる」
「避難区域、今夜もう一段広がるかもな」
そんな声が、遠くで聞こえた。
白線だけが、足元に残っていた。
「終わったー?」
鶸が深緋を見た。
「落ち着いたかな」
「あー、よくはたらいた!」
鶸はぐーっと高く伸びをして、満足げに笑った。
*
車両まで戻り、大人があちこちに連絡している間、深緋たちはいつもの固いビスケットを食べていた。気づけば昼をかなり過ぎていた。
避難車両の列はまだ少し残っていたが、全員乗って安全な場所まで逃げられそうだと大人たちが話していた。
鶸は水をぐびぐびと飲んでいる。月草は水筒を出したまま、ぼんやりとしていた。重いジャケットを脱いで、導線グローブを外して、そこでホッとして気が抜けているようだ。
まだ少し月草の体が震えている。
「ツキ、水は飲みな」
「……うん」
月草は蓋を開けた。一口飲んで、急に喉の渇きに気づいたようにゴクゴク飲み始めた。深緋はそれを確認して、ポリポリとビスケットをかじりはじめた。この携帯食は口の中がパサパサになっていつまでも好きになれない。
「瓦礫、誰も怪我しなくてよかった」
「あー、ね!」
「うん」
「ボクー、コキアの声で目が覚めたー」
「その前に飛んでたじゃん」
鶸はニヤニヤしている。あれが一番、鶸が褒められて満足している時の笑い方だ。深緋は水を飲み干して、水筒の蓋を閉めた。
水をもらいに外へ出ると、車両部の大人たちが地図を広げて話している。
「南下じゃなく東へ流れてる」
「第七周辺は迂回するルートだな」
迂回。どうやら帰りは時間がかかりそうだ。水筒に給水所から水を足して戻ると、鶸はもう後ろの席で寝転がってうつらうつらしている。月草は食べにくそうに、ビスケットをもそもそと食べている。
車両が走り出してしばらく、月草は黙って窓の外を見ていた。並木が始まる手前で、月草が小さい声で言った。
「コキア」
「ん」
「ヒワ、すごかった」
「うん」
「……僕もあんな風に助けたい」
月草はずっと窓の外を見ていた。深緋はひとこと、短く返した。
「うん」
鶸は通路側で、何か小さく鼻歌を歌っていた。
窓の外に並木、そして建物が戻ってきた。月草の手は、まだ少しだけ膝の上で動いていたが、しだいにコクリコクリと頭が揺れて眠っていた。
(了)




