第08話:沿岸の町(上)
移動車両は、施設の南門から出た。
外周道路は思ったより揺れる。月草は座席のベルトを両手で握ったまま、窓の外を見ていた。窓の外は、施設周辺の整備された道から、だんだん舗装の継ぎ目が荒い道へ変わっていく。
車両の前方には大人が二人乗っている。運転手と、もう一人は助手席で書類を見ている。他の班の子どもはそれぞれ分乗して、担当地点へ向かっている。
「あとどれくらい?」
月草が小声で訊いた。
「四十分くらいかなー」
「もうちょっとかかるよ」
深緋は短く返した。
膝の上の月草の指先が、ズボンの布をつまんでは離している。隣の席で深緋は横目でそれを確認して、特に何も言わなかったが、ちょっと迷って背中を少しさすってやった。
「ツキ、ベルトきつくない?」
通路を挟んだ向かいから、鶸が身を乗り出して言った。
「だいじょうぶ」
「肩のとこ、ここで緩むよ」
鶸は自分のベルトを引いてみせる。月草は同じところに指を当てて、少しだけ緩めた。肩が軽くなる。
施設の塀が遠ざかって、それから林が続いて、しばらくすると、低い屋根の集落が遠くに見え始めた。並木が途切れる。畑が見えて、すぐに低い丘になる。
月草は窓の方へ少し身を傾けて、外を見ていた。
「ツキ、眠いでしょー?」
「……少しだけ」
「寝ていいんだよ、疲れちゃうし」
「でも……」
「小さいうちは眠くなるのふつうー」
「ふつう?」
「そだよー」
鶸は座り直して、思いっきり足を投げ出した。すぐに職員から「足はしまって」と声が飛んで、慌てて引っ込めた。
そして鞄の上に頬杖をついて、半分目を閉じていた。確かに成長してから、前ほどずっと寝ている印象は少なくなったな、と深緋は思った。
車は、検問らしき場所で一度止まった。窓の外で、大人が紙を確認している。職員が短く言葉を交わして、また走り出す。
*
次に車両が止まったのは、第八地区の入り口の少し手前だった。検問のような小屋がある。大人が降りて、書類を出している。月草はそれを窓越しに見ていた。
深緋は地区図を鞄から出した。南区第八地区。中央に細い通り。両側に住宅。北側に倉庫。南側に水路。担当区域は、地区の東側半分。誘導線は二本。待機位置は三カ所。
「ここから歩くってー」
「行くよ」
「は、はい!」
月草もあわてて立った。立った拍子に、座席の角に膝をぶつけたのが音でわかった。深緋は、月草の鞄の肩紐がねじれているのに気づいて、直してやった。
降りて、足を地面につけると少し湿った土の匂いがする。施設の周りの土とは違う匂いだった。土と、古い木の匂い。それから、どこかで何かが燃えた臭い。
通りに入る。両側の家は、戸が閉まっているものと、開いているものがある。開いている家の戸口には、布の札がかかっていた。赤と、それから何かの植物の模様が扉に書いてある。
月草はそれを見たのか、深緋に駆け寄ってくる。
「きれいな模様ですね」
小声で月草がささやく。深緋は建物を見る。一瞬間が開いた。
「……そうだね」
ああ、あの模様だと気づかないわけがなかった。
避難経路の誘導白線が、通りの端から東へ伸びている。途中で枝分かれして、別の通りへ抜ける。線は所々で薄くなり、雨で消えかけている所もある。
最初の深緋たちの任務は、その線を補強し、待機位置で人の流れが来た時には誘導することだった。
「ヒワ、こっち先やる」
「はーい、じゃあツキはボクとやろうか」
鶸は手早く、支給された白い塗料で薄くなった線の上をなぞり始めた。月草も、自分の分を渡された。
「どれくらい濃く塗ったらいいの?」
「見えるくらいかなー」
「うん……」
月草はおそるおそる引いた。線は途中で曲がった。
「……曲がっちゃった」
「へーきへーき。あとで上から引くから」
「ごめんなさい……」
「だいじょぶだって!」
深緋は反対側の線を伸ばしていた。鶸と一緒にやるなら、たぶん鶸の仕事を直すことの方が多そうだな、と思っている。
しゃがんで作業をしていると、通りの先で戸が一つ開いた。年配の男の人が出てきて、桶を持って、家の脇の水場まで歩いていく。こちらを一度だけ見て、それから水を汲み始めた。月草が、しゃがんだまま男の人の方を見ているのが視界に入った。
「ヒワ」
「んー?」
「ここ、住んでる人いるの」
「そりゃいるよー」
「……避難しないの?」
「するときは、するよー」
「そうなんだ……」
月草は線に視線を戻して、どんどん線の塗り直しを進めている。手際よく飲み込みも早い。
昼前の巡回を行う。担当区域を端から端まで歩く。それだけだ。途中、住人とすれ違うことが二度あった。一度は年配の女の人で、洗濯物を抱えていた。すれ違いざまに軽く頭を下げてきたので、深緋も下げた。鶸も下げた。月草は慌てて最後からペコリと頭をさげていた。
もう一度は、子どもだった。月草より少し小さいくらいの子が、家の中から顔だけ出して、こちらを見ている。月草が立ち止まりかけたので、鶸が肩を軽く押した。
「行くよー」
「……うん」
角を一つ曲がると、家の戸口に、何かが下がっているのが見えた。白い布に、赤い糸で何か縫い取りがしてあった。文字なのか模様なのか、月草にはわからなかった。
戸口の上に、また札が下がっていた。今度のは、吊り下げ式の小さな飾りだった。木でできていて、風で少しだけ揺れていた。
「コキアー」
鶸の声が、向こうの路地から響いた。
「西側、通れるよ!」
「了解」
深緋も、それくらいの声で返した。大声ではないけれど、よく通る声だ。
ここはいつか、誰かが帰ってくるための街だ。きっと。




