第06話:検査の日(下)
いつもの負荷テスト。
視界がだぶってきて、平衡感覚がなくなる。むかむかしてくる。頭が痛い。魔法の通り道が、焼け付くような痛み。頭の中でトゲトゲの歯車が回っている。
慣れているから、と深緋は自分に言い聞かせる。
何度でも受けなければならないのは、知ってる。知ってる、でも、とも思うこともある。
耳当てが体温に馴染むころ、ようやくテストは終わる。
検査担当のスタッフから、紙コップを受け取って、ぬるい水を半分飲んだ。少しテーブルに手をついて、足に力が戻るまでゆっくり一口ずつ水を飲む。
「深緋、歩ける?」
「うん、でももうちょっと」
まだ地面が回っているようで、ゆっくり一歩ずつ歩いて検査室から出た。
*
待合室では、月草はまだベンチにきちんと座っていた。鶸はその隣で、頭を後ろの壁にもたれさせて目を閉じていた。なんとか起き上がったらしい。
「おかえりー」
「うん」
扉が開いた。
「月草、どうぞ」
ビクッとした月草が、ベンチからゆっくり立ち上がった。踏み出すときに、一度よろけた。深緋はなぜか、あの保護した時の夜を思い出した。
「……いってき、ます」
「うん」
「いってらっしゃーい」
月草は処置室に入っていった。扉が閉まった。
鶸は壁にもたれて目を閉じたまま、口を開いた。
「コキア」
「ん」
「ボク、やっぱ横になってていい?」
「いいよ。水飲めた?」
「あんまし」
鶸は、横に置いてあったボトルに口をつけて、ちょっと飲んだ。それからまた目を閉じた。鶸はゆっくりベンチに横になる。見慣れたいつもの鶸だ。
深緋は鶸の隣に座って、自分も壁にもたれた。壁の時計の秒針の音が、変わらず響いている。
月草が出てくるまでの時間が長かった。
扉が開いたとき、医療スタッフが月草を抱えていた。月草はスタッフの肩に頬をくっつけて、目は半分閉じていた。
織部が迎えに来ても、月草はまだ話もできない状態だった。織部がスタッフに頼んで、月草は背負われて南棟まで帰った。
「二人は歩ける?」
「うん」
「歩けるー」
織部のあとをついて、南棟への廊下を歩いた。月草は青い顔のまま、スタッフの背中で動かなかった。鶸は、深緋の少し後ろからついてきた。
*
部屋に戻ると、織部が月草をベッドに下ろした。彼女が出ていくと、部屋は急に静かになった。
深緋は、いつものように机に出しておいた紋様集をベッドに置いた。
鶸は、自分のベッドに横になっていたが、しばらくしてヨロヨロ起き上がり、それから、ぽつりと言った。
「ボク、ちょっとトイレへ」
「うん」
「えへへ、身体大きくなったから、検査も楽になると期待してたのに、おかしいなー……」
鶸が洗面所へ向かう。扉が閉まる音は、いつもよりソフトだった。
月草は、毛布の上に横向きに寝かされて、ぼんやり薄目を開けている。深緋は真っ青な顔色の月草の横へ、椅子を引いて腰掛けた。
「ツキ」
「……」
「きもちわるい?」
「……うん」
「痛みは残ってる?」
「……せなか」
「そか。お水は飲んだ?」
「うん」
深緋は、月草の毛布を肩の上までかけてやった。ベッドに置いた紋様集と色鉛筆を持ってきて、月草の隣の椅子に座り直す。
深緋も胃の奥はまだ重い。首と後頭部はまだ熱い。耳の奥の低い音は、もう消えていた。頭の芯のところだけ、まだぼうっとしている。
「……コキア」
月草が、目を閉じたまま言った。
「ん」
「……なんでぼくだけ、がんばれなかったのかな」
「ツキはがんばったよ。……そう、ちっちゃい子のほうが、大変っていう話、聞いたことある」
「……そう、なの?」
「うん」
「……僕、こんなで、やくにたてるのかな」
「大丈夫だから、ツキ。寝な」
月草は、それきり黙った。月草の瞑った目から涙が流れた。
深緋は、蔓の渦の隙間をゆっくり塗っていた。鶸はまだ戻ってこない。
扉が、静かに開いて鶸が戻ってきた。そのまま足音を立てずに自分のベッドに入って、毛布を頭まで被った。毛布の山が、ふう、と一度だけ動いた。
月草の呼吸が、少し深くなっていた。眠ったのを確認して、深緋は自分のベッドへ戻った。
蔓草の模様を塗り続ける。痛みと吐き気は去っていかない。でも塗っていると、頭の中の音や引っかかれて絡まるような感覚が少しずつほどける。
深緋の大切な儀式だった。
窓の外は、まだ曇っている。
夕方、織部がもう一度来るまでには、まだ時間がある。
深緋は、次の色を手に取った。ゆっくり息を吐く。唾を飲み込んで、色鉛筆を握りなおした。
(了)




