第05話:大丈夫だよ(下)
昼食のあと、午後は訓練だった。
部屋に戻って、訓練着に着替える。鶸は脱いだ部屋着を椅子の背にぽいと放って、「あー、ランドリー袋どこだろ」と言った。深緋は「ベッドとクローゼットの隙間に落ちてる」と答えた。
深緋がシャツを脱いだ。
昨日と同じだった。左肩の少し下から、腕の外側へ。赤黒い線。縫い跡。目に入ってしまった。月草は、訓練着の上だけ着た格好で、ベッドの端に座ったまま動けなくなった。
深緋が訓練着のシャツを手にして、袖を通そうとして、ふと、こちらに気づいた。
「ツキ?」
月草は口を開いた。口の中がカラカラだ。
「……コキア」
「ん」
「……あの」
「うん」
「……ごめんなさい」
言ってしまってから、あ、と思った。
言ってしまった、と思った。
深緋は、シャツに片腕だけ通したまま、少しのあいだ動きを止めた。それから、ゆっくりもう片方の腕を通した。襟元を整えながら、ベッドの端に座っている月草の正面に立った。
「あの、そのッ、肩の怪我……」
「……ああ、これ?」
深緋は、自分の左肩のあたりを、指で軽く触った。
「……うん」
「うん、ツキだね」
あっさり言われた。
月草は、思わず深緋の顔を見た。深緋は、怒ってもいなかったし、悲しそうでもなかった。むしろちょっと不思議そうな、いつもの顔だった。
「……怒ってない?」
「うん、なんで」
「……痛かった?」
「痛かったよ」
「…………」
「でも、もう痛くないよ」
深緋は、訓練着のシャツの裾をきゅっと引っぱって整えた。
「そもそもツキは初発で、暴走しかけてた時だもん。任務で怪我は仕方ないよ」
「……でも」
「ヒワなんか、もっとすごかったよ」
床で訓練着のズボンに足を通そうとしていた鶸が、ぴたっと止まった。
「えっボク?」
「言っていい?」
「だめ」
「ヒワ、最初のころ、気分が乗ると止まんなくなってね。ぼく、任務で壁の陰にいたら、そのまま吹っ飛ばされた」
「言ったー!」
鶸が頭を抱えてひっくり返った。
「確か、肩が外れて左腕の骨も折れた」
「やめてー!」
「あと左足も縫った、ほら」
「コキアー!」
鶸は片足にズボンを引っかけたまま床に転がって、両手で顔を覆った。
ほら、と言って見せた深緋の左足には、薄く残る長い傷があった。
「ツキの前で言わないでー! 恥ずかしいしー!」
「ほんとのことだよ。昔は何回も巻き込まれて怪我したし。ぼくだけじゃないよ」
「だってボクちっちゃかったんだよ! あんなに建物がやわらかいなんて知らなかったんだから!」
月草は、ぽかんと見ていた。
それから、思わずふきだして笑ってしまった。
「ツキに笑われてるよ」
「……ちょっとだけ」
「笑わないで、恥ずかしい」
鶸は床に転がったまま、ジタバタしながら、ぐいーんと足を伸ばしてズボンを引き上げて、ようやくちゃんと履いた。それでも顔は赤かった。
「ヒワにはいっぱい怪我させられてるけど、それは強いからだってわかるし」
「コキアはやらないじゃん」
「じゃあ、ちゃんと理性が切れないようにしてね」
「がんばってるんだよ?」
「知ってるよ。でももう、ぼくの頭割らないでね」
「また嫌なこと思い出すじゃんー……すっごい怒られたんだから、あのときは」
深緋は笑っていた。鶸も、口では「やめて」と言いながら、なんだか笑っていた。月草も、まだ思い出しては笑っていた。
深緋は、ベッドに座っている月草の前にしゃがみこんだ。
「だから、この肩の怪我も、ぼくにはふつう」
「……ふつう?」
「うん。そんなもん」
それだけだった。
深緋はそれだけ言って、訓練に持っていく水やタオルをまとめていた。話はもう終わったみたいだった。
月草は、自分の訓練着のズボンに足を通した。
胸の奥のざわざわが、ぜんぶ消えたわけではなかった。傷のことを思い出すと、まだ少しだけ、ぎゅっとなる。
でも、なんだか、胸がほんの少し軽くなった気がした。
「ヒワ、ちゃんと前閉めな」
「これでいいのー」
「用具に引っかけるから」
「後で閉めるー」
月草は訓練着のジッパーを上まで上げて、立ち上がった。
窓の外は曇りだった。地下訓練場へ行くから、天気は関係なかったけれど、なんとなく窓を見た。
「いこっか」
「いこー」
「……うん」
三人で部屋を出た。
廊下に出ると、よその班の声がどこかから聞こえた。
鶸が先に歩いていって、振り向いて「はーやーくー」と手を振った。深緋が「はいはい」と歩く。月草は、その二人のすこしうしろを歩いた。
ステーションの前で、鶸が振り返って、「ツキー、はやくー」と、また呼んだ。
「……いま行く」
月草は、少し早足になった。
(了)
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