第02話:基礎座学クラス(下)
授業が終わって、先生が「おつかれさま」と言った。
「お迎えここで待ってるといいよ」
桔梗が、教本を重ねながら言った。
「いいの?」
「みんな前を通るでしょ? キョウはいっつも待ってるよ」
「うん」
「ねぇねぇ、教本縛るの難しくない?」
「……うん」
月草は、うなずいた。朝、深緋が手早くクルクルと巻いていたようにできなかった。
「毎日練習してるのに全然うまくならない」
「コツがある?」
「あるのかな? アンズに聞いてみようっと」
「うん」
桔梗はうんうんと頷きながら「教えてあげるね」と張り切っている。
「キョウはさ」
「うん?」
「キキョウって名前なのに、キョウなの?」
「最初はキキョウって呼ばれてたんだけど……」
「けど?」
「アンズに『キョウの方がかわいい、わたしっていうのもやめてキョウって言いなさい』って決められた」
「ええっ…」
月草が心底驚いているので、桔梗はお腹を抱えて笑い出した。
「そ、そんなにびっくりしなくても……アハハ……別に嫌じゃなかったし、気に入ってるよ? アハハハハハ!」
桔梗は机へ突っ伏して笑っている。つられてまた月草も笑った。
「そ……そうなんだ、よかった」
廊下から、他の教室を出てきた子どもたちの声が聞こえ始める。
「僕もヒワに長いからって、ツキって呼ばれてるの」
「ツキ! カワイイ! キョウもそう呼んでいい?」
「あ、えっと……うん」
「やったぁ」
ちょっぴり照れ臭くて、とても嬉しかった。もじもじと教本を束ねた紐をいじってしまう。
そのとき、ドアから覗く顔があった。
「ツキー? いたいた。お昼食べるよ、おいでー」
鶸が寝起きのような顔で呼ぶ。ほっとしたような、少し名残惜しいような気持ちで月草は立ち上がった。
「またね、えと……キョウ」
「またねー、ツキ!」
*
廊下に出た。
「もうキキョウと仲良くなったの?」
「……えと、仲良いかどうかはよくわかんない……かも?」
「えー、キョウって呼んでたじゃん」
「それはッ……そう呼んでって言われて」
「仲良しじゃんー」
鶸がずっと肘でうりうりしてくるので、月草は困ってしまった。目で深緋に助けを求める。
「そのくらいにしな、ヒワ」
「だってー、ツキの反応がかわいいんだよー」
「それは、わかる」
「ええッ」
月草はちょっと涙目になる。
食堂へ向かいながら、鶸が伸びをしてあくび混じりで言う。
「お昼ごはんはね、たぶんミートソースだよー」
「なんでわかるの」
「匂い」
「ヒワの鼻は魔法がなくても強いね、ごはんだけ」
「そうだよー」
月草を挟んで、二人が話すのを聞きながら『みーとそーす』って何かな?と楽しみになった。
*
ミートソースって、今まで食べたものの中で一番おいしいものだ、と月草は確信した。トマトもお肉も、巻いて食べるのも楽しい。
夢中で食べている月草の横で、「ヒワ、ミートソース飛ぶから」と深緋が言っている。
午前中が座学だったからか、周りはガヤガヤと賑やかだ。
「そっか、ツキは気象から授業に入ったんだね」
「……ッはい」
「飛行適性あったら、気象も地図も読めると楽だよ」
「へーそうなのー?」
「ヒワも読めてほしいんだけど、ちょっとでもいいから」
「ヒワさんは、読めない……?」
「ちょっとは、ちょっとは読めるようになってるよ!」
鶸は、フォークに巻きつけ過ぎたパスタを、無理やり口に入れてリスのようになっている。
「ヒワは感覚で人や物の場所が把握できるけど、あれはおかしいから参考にしちゃだめだよ? ツキはね」
「わかりました」
月草は、目の前で口いっぱいにして、ジタバタ抗議している鶸は見ないことにした。
食べ終わってトレーを運ぼうとすると、「ツキ、口の周り拭きな」と深緋に笑われた。あわてて口の周りを拭くと、いっぱい汚れていて恥ずかしかった。
*
部屋に戻った月草は、自分の机に教本とノートを置いた。ちょっとだけ、開いてみた。
〈中央、北南東西〉
〈沿岸〉
〈南区〉
短く、三つだけ書いてあった。沿岸ってなんだっけ?と思った。今度、桔梗に聞いておこう。
月草はノートを閉じて、先生からもらった課題を始めたけれど、とても眠い。
鶸が床で「おなかすいたー」と言った。
深緋が甘いお茶を淹れてくれた。窓の外で、何かが羽ばたくような音がした。
(了)
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