表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
6/62

第03話:欠員補充(上)

 保護任務から一週間ほどが過ぎた。


 検診の朝は、いつもより少し早く起こされる。

 深緋こきあはもう起きていた。窓の外がまだ薄暗い時間に目が覚めて、それからしばらくベッドの上で天井を見ていた。検診の朝はいつもそうだった。眠りが浅くなる。


「ヒワ、朝」


 青藍せいらんひわのベッドの横に立って、布団を上から軽く叩いていた。


「……やだー」


 布団の中から声がした。


「やだじゃない」

「いやだってボク言ってる」

「うん、聞いた」と深緋は笑い含みに言った。


 青藍が布団を少しめくった。鶸は丸まっていた。本当に小さく、猫みたいに丸まっていた。


「起きろ」

「もうちょっと」

「もうちょっとはない」

「あるよ」

「ない」


 青藍が布団をもう一段めくると、鶸が「あー」と声を出して、しぶしぶ目を開けた。寝起きの目はいつも少しぼんやりしている。


「……コキア、おはよ」

「おはよ」

「セイラン、おはよ」

「おはよ。さっさと起きろ」


 青藍は容赦ない。

 鶸がのろのろと体を起こした。寝起きの目が片方だけ薄く開いている。


「コキアは平気そうな顔」

「平気じゃないよ」

「うそだ」

「うそじゃないよ」


 青藍が布団を全て引き剥がした。


 朝食は軽めだった。検診の前は重いものを食べないように、と言われている。鶸はパンをほとんど残した。普段なら絶対に残さないのに、今日は食欲がない。検診のある朝はいつもこうだった。


「全然食べないと逆にしんどいぞ」

「わかってるけど」

「半分でいいからー」

「半分食べた」

「嘘言うな」

「えー」


 鶸はパンの残りを少しずつちぎって、子どもがいやな薬を飲むみたいな顔で口に運んだ。深緋は自分のスープを飲み終えて、鶸のトレーをしばらく眺めていた。


「終わったらケーキもらえるかも?」

「昨日も言ったじゃん、コキア」

「言った」

「コキア、それしか言わない」

「他にいい話ない」


 鶸が力なく笑った。でも少しだけ、肩の力が抜けたようだった。


    *


 いったん部屋へ戻ってから、織部おりべの付き添いで医療フロアへ向かった。南棟から渡り廊下を抜け、中央棟へ近づくにつれて、天井は高く、廊下も広くなる。


「眠そうね、鶸」

「ねむい」

「終わったら少し休もうね」

「うん」


 鶸の返事は、おとなしかった。

 待合室は、白い壁、白い椅子、白い床で明るかった。観葉植物が一つあるほかは誰もおらず、壁の時計の秒針だけが静かに動いていた。


 順番は青藍、深緋、鶸の順だった。鶸はいつも最後が良いという。順番を待つ時間が長くてもいいから、後の方がいいのだと。深緋にはそれがあまりわからなかったが。

 青藍が呼ばれて、奥に消えた。鶸は椅子の上で膝を抱えて、深緋はその隣に座った。しばらく壁の時計を見ていると、鶸の頭が肩に寄りかかってきた。


「ヒワ、今寝ないでよ?」

「寝てない」

「目つぶってるじゃん」

「目だけ」


 深緋は何も言わなかった。鶸の頭はふわっと軽かった。


 青藍が戻ってきた。いつもとあまり変わらないように見えたが、口元をぎゅっと結んでいた。椅子に座って、ふーっと息をつく。それから深緋に「次、行ってこい」と短く言った。


「コキアー、だいじょぶ?」と鶸が声をかけた。

「平気だよ」


 深緋は立ち上がった。


 奥の部屋でのことは、終わるとあまり覚えていない。覚えておきたくないのかもしれない。採血は慣れた。そのあとに別の部屋でしばらく座らされ、寝かされた。終わってから、机に手をついてしばらく動けなかった。水を一杯もらってから、深緋は待合室に戻った。

 最後に鶸が呼ばれた。

 戻ってきたとき、鶸の顔は青白かった。深緋の隣に座って、すぐに肩に頭を預けてきた。


「コキアー」

「お疲れさま」

「きもちわるい」

「うん」

「早く帰りたい」

「そうだね」


 織部が立ち上がって「帰りましょうか」と言った。


    *


 部屋に戻ると、鶸はすぐにベッドに倒れ込んだ。

 靴は織部が脱がせていた。ブランケットを掛けて、水を枕元に置いて、織部は静かに部屋を出ていった。扉が閉まる音が小さく響いた。

 鶸はうつらうつらしている。検診のあとはいつもこうだった。深緋も、自分のベッドにだらりと座った。


「また性別傾向の測定された……」


 毛布を抱えながら、鶸がぶつぶつ言っている。深緋は苦笑した。


「ヒワ、毎回ぶーぶー言うね」

「だって時間かかるんだもん。しかも「まだ定まってませんね〜」だって。なら測らなくていいじゃん」

「いつものことじゃん」

「セイランは?」

「特に何も言われてないな」


 青藍は本を開いていた。昨夜も読んでいた地誌だった。机の前に座ってページを開いているが、めくる音がほとんどしない。同じページをずっと見ているのが、遠目にもわかった。


 深緋は枕元の引き出しを開けて、薄い冊子と色鉛筆のケースを取り出した。

 冊子は紋様集だった。異国のもので、複雑な幾何学模様や、植物を様式化した文様が一ページに一つずつ印刷されている。線だけが描かれていて、中は白い。色を塗っていく用のものだった。

 深緋はそれをベッドの上で広げて、塗り始めた。今日のページは、丸い渦巻きが八つ組み合わさった模様だった。青っぽい色を選んで、真ん中の渦巻きから埋めていく。色鉛筆の芯がページに当たる音が、静かに続いた。

 検診のあとはいつもこうしている。ゆっくり塗っていると、頭の中の重さが少しずつほどけていく。何も考えなくていい。線の中を埋めていくだけでいい。


 青藍が一度、こちらを見た。


「それ、もう残り少ないんじゃないか」

「うん。あと三ページ」

「明日、資料室行くから、一緒に来て頼むか?」

「そうする」

「ついでに調べたいこともあるしな」


 深緋は「ん」と言ってまた色を重ねた。青藍はまた本に戻ったが、ページはいつまでも進んでいなかった。

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

続きも読んでみたいと思っていただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけるとうれしいです。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ