第03話:欠員補充(上)
保護任務から一週間ほどが過ぎた。
検診の朝は、いつもより少し早く起こされる。
深緋はもう起きていた。窓の外がまだ薄暗い時間に目が覚めて、それからしばらくベッドの上で天井を見ていた。検診の朝はいつもそうだった。眠りが浅くなる。
「ヒワ、朝」
青藍が鶸のベッドの横に立って、布団を上から軽く叩いていた。
「……やだー」
布団の中から声がした。
「やだじゃない」
「いやだってボク言ってる」
「うん、聞いた」と深緋は笑い含みに言った。
青藍が布団を少しめくった。鶸は丸まっていた。本当に小さく、猫みたいに丸まっていた。
「起きろ」
「もうちょっと」
「もうちょっとはない」
「あるよ」
「ない」
青藍が布団をもう一段めくると、鶸が「あー」と声を出して、しぶしぶ目を開けた。寝起きの目はいつも少しぼんやりしている。
「……コキア、おはよ」
「おはよ」
「セイラン、おはよ」
「おはよ。さっさと起きろ」
青藍は容赦ない。
鶸がのろのろと体を起こした。寝起きの目が片方だけ薄く開いている。
「コキアは平気そうな顔」
「平気じゃないよ」
「うそだ」
「うそじゃないよ」
青藍が布団を全て引き剥がした。
朝食は軽めだった。検診の前は重いものを食べないように、と言われている。鶸はパンをほとんど残した。普段なら絶対に残さないのに、今日は食欲がない。検診のある朝はいつもこうだった。
「全然食べないと逆にしんどいぞ」
「わかってるけど」
「半分でいいからー」
「半分食べた」
「嘘言うな」
「えー」
鶸はパンの残りを少しずつちぎって、子どもがいやな薬を飲むみたいな顔で口に運んだ。深緋は自分のスープを飲み終えて、鶸のトレーをしばらく眺めていた。
「終わったらケーキもらえるかも?」
「昨日も言ったじゃん、コキア」
「言った」
「コキア、それしか言わない」
「他にいい話ない」
鶸が力なく笑った。でも少しだけ、肩の力が抜けたようだった。
*
いったん部屋へ戻ってから、織部の付き添いで医療フロアへ向かった。南棟から渡り廊下を抜け、中央棟へ近づくにつれて、天井は高く、廊下も広くなる。
「眠そうね、鶸」
「ねむい」
「終わったら少し休もうね」
「うん」
鶸の返事は、おとなしかった。
待合室は、白い壁、白い椅子、白い床で明るかった。観葉植物が一つあるほかは誰もおらず、壁の時計の秒針だけが静かに動いていた。
順番は青藍、深緋、鶸の順だった。鶸はいつも最後が良いという。順番を待つ時間が長くてもいいから、後の方がいいのだと。深緋にはそれがあまりわからなかったが。
青藍が呼ばれて、奥に消えた。鶸は椅子の上で膝を抱えて、深緋はその隣に座った。しばらく壁の時計を見ていると、鶸の頭が肩に寄りかかってきた。
「ヒワ、今寝ないでよ?」
「寝てない」
「目つぶってるじゃん」
「目だけ」
深緋は何も言わなかった。鶸の頭はふわっと軽かった。
青藍が戻ってきた。いつもとあまり変わらないように見えたが、口元をぎゅっと結んでいた。椅子に座って、ふーっと息をつく。それから深緋に「次、行ってこい」と短く言った。
「コキアー、だいじょぶ?」と鶸が声をかけた。
「平気だよ」
深緋は立ち上がった。
奥の部屋でのことは、終わるとあまり覚えていない。覚えておきたくないのかもしれない。採血は慣れた。そのあとに別の部屋でしばらく座らされ、寝かされた。終わってから、机に手をついてしばらく動けなかった。水を一杯もらってから、深緋は待合室に戻った。
最後に鶸が呼ばれた。
戻ってきたとき、鶸の顔は青白かった。深緋の隣に座って、すぐに肩に頭を預けてきた。
「コキアー」
「お疲れさま」
「きもちわるい」
「うん」
「早く帰りたい」
「そうだね」
織部が立ち上がって「帰りましょうか」と言った。
*
部屋に戻ると、鶸はすぐにベッドに倒れ込んだ。
靴は織部が脱がせていた。ブランケットを掛けて、水を枕元に置いて、織部は静かに部屋を出ていった。扉が閉まる音が小さく響いた。
鶸はうつらうつらしている。検診のあとはいつもこうだった。深緋も、自分のベッドにだらりと座った。
「また性別傾向の測定された……」
毛布を抱えながら、鶸がぶつぶつ言っている。深緋は苦笑した。
「ヒワ、毎回ぶーぶー言うね」
「だって時間かかるんだもん。しかも「まだ定まってませんね〜」だって。なら測らなくていいじゃん」
「いつものことじゃん」
「セイランは?」
「特に何も言われてないな」
青藍は本を開いていた。昨夜も読んでいた地誌だった。机の前に座ってページを開いているが、めくる音がほとんどしない。同じページをずっと見ているのが、遠目にもわかった。
深緋は枕元の引き出しを開けて、薄い冊子と色鉛筆のケースを取り出した。
冊子は紋様集だった。異国のもので、複雑な幾何学模様や、植物を様式化した文様が一ページに一つずつ印刷されている。線だけが描かれていて、中は白い。色を塗っていく用のものだった。
深緋はそれをベッドの上で広げて、塗り始めた。今日のページは、丸い渦巻きが八つ組み合わさった模様だった。青っぽい色を選んで、真ん中の渦巻きから埋めていく。色鉛筆の芯がページに当たる音が、静かに続いた。
検診のあとはいつもこうしている。ゆっくり塗っていると、頭の中の重さが少しずつほどけていく。何も考えなくていい。線の中を埋めていくだけでいい。
青藍が一度、こちらを見た。
「それ、もう残り少ないんじゃないか」
「うん。あと三ページ」
「明日、資料室行くから、一緒に来て頼むか?」
「そうする」
「ついでに調べたいこともあるしな」
深緋は「ん」と言ってまた色を重ねた。青藍はまた本に戻ったが、ページはいつまでも進んでいなかった。
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