第02話:適性の確認(下)
夕食の時間になった。
食堂は朝より少し静かだった。
今夜の献立は煮込みと麺と、温野菜のサラダだった。深緋はトレーを持って、窓際の席に座った。
「あ、今日のスープは濃い!」
鶸が嬉しそうに言った。
「お前、薄いの濃いの違いわかるのか」
「わかるよ! セイラン、わからないの?」
「わかるけど、お前ほどではないな」
鶸はずるずると汁麺をすすりはじめた。あまり行儀のいい食べ方ではなかったが、大人の目の届かない所でやる程度には鶸も学んでいた。
「そういえばさー」と、鶸が満タンの口を動かしながら言った。
「明日、検査あるんだよね」
「あるな」と青藍が答えた。
「えー、やだなー」
「いつもの定期検査だろ」
「でも、ボクいやなんだもん。あれ、針刺すじゃん?」
「仕方ないだろ」
「いたいじゃん」
「我慢しろ」
青藍の返事が短くなっていく。
鶸は構わずに続ける。
「コキアは平気?」
「平気じゃないけど、我慢してる」
「えー、コキアもいやなんだ」
「好きな人いないよ、あれ」
「セイランは?」
「俺は別に」
「うそだあ」
鶸が汁をすする音がした。実にうるさい。深緋はゆっくり麺をすすりながら、窓の方を見た。外はもう暗い。庭の照明が芝生に落ちている。
月に一度の検診。採血、それから少し負荷のかかるテストをする。子どもたちは未成熟で、まだ性別へ分化していない。だから検診では、その変化も定期的に観測されていた。内容はその時々で違う。短いときもあれば、長いときもある。終わったあとは少し疲れるし、検査の痛みもある。
鶸が嫌がるのは、たぶん採血じゃない。試験のあとの疲労感が、鶸はあまり好きじゃないのだろう。それは深緋もわかっていた。
「終わったらケーキとか出るかも?」と深緋は言った。
「ほんと? 前回出た?」
「うん、出たよ」
「覚えてないなあ」
「ヒワ、ずっと寝てたでしょ」
「えー、寝てた?」
鶸が首をかしげた。青藍がむせた。
深緋は煮込みのにんじんを口に入れた。よく煮えていて、舌で潰せた。
鶸はにんじんをきれいによけていた。
*
夕食のあと、三人で部屋に戻った。
鶸はベッドに直行して、靴を脱いで上着を脱いで、それから倒れ込んだ。
「うーー、お腹いっぱい」
「食べ過ぎだろ」
「セイランも同じだけ食べたじゃん」
「俺はお前より身体がでかい」
「ずるい」
「ずるくない」
青藍と鶸は、いつものようにおしゃべりしている。
鶸は枕を抱え込んで、横向きになった。深緋はその様子を見ながら、自分のベッドに腰掛けた。
青藍は机の方に行って、薄い本を取り出した。椅子に座って、ページをめくる。
窓枠に肘をついて外を見ると、庭の照明が芝生を照らしている。昨日の朝に見たのと同じ、整った景色だった。雨が降っていないだけで、ほとんど何も変わらない。
毎日、ほとんど何も変わらない。
深緋はそれをいいことだと思っていた。たぶん、いいことだった。
「コキア、何見てんの」
鶸の声がした。振り向くと、鶸は枕に顔を半分埋めたまま、片目だけこちらに向けていた。
「庭」
「庭に何かいる?」
「いない」
「じゃあ何見てんの」
「庭」
「庭はもう聞いたよー」
鶸が弱く笑った。それから、また枕に顔を埋めた。
青藍はページをめくっていた。紙の音が静かに響く。深緋は窓の方に向き直った。
ガラスに自分の顔がうっすら映っていて、その向こうに照明に照らされた芝生があった。今月の植え込みには、青い花が咲いていた。名前は知らない。
「何読んでんの、それ」
「地誌」
「どこの?」
「南区の方の古いやつ。昨日行ったあたりとは違う地区だけど」
「面白い?」
「普通」
普通、と言いながら青藍はちゃんと読んでいる。青藍は何かを調べるとき、面白いかどうかに関係なく読む。
机の灯りが、青藍の濃い藍色の髪から透けて、青い髪に見える。
「セイラン、その本、何書いてあるの」
鶸の声が、また聞こえた。眠そうな声の中にちょっとため息が混じっている。明日が嫌なのだろう。
「集落の記録」
「集落?」
「人が住んでた場所」
「ふうん」
「お前、もう寝ろよ」
「寝るー」
鶸の声は枕の中からもごもご聞こえた。そのあと、鶸は布団を引き寄せて、少しごそごそしてから、静かになった。寝付くのが早い。いつものことだった。
青藍はまだ本を読んでいた。
「コキア」
青藍の声がした。深緋は振り向かずに「うん」と答えた。
「明日、検診の前は飯軽くしとけよ」
「わかってる」
「ヒワにも言っといた方がいいか」
「明日の朝、食べる前に言えば覚えてる」
「今夜言っても忘れるな」
「必ず忘れるね」
深緋は苦笑い混じりで言った。青藍の声も笑っているのがわかる。それからまたページをめくる音がした。
窓に額を近づけると、ガラスは少し冷たかった。外の空気が冷えているのがわかる。でもこの窓は開かない。
鶸の寝息が聞こえる。規則正しい、浅い息。青藍がページをめくる音。廊下の遠くで、スタッフの足音がした。一定のリズムで、近づいて、また遠ざかった。
夜の音だった。深緋が知っている夜の音。
深緋は上着を脱いでベッドに座った。すぐに横にはならずに、少しだけ座ったまま部屋の中を見ていた。
「セイラン」
「ん」
「先寝るよ」
「おう」
鶸が寝ている。青藍が本を読んでいる。机の上に明日の検診の通知が置いてある。棚に水の入ったピッチャーが置いてある。換気が効いている。湿り気はない。
深緋は横になった。布団を引き上げて、目を閉じた。青藍のページをめくる音が、しばらく続いていた。
いつもの我が家。南棟第一班だった。
(了)
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