EX02話:当番待機(上)
待機室の窓から見える空は曇っている。竜胆は、長椅子の肘掛けに首をひっかけて寝転がり、天井を見ていた。
天井パネルの継ぎ目を数えてみたら、前に数えたときと同じ数だった。
あたりまえだ。パネルが勝手に増えたら困る。
「ヒマだなー」
竜胆が言った。誰からも返事はない。
常盤はテーブルの向かいで本を読んでいた。表紙は地味で、何の本かは見えない。常盤の読む本はだいたい地味だ。
「なあ常盤」
「うん」
「ヒマだなー」
「うん」
「うんって」
「ヒマだね」
壁際のソファでは紅唐が逆さまになっていた。背もたれに足をかけ、頭を座面の下に垂らしている。何が楽しいのか、さっきからずっとその体勢だ。
「血、頭に溜まるぞ」
「んー」
紅唐は逆さまのまま、面倒くさそうに返事をする。
待機当番は、こういう時間が長い。出動の予定がなければ、ただ待機室にいる。本を読んでもいいし、寝ていてもいい。ただし命令があったら即座に出動の支度を整えること。それだけが決まりだった。
普段は大人の班員は奥の区画にいて、こちらの声はあまり届かない。時々何かの通知音が鳴っている。
その奥のほうが少し慌ただしくなり、ふと、声の切れ端が漏れてきた。
「――北棟第三班、一時間後到着予定で」
「了解、受け入れ側こっち回しといて」
「医療チームは?」
「先に通すって」
「了解。受け入れ準備を」
竜胆は天井から目を離して、奥のほうを見た。ガラスの向こう側では、大人が立ち上がって集まったり、打ち合わせをしはじめた。
「珍しいな。北棟の班」
ぽつりと言った。
聞いていないと思っていた常盤が、本から目を上げた。
「北三班?」
「うん。あんまり聞かないだろ、出動」
「捜索が出るような案件があったってこと?」
「だろうな」
紅唐が逆さのまま、ふうん、という顔をした。話は聞いているらしい。だいたい紅唐は聞いている。ただ口を挟まないだけだ。
竜胆はようやく身を起こした。あぐらをかいて、首を鳴らす。
「北棟の連中と一緒になること、少ないからな」
「任務前に入れ替わりで会うくらいでしょ」
「そうなんだけど、見ないんだよ。気配が薄い」
竜胆は片手で頬杖をついた。
「あいつら、姿消すみたいなのやるから」
「魔法の系統が違うんでしょ?幻惑系?」
「そう。妖精の、っていうんだろ。詳しくは知らねえけど」
「斥候向きだよね」
「根本的にオレ達とは違うタイプだから前には出ない。出てきたら、たぶん何かおかしいときだ」
常盤は確かにね、と言ってまた本に戻った。
「すれ違ってから、あれ今いた? って思うんだよ。あいつらそういう感じ」
「便利だね」紅唐がぼそっという。
「便利だろ。オレもほしい」
「お前は、絶対よくないことに使う」
「ひでえな」
竜胆は欠伸をした。話しているうちに、また退屈が戻ってくる。北棟の連中が珍しく動いている、それだけのことだ。到着したところで顔を合わせることはない。
*
しばらく、誰も喋らなかった。紅唐が逆さまの体勢に飽きたのか、ずるずると床に滑り落ちた。そのままごろりとマットの上に横になる。常盤の本をめくる音だけが続いている。
「東十、そろそろ補充されると思う」
常盤が本のページの上で指を止めた。
「なんで?」
「こないだ西棟チラ見したら、結構子どもいたから」
しん、と一拍空いた。
常盤がゆっくりと本を閉じた。表紙を上にして、テーブルにきれいに置いた。
「は? なんで行ったの?」
静かな声で常盤が質問する。
「いや、行ったっていうか」
「西棟、立入できないよね?」
「うーん」
「入れないよね」
「ソウデスネ」
竜胆は頬杖の手をそーっと外し、極まり悪そうに目を逸らした。
「まあ、それは色々と行き方があるんだよ」
へらっと笑った。
常盤は無言で、二秒ほど竜胆を見ていた。それから、ため息をついて、本をまた開いた。
「聞かなかったことにするけど」
「うん、それがいい」
「で、そんなに子どもいたの?」
「いた。前見たときよりは確実に増えてる」
「じゃあ、どこか欠員出てる班に回るね」常盤は顎に手を当てた。
「東十班と、あとどこか。北は……北は別系統だから、そっちには行かないと思う」
「いやに詳しいね」
紅唐が床に転がったまま、足で竜胆をつついた。お前またか、とでも言うように。
「うるさい」竜胆は足を払いのけた。
「西棟、なつかしいよなあ」
竜胆が、急にやわらかい声で言った。
「な、紅唐」
「うん」
紅唐は寝返ったまま、うとうとし始めた。
「あの頃はさー、ヒワが赤ちゃんだったし」
「ヒワって、南一の?」
「そう。あいつ天使みたいだったんだよ。今のアレが信じられないくらい」
「今のアレは天使じゃないの」常盤はちょっと笑った。
「見た目だけ天使は天使だけど、種類が違う」
紅唐がまた寝返りをうって、こちらに背を向けた。聞いているのか聞いていないのか、わからない。たぶん聞いている。
「ちっちゃくてさ、ふにゃふにゃで、寝てる時間が長くて。抱っこすると、ぴったりくっついてくるんだよ」
「想像つかないな」
「だろ? でも本当だよ。なあ紅唐」
「ん」
紅唐はだるそうに返す。もう眠いらしい。
「ただ、力がえげつなくてさ」
「赤ちゃんで?」
「赤ちゃんで。赤ん坊のくせに、泣くと部屋揺れたからな」
「揺れた?」常盤が眉を上げた。
「揺れた。ガチで。大人が三人がかりで押さえてた。あんなちっこいのに、力だけ一人前で」
「……それ、天使か?」
「天使だよ。寝顔が天使。出力は鬼」
竜胆は真面目な顔で言った。常盤は本のページを一枚めくった。
西棟。
大きくなる前の子どもたちが暮らしている棟だ。竜胆と紅唐は、そこで一緒だった。
同じ時期に入って、同じ部屋で寝起きしていた。ヒワはそのときまだ小さくて、もっと奥の、赤ちゃん用の区画にいた。竜胆は何度かこっそり覗きに行って、大人に見つかって叱られた。紅唐はそれについていって、仲良く叱られた。
そういう話を、竜胆はぽつぽつとした。常盤は本を開いたまま、たまに相槌を打った。
「紅唐とは、もう長いんだよなあ」
「西棟から?」
「西棟から。だから、何年だ。んー、覚えてない」
「覚えてないんだ」
「覚えてないけど、長い」
竜胆は笑った。生きてきた年数を数えても関係ない。
西棟から東棟に移るときに、班が組まれる。だいたい三人組で、相性と適性を見て大人が組む。竜胆と紅唐はそのとき同じ班に入った。最初は東八班だった。
「最初は東八班だったんだよ」
「八?」
「うん。今の東二じゃなくて、東八」
「俺入った時は東三班だった」
「欠員出たり、班ごと再編成したりして欠番が結構多かった時期だったから、なーんかどんどん繰り上がったんだよな」
常盤は本にしおりを挟んだ。
「そのときは、もう一人いたんでしょ?」
「いた」
竜胆は天井を見た。
「いたよ。もう一人」
「ふうん」
「で、二年くらいやって、二人になったから、それでお前が来た」
「うん」
「だから、お前はオレらの二年あとなんだよ」
「知ってる」
「知ってるよなあ。何回も言ってる」
「何回も言ってる」
常盤はちょっと笑った。
紅唐はマットの上で、いつのまにか目を閉じていた。寝たらしい。寝るのも早い。
「俺の前の人ってどんな人?」
常盤が、何気なく聞いた。
竜胆はちょっと考えて、答えた。
「いい奴だったよ」
それだけだった。
常盤はそれ以上聞かなかった。聞かないのが、常盤のいいところだ、と竜胆は思う。聞いてほしくないわけではない。ただ、今日の待機室で話す話ではない、というだけだった。
「で、常盤が入った後にもう一回繰り上がって東二班」
「うん」
「いまに至る」
「いまに至るね」
竜胆は足を組んで、両手を頭の後ろで組んだ。長椅子が少しきしんだ。
待機室の時間は、相変わらず止まっているように流れていた。北三班が来るまで、まだ一時間ある。来たところで、東二班には関係ない。誰かが動けば、誰かが待っている。ただそれだけのことだ。
「南一は」竜胆が、ふと言った。
「ん?」
「青藍、配置転換になったって」
「ああ。聞いた」
「わかんねえもんだな。オレたちとそんなに変わらない体格だったのに」
常盤は何も言わなかった。竜胆も、それ以上は続けなかった。よその班のことだ。聞いたところで、どうにもならない。班は班で、それぞれの時間を持っている。
奥の大人の声が、また切れ切れに聞こえた。北三班の到着準備の話のつづきらしい。受け入れ動線がどうとか、医療エリアの何号室がどうとか、そういう実務の話だった。竜胆たちには関係のない話だ。今日の東二班は、ただ待機しているだけでよかった。
「常盤」
「うん」
「ヒマだなー」
「ヒマだね」
「さっきもそれ言ったぞ」
「お前が言ったんだよ」
常盤は本をまた開いた。
紅唐は寝息を立てはじめていた。
竜胆は天井パネルの継ぎ目をもう一度数えはじめて、途中でやめた。やっぱり前と同じ数だった。
待機当番の時間は、ゆっくり過ぎていく。
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