第25話:南一班(下)
織部が、月草の支給品と一緒に冊子を持ってきた。
「こちらは出来上がったからって、預かっていたものですよ、鶸」
テーブルに置かれたのは、資料室で頼んでいた図鑑の写しだった。
「あ! そういえば頼んでた!」
「忘れてたんだ……」
「すごいー、こんなにあるー」
鶸が表紙にすりすりしている。
「見せてよ」
一ページずつめくる。あの図鑑を読んでいた時の鶸の顔も、横にいた青藍の顔もはっきり思い出せる。ほんの少し前なのに懐かしかった。
「ツキクサもおいで。図鑑っていうんだよ、これ」
「ッ……はい!」
月草がぱたぱたと走ってきた。
一ページずつめくる。鶸と月草は趣味が合うようだ。二人で「はぁ……」と感嘆の声を上げながら見ている。
「わぁ……きれいですね」
「うん」
青い羽の鳥のページだった。
鶸の図鑑をめくる手が止まる少しだけ鶸は遠い目をしていた。ここにいない誰かを思い出すように。
「僕、この鳥、見てみたいです……」
「すっごい凶暴なんだよ! この鳥はね!」
ハッとして、鶸は急に解説を始めた。
「ヒワ、それはぼくが最初に教えたやつでしょ?」
「もーーー!」
鶸が憤慨する。
月草は、ちょっと困ったように、でも楽しそうに、にこにこしていた。
「そういえばさー、ツキクサって長いからツキって呼んでいい? そう呼ぶね」
「えっ……え?」
「ヒワ、急に言うから困らせてるよ。……でも、たぶん無理だから諦めな、ツキ」
「ええっ」
真顔で言った深緋に、月草は目を丸くした。
*
翌朝、食堂はまだ少し眠そうな空気だった。
窓の外は白っぽく曇っていて、配膳口の近くには湯気が漂っている。眠そうな顔の子どもたちが、制服や訓練着のまま席についていた。
月草は、まだ緊張しているのか、背筋をぴんと伸ばしたままスプーンを持っている。目の前の皿にも、ほとんど手をつけていなかった。夕べも、あまり良く眠れてなさそうだ。
月草は、新品の訓練着が落ち着かないらしい。袖も少し長いのか、時々気にして引っ張っている。周囲も気になるみたいで、歩きながら何度もキョロキョロしている。
配膳口の近くでは、遅れてきた班がまだ列を作っている。食器のぶつかる音と、誰かの笑い声が、広い食堂の中で混ざっていた。
鶸は、月草を見ながらパンをちぎった。
「ツキ、ジャムは二個までなら怒られないから、最初に確保しといた方がいいよ」
「二個……!」
「うん。三個いくと見つかる」
「はい……」
月草はマジメな顔で答えた。
鶸は得意げだった。
「でね、にんじんは気合いでいくんだよ」
「気合い……?」
「そう。まず心を統一して」
鶸は、真顔でスプーンを持ち上げた。コンソメスープのニンジンをすくってみせる。
月草が、こくりと頷く。
「三回噛む」
「そしたら、『これはにんじんじゃない』って集中しながら飲み込むの」
「へぇぇ……」
月草は本当に授業を受けるみたいな顔で聞いていた。
鶸は、満足そうにパンをちぎった。
「ボク、もうにんじん見ただけで味消せるから」
その時、月草が、そっと深緋の方を見た。困ったように少し迷ってから、小さい声で言った。
「……あの、僕、にんじん好きなんです……」
深緋は、一瞬だけ動きを止めた。
鶸は、まだ得意げにパンを食べている。深緋は、しばらく黙っていたが、堪えきれずに吹き出した。
「コキア?」
鶸が振り返る。
深緋は、口元を押さえたまま肩を揺らしていた。
「なんで笑うの!」
「いや……」
深緋は堪えきれずに、笑った。
月草は、おろおろしながら二人を見ていた。
そのうち鶸もつられて笑いはじめて、月草もちょっと迷いながらも笑った。
その時、食堂の奥で「南棟。あと5分で行きますよ!」と灰桜の通る声が聞こえた。
あちこちで椅子が引かれる。
「うわ、急がなきゃ」
鶸は朝食の残りを慌てて口に詰め込んで、立ち上がりながら言う。ボロボロとこぼしていて汚い、と深緋は顔をしかめた。
「訓練場までちょっと遠いからね。あと朽葉先生、遅れると怖い」
「こ、怖いんですか?」
「静かに怖い」
「ヒワ、訓練で可動標的を壊した時、めちゃくちゃ怒られてた」
「だって、あれ避けないんだもん!」
「確保訓練なのに、聞かないで勝手に攻撃したのヒワでしょ」
「やめて」
「『標的幾らすると思ってるんだ』て延々とお説教されてたよね」
「お願い、それ以上はやめて……」
月草は、一瞬きょとんとして、それから小さく笑い出し、そして弾けるように笑った。
やっとちゃんと笑ってる顔を見られた。深緋も一緒に笑った。
「あ、えーと、早く行かなきゃ! ツキ、スープ半分は飲みなよ」
「は、はい!」
月草は慌ててスープを飲み干して、二人でドタバタと食器の返却に向かった。
「コキア、訓練なんだから、スープ半分は飲んどけ」
よく言われてたっけ。
「ツキー、こっちだよ! 行こ」
月草の手を引いて、鶸が集合場所へ連れて行く。
「コキアも早く!」
「はいはい」
朝の光の中で、新しい南一班が走り出している。
(第一部・青藍編・了)
──第二部・月草編へ続く。
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