第25話:南一班(上)
夕食の後、南棟へ戻る列は、いつも通り少し騒がしかった。
前の方では、南六班が何かで盛り上がっていた。杏の声が大きく響いて、そのたびに桔梗が笑っていた。退紅は、その少し後ろから、何かぼそぼそ言いながら、ぼんやりした顔で歩いていた。
織部たちは、子どもたちの流れを見るように、その横を歩いていた。
深緋は、一番後ろを歩いていた。
肩の傷は、もう塞がっていた。数日前に抜糸も終わった。まだ固定の包帯だけは残っていて、左腕の動きは制限されているが、痛みはほとんど引いていた。
それが、少しだけ寂しかった。
この傷が消えたら、青藍がいた時間も、少しずつ遠くなってしまう気がした。忘れてしまうようで怖かった。
深緋は、ぼんやり廊下の床を見ながら歩いていた。鶸がいつ戻るのかは、教えてもらえなかった。
聞いても、たぶん教えてくれない。だから聞かなかった。
深緋は、一人でいるのは嫌いじゃなかった。窓際に座って、本を読んだり、何も考えず外を見たりする静かな時間は、昔から好きだった。
でも、今の部屋は違う。ひとりぼっちは、嫌いだったんだと知った。
南棟の廊下へ入る。
子どもたちは、いつもの通りに、それぞれの部屋へ散っていった。
深緋も、自分の部屋の前で立ち止まった。少しため息をつく。がらんどうの部屋に入る憂鬱を感じた。ドアを開けた。
ベッドの上に、鶸がいた。
「あ」
二人で、同時に声を上げた。
鶸は、ベッドの上で転がって、ボロボロの図鑑の写しを広げたまま深緋を見ていた。
少し髪が伸びていた。顔つきも気のせいか、前より少しだけ大人びて見えた。
鶸は、ゆっくり起き上がった。それから、ちゃんと床へ降りた。
深緋は、その動きをじっと見ていた。
鶸がゆっくり立ち上がる。前は頭半分見下ろしていたのに、なぜかまっすぐ前で視線が合う。
深緋は、一瞬だけ目を大きく見開いた。鶸は、それに気づいたみたいに、照れたような顔で笑った。
「……お別れ、間に合わなかった……へへ」
声も、少しだけ低くなっていた。少し言葉を探してから、鶸は重ねる。
「……ね、ごめんね」
深緋は何も言わずに、ゆっくり鶸へ近づいた。
鶸もそのまま動かなかった。
そして、そっと深緋は、鶸の左肩におでこを押し当てた。歯を食いしばった目の奥が熱くなった。
そして、力の入りきらない左手を、小さく握った。そのまま、鶸の肩へ、ごつん、とぶつけた。
もう一回。
それから、もう一回ぶった。
鶸は、避けなかった。
しばらくして深緋は、はーっと息を吐いた。それから、ゆっくり微笑んだ。
「……おかえり」
「ただいま」
深緋が離れると、鶸は急にニヤッとした。
「ね、お腹すいた」
「何もないよ」
「えー」
「帰ってくるなんて、知らなかったもん」
「ウソ! お腹すいたー……」
パタンとベッドに飛び込んだ鶸は、変わらなかった。
「隔離中さー、また性別傾向の測定ばっかされてさぁ……」
「そりゃそれだけ成長すれば、されるでしょ」
「だってさー……」
その声を聞きながら、深緋は、少しだけ肩の力を抜いてベッドに転がった。
今日はよく眠れそうだった。
*
鶸が戻ってきてから、部屋の空気は少し変わった。
部屋が静かではなくなった。
鶸は、よく机の角や椅子、ドアにぶつかった。
身体の感覚が、まだ新しい身体の大きさに慣れていないようだった。さっきも立ち上がるときに膝を机へぶつけて、「いっってぇぇぇ……」と変な声を出していた。
「うるさ!」
「だって机がぶつかってくんだもん……」
「早く慣れてよ」
深緋はため息をつく。
鶸は深緋よりも一回りちょっと小さかったのが、成長してしまったので、制服も訓練着も靴もすべて、新しいものが支給になっていた。
深緋と同じサイズなので、時々名前を確認しないと、洗濯したものを横取りされそうだ。
鶸は相変わらずだった。
ベッドの上で靴のまま転がるし、本は開きっぱなし落としっぱなしだし、任務バッグは開けっぱなしのまま机を占領。服もランドリー袋に入れず床に脱いだまま。今朝も毛布をいつものように半分蹴り飛ばしていた。
でも深緋は、それが少し嬉しかった。息をつけるようになった。ほっとしていた。
夜、鶸がベッドの上で図鑑を読んでいたとき、ドアがノックされた。
「はい」
深緋が返事をする。
ドアが開いて、織部が顔を出した。
「ちょっと失礼しますよ」
織部のその後ろに、小柄な子が立っていた。
深緋は、一瞬目を瞬いた。
鶸も、ベッドの上で起き上がる。
その子は、部屋へ入る前からもう緊張していた。
荷物を抱えたまま固まって、視線が落ち着かない。織部の後ろで、どう立っていいかわからないみたいに小さく肩をすくめていた。
織部が、静かな声で言った。
「今日から、南一班に入ってもらうことになるからね」
少し間があった。
その子は、はっとしたみたいに背筋を伸ばした。
「あ、あっ、月草です!」
声が裏返った。
「よ、よろしくお願いします!」
言い終えたあとも、月草はものすごく緊張した顔のままだった。
少し沈黙が落ちた。
そのあと、鶸がぱっと笑った。
「え、ちっちゃいね!」
「えっ」
月草が固まる。
「コキア見てよ、ちっちゃい」
「そんな言い方したら……」
「だって! 南一に新しい子が来るの、ボク初めてだし! かわいいね!」
鶸は、ベッドの上から飛び降りて、駆け寄った。
少し前までの静けさが、静かに開き始めていた。
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