第23話:抑制フレーム(下)
鶸の力は、もともと桁が違う。だから、本気で暴走させたら危ない。深緋も青藍も、ずっと知っていた。
でも鶸自身が、一番苦しそうだった。涙で顔がぐしゃぐしゃだった。
青藍は、しゃがんだまま動かなかった。声は、静かだった。鶸から、目を逸らさない。
「ヒワ」
「落ち着いて」
「……っ」
「ヒワ?」
鶸は、目を開けていた。 けれど、その視線は、もうどこを見ているのかわからなかった。
部屋の空気が、もう一段階重くなった。そして鶸の髪がどんどん眩しくなっていく。
深緋は、たまらず飛び出していた。
青藍の声がした気がした。
そのまま鶸へ飛びつくみたいに腕を回した。ぐっと、強く抱き締める。鶸の身体の方が少し小さい。だから、深緋でも抱え込めてしまった。
「ヒワ!」
鶸の身体が熱かった。空気が暴れていた。胸が焼けるみたいに苦しかった。
それでも深緋は、大きく息を吸った。この部屋の中は魔法を使えないよう制御されている。胸が焼けるように痛い。無理やり力を通す。何重にも自分たちの上から、強い拘束の魔法帯を巻きつけ、鶸の風と光を閉じ込める。
胸の奥が焼けるみたいだった。それでも、深緋は離さなかった。
「ねえヒワ、ぼくだって、同じ気持ちだから!」
声が震えた。言葉が、続かなかった。
叫んだ瞬間、深緋の身体の隙間から光が溢れた。
肩口。
指の間。
抱き締めた腕の隙間。
光が、滲むみたいに漏れ出していた。鶸の声にならない声が耳元で聞こえる。
室内で無理やり力を使う感覚に、深緋は息を詰めた。苦しい。漏れ出す鶸の力も強い。体が焼けていく。
施設の外では、あんなに気持ちよく使える魔法が、ここでは苦しい。
制限されたこの空間も、鶸を抑え込むために魔法を使うことも。
少しずつ鶸の周囲で暴れていた風が、わずかに鈍る。
鶸は、深緋の腕の中でもがいた。深緋は、力を緩めなかった。
緩めた瞬間、 鶸がどこかへ行ってしまう気がした。
「ヒワ……!」
深緋の声は、もう泣きそうだった。
「ねえ、帰ってきて……!」
鶸が、震えていた。どこかへ向いていた視線が、少しだけ戻ってくる。暴れている風が少しだけ緩む。
その瞬間、医療スタッフが端末へ叫ぶ。
「抑制フレーム搬送! 南棟居室、出力異常!」
鶸の視線が、少しだけ動いた。
「……セイラン?」
ひどく幼い声だった。
「うん」
「ここにいるよ」
青藍は、短く答えた。
鶸の身体から、力が抜けていった。
「……行かないで」
「隔離室、空けてもらってください」
医療スタッフは、廊下の方へ一歩出て、無線の端末を口元に近づけた。声は低くて、深緋たちには聞こえなかった。
*
鶸は完全に落ち着いたわけではなかった。出力は、まだ皮膚の下で、うねりながら不安定に動いていた。ただ、暴れる力はもう、残っていなかった。
「ヒワ」
深緋は、抱き締めたまま、もう一度名前を呼んだ。
鶸は、答えなかった。深緋の上着の前を、片手で弱く掴んでいた。
少しして、廊下から金属の擦れる音がした。医療スタッフが、ようやく部屋の中に入ってきた。今度は、ゆっくりだった。鶸の側にしゃがんで、鶸の手首に、指を当てた。脈を見ているのだと、深緋はぼんやりと気づいた。
「鶸は、隔離室で少し預かります」
「フレームで抑制するのは、出力が落ちるまでの間だけだから」
「……はい」
スタッフは、それ以上の説明はしなかった。
たぶん、これ以上説明できないのだ、と深緋は思った。
手早く抑制フレームが装着されていく。ぐったりと力の抜けた鶸は、人形のようにも見えた。
「ヒワ、ここで待ってるね」
鶸は、答えなかった。深緋の上着を掴んでいた指が、ゆっくり離れた。
医療スタッフが、鶸を支えて立たせた。鶸は半分支えられて、ドアの方へ歩いた。途中で一度だけ振り向いた。青藍の方を見た。青藍は何も言わず、いつものように苦笑混じりに笑ってみせた。
ドアが閉まった。
織部は、部屋に残った。
「コキア、大丈夫?」
「……はい」
「傷は」
「……平気です」
「後で迎えにくるので、医療部へ行きましょう」
深緋は、頷いた。
織部は、それ以上何も言わずに、ドアを閉めた。
*
急に静かになった。
部屋の中は全部がバラバラだった。
深緋は、立ち上がる気力がなかった。
青藍は、鶸の座っていた椅子の前に、まだしゃがんでいた。誰もいない椅子に向かって、しゃがんでいた。
「セイラン」
深緋は、呼んだ。
青藍は、すぐには返事をしなかった。
しばらくしてから、ゆっくり立ち上がった。
鶸のベッドの前に、薄い上着が落ちたままだった。今朝、鶸が脱ぎ捨てたものだった。青藍は、それを手に取って、畳んだ。畳んでから、どこに置いていいかわからないように、しばらく持っていた。
最後に、鶸のベッドの上にそれを置いた。
ベッドの上の毛布は、朝、鶸が蹴って起きたままだった。片足ぶんだけ、めくれていた。
深緋は、ぼんやり見ていた。
「コキア」
「……うん」
「無茶すんな」
ため息と一緒に、青藍が言う。
「でもあれが一番よかったでしょ」
深緋は自嘲的に笑ってしまう自分が嫌だった。
「……見せろ」
青藍は、深緋の側に来た。
深緋の腕や胸元は、上着の下で少し赤くなっていた。傷ではなかった。鶸の出力に焼かれた、火傷だった。鶸の強い出力が、深緋の体にくっきり残っていた。この後腫れてくるだろう。
青藍は、上着の袖を、ゆっくり戻した。
「コキアも馬鹿なことするんだな」
「するよ」
「ここで魔法使うの、普通無理だぞ」
「ぼくつよいから……」
「ヒワか」
二人でちょっぴり笑った。
「あとで、織部にちゃんと医療部に連れてってもらえよ」
「うん」
「すぐなおるよ」
「うん」
深緋は、頷いた。
青藍は、鶸の椅子には座らずに、ただ立っていた。深緋は、ベッドに腰掛けたまま、テーブルの上を見ていた。テーブルの上には、男性が置いていった薄い紙が、まだあった。誰も、まだそれを片付けていなかった。
昼の光が、窓から入って部屋は明るかった。
「セイラン」
「ん」
「ヒワ、間に合う?」
「……」
「戻ってくるよね」
青藍は、しばらく答えなかった。
黙って、倒れていた自分の椅子を、ゆっくり引いて、座った。そして静かに言った。
「わからない」
それだけだった。
深緋は、それ以上は聞かなかった。
鶸のベッドの上の、畳んだ上着が、光の中で、少しだけ薄く影を作っていた。
部屋は、もう、いつもの南一班の部屋ではなかった。
(了)
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