表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
46/64

第23話:抑制フレーム(上)

 朝食のあと、織部おりべが部屋まで来た。


 ノックは二回だった。深緋こきあはその回数だけで、いつもと違うと気づいた。ひわはまだベッドの上でひっくり返って、だらだらと靴下を履きかけていた。青藍せいらんは、身支度が終わった所だった。


「おはようございます」

「はい」

「みなさんにお話があります」


 織部の声は、いつもの織部の声だった。優しく穏やかだ。

 ただ、織部は一人ではなかった。後ろにもう二人いた。一人は、医療フロアで何度か見かけた女性の職員だった。もう一人は、深緋が見たことのない男性だった。上着の色が、普段目にする大人とは違った。


「えっ、なに?」

「鶸、座りましょうか」


 織部がにこやかに促した。少しいつもと目が違った。


「はーい……」


 鶸は、まだ片足が裸足のまま、ペタペタと歩いて椅子に座った。青藍は、自分の机の前の椅子を引いた。座る前に、一度だけ深緋を見た。深緋はそのままベッドに腰掛けていた。

 大人が三人入ると、部屋は急に狭くなったが、大人たちは立ったまま入口にいた。

 男性が、薄い書類を一枚、丸テーブルに置いた。


「青藍は明後日から、移行教育班での運用準備に入ることになります」


 声は静かだった。深緋は、俯いて床の模様を見ていた。

 鶸は顔を上げて、大人の顔を変わるがわる見ている。


「配置転換は、昨日確認した通りになります。今日はその通達になります」

「……はい」


 青藍の返事は、短かった。短すぎた。

 深緋は、それをじっと聞いていた。


「セイラン?」


 鶸が言った。

 青藍は、すぐには鶸の方を見なかった。


「セイラン、これなに?」

「……ヒワ」

「これなに」

「……」

「ねえ!」


 鶸の声が、少し高くなった。男性が、鶸を注意深く見ている。


「鶸」

「はい」

「青藍は、これからは今までとは、別の役割に就くことになります」

「……」

「明後日にここから移動します」


 鶸は、男性の顔を見ていた。男性の顔は優しく、そして断固としていた。


「……なんで」

「鶸」

「なんで?」

「大人達で相談して、決まったことなんです」

「でもセイランは、ずっと南一だったじゃん」


 鶸の声は、大きくはなかった。ただ、語尾が少し震えて歪みを帯びていた。部屋の空気が変わって、耳を塞がれたような感覚になる。

 医療スタッフは、わずかに姿勢を変えた。深緋は、それに気づいた。


「ヒワ、やめろ」


 青藍が呼んだ。

 鶸は青藍を見た。


「ねえ、なんで」

「……」

「セイランは、ボクたちのだよ!」


 鶸は、強く言う。テーブルの上に両手を置き、身を乗り出して大人たちに言い寄る。それは子どもの言い方だった。いつもの鶸の譲らない言い方だった。部屋の空気がぐらりと揺れた。

 青藍は、口を開いたが、すぐには言葉が出なかった。


「ヒワ」

「……」

「な、ちゃんと聞いて」

「やだ」

「ヒワ」

「やだ。ボクはやだよ」


 鶸の目が、少し潤んでいた。怒っているだけではなかった。

 男性は、鶸の反応にも落ち着いている。

 慣れているのだ、と深緋は思った。こういう場面を、何度も見て来ているのだ。

 鶸は助けを求めるように、深緋を見る。


「ねえ、コキア」


 深緋はすぐに鶸を見られなかった。一瞬遅れて鶸の目を見た。鶸の目はまっすぐだった。

 鶸の表情が、少しだけ変わった。


「……コキア」

「……」

「もしかしてコキア、知ってたの?」


 深緋は、目を逸らさなかった。逸らせなかった。目を逸らしたら、二度と鶸の目を見られないと思った。

 口を開いた。何か言おうとして、何も言えなかった。きっとそれが、答えになってしまっていた。

 掠れた声で答える。


「……気づいてた、ごめん」


 深緋には、それしか言えるものがなかった。


「そう……」


 鶸は、しばらく動かなかった。

 目だけが、ゆっくり一度、瞬きをした。

 鶸は、青藍を見た。


「セイラン」

「ん」

「セイランはコキアだけに話してたの?」

「……」

「ボク、知らなかったの、ボクだけ?」

「ヒワ、違う」

「ちがわない」


 鶸の声が、初めて少し大きくなった。テーブルの上に置いていた手が、震えはじめていた。

 深緋は、部屋の空気が、もう一度変わったのを感じた。医療スタッフが、小さく「あ」と言ったのが聞こえた。

 男性が丸テーブルに置いた、一枚の薄い紙、わずかに浮いていた。鶸の力が漏れ出している。

 施設ホームの全ての窓は、開かない。風があるはずがなかった。


「ヒワ?」


 青藍が椅子から立った。


「ヒワ、こっち見ろ」

「ねえ、やめて」


 鶸が大人たちを変わるがわる見る。


「ヒワ」

「お願い、セイランを連れてかないで」

「ヒワ、俺の方、見て」

「……ねえ、お願い」


 鶸は、顔を伏せた。

 伏せた顔の前髪が、ふわりと一度、内側から押されたように揺れて広がっていた。

 風はなかった。


 医療スタッフが、織部に短く目配せをした。織部が、低い声で「鶸、座って」と言った。

 だが鶸は、もう聞いていなかった。


    *


 鶸の肩が、揺れた。息を詰まらせながら、抑えきれないものが漏れ出していた。


 全力疾走しているように、呼吸が荒くなっている。鶸は、自分の胸元を掴んでいた。

 鶸は、「うう…」と声を漏らしながら椅子の上で身体を縮めた。両手で、胸元を掴んでいた。指の関節が、白くなっていた。


「ヒワ」


 青藍は、鶸の椅子の前にしゃがんで、鶸の顔の高さに合わせた。


「ヒワ!」

「……っ」

「俺、ここにいるぞ」

「連れてかないで……!」


 机の上の紙が、ふわりと机から数センチ浮いた。それから、また落ちた。今度はもう少し高く浮いた。

 ばん、と音がした。後ろの椅子が吹き飛ぶ。


「おねがい……っ」


 前髪が、また内側から押された。今度は、髪の先まで、ふわりと持ち上がった。鶸の指先のあたりに、薄く光のようなものが滲みはじめ、どんどん光の幅が広がっている。

 棚が、もう一度軋んで、ついに倒れた。

 紙が、一斉に舞い上がった。


「皆さん、部屋の外へ! 早く!」


 医療スタッフが、初めて怒鳴った。


「織部さん、ドアから出て!」

「はい」

「青藍も下がって!」

「待ってください!」


 青藍は下がらなかった。


「ヒワ! 戻ってこい!」


 空気が唸っていた。窓が軋む。光が、弾けた。

 深緋は、自分の耳の奥が痛くなっていくのを感じた。

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

続きも読んでみたいと思っていただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけるとうれしいです。


毎日お昼12時過ぎに最新話を更新しています。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ