第22話:いつもの夜(下)
午後の終わりに、資料室へ行く時間が取れた。
鶸が「行きたい」と言ったからだった。前にもらった獣図鑑の写しが気に入って、別の獣の本も見たくなったらしい。青藍は「いいよ」と言った。深緋も「行く」と言った。夕陽の差す渡り廊下を、並んで歩いた。
織部は忙しかったようで、帰る前の灰桜が「三十分だけですよ」と言いながら、一緒に中央棟までついてきてくれた。
資料室の手前で、鶸が先に走っていった。「こら! 走るな」と青藍が言いながらも笑っていた。にやにやしている鶸が、ドアの前で待っていた。
「おそい」
「うん」
「はやくー」
「うん」
ドアを開けると、いつもの紙とインクの匂いがした。古い本の埃っぽい少し甘い匂いと、新しい紙の匂いが混ざっていた。夕陽が机の上に細く落ちていた。
鶸は、獣類図鑑の棚へ直行した。
背表紙を順番に見て、適当に一冊抜き出して、そのまま机へどさっと置く。
「ヒワ、雑」
「重いんだもん」
青藍が苦笑しながら、本が落ちないように机の中央へ寄せた。
鶸は、図鑑を開いた。鳥のページだった。色のついた挿絵が、見開きで二つずつあった。
「コキア、これ見て」
「うん」
「これ、知ってる?」
「知らない」
「ここに住んでるんだって」
「ふうん」
「南の方」
「……うん」
鶸は、ぱらぱらとページをめくっていた。さっき雑に置いたくせに、挿絵のページだけは、少し丁寧に触っていた。
青藍は、少し離れた机で別の本を開いていた。背表紙は、深緋の位置からは読めなかった。青藍は読んでいるというよりは、ただ本を開いているだけで、目が遠くを見ているようだった。
鶸は図鑑を次々にめくっていく。深緋はその一ページに目を奪われた。
「ヒワ」
「ん?」
「この鳥、すごくきれい」
「ほんとだ」
鶸は、深緋の指したページをのぞき込んだ。山鳥のページだった。羽根の青が、紙の上で、深く沈んでいた。鮮やかでそして深く暗い青い色。
「いつか見たいなー!」
「『大変、凶暴である』って書いてあるよ?」
「ボク強いからへーき! あーあ、あっちの続き、まだ見れないかなー」
鶸は、ページから顔を上げて、鍵のかかったガラスケースの方を見た。まだ未練があるらしい。
青藍はちらっと鶸を見ると、本を閉じて近くへ来た。
「ヒワ」
「ん」
「今日はやめとけ」
「えー」
「30分だけの約束だろ?」
「えー……」
鶸は口を尖らせた。
ちょうど近くへ来た資料室の職員が苦笑しながら声をかけた。
「あっちはまた今度ね」
鶸はさらにむくれた。
「鶸、にこの図鑑の写しも作れますよ」
「え? ほんと!」
「ええ、数日いただくことにはなりますけど」
鶸は、すぐもらえるわけでないと知り「ふーん」と言った。
「もらっとけ」
「また取りにくるの大変じゃん」
「お前がヨダレ垂らしてもいいようにだよ」
珍しく青藍が笑っている。鶸は「うーん」と悩みながら、図鑑の青い羽根をもう一度指先でなぞった。それから、図鑑を抱えたまま灰桜とカウンターへ行った。
深緋は、青藍を見た。
青藍は、歩いていく鶸の後ろ姿を眺めたまま、深緋とは目を合わせなかった。それから本を棚に戻しに行った。
*
夕食のあと、食堂からぞろぞろと帰る道は気だるい。
窓の外はもう暗かった。廊下の照明はまだ夜間用には落ちていなくて、まだ全体が明るかった。鶸は、青藍の少し後ろを歩いていた。歩きながら、青藍の上着の裾を指先で軽く掴んでいた。
青藍は、それに気づいていたが、何も言わなかった。
鶸は、たぶん、無意識だった。
深緋は、そのうしろを歩いていた。
「セイラン」
「ん」
「明日は、訓練?」
「たぶん」
「ちゃんと?」
「ちゃんと」
「やった」
「コキアはまだ見学だな」
「コキア、早く訓練できるようになるといいね……」
「お前は座学を真面目にできるようになるといいな」
「なにそれー」
青藍はニヤッと笑った。
鶸は、上着の裾を掴んだまま、もう一度「なにそれ!」と言った。
部屋に戻ると、青藍は、机の上の本を一冊だけ閉じた。閉じた本は引き出しに入れた。
鶸はベッドに飛び込んで、毛布の中に潜った。「ねむい」と毛布の中で言った。
手元灯だけが点いていた。
青藍の机の上は、きれいに片づいていた。
深緋は、自分のベッドに座った。毛布の上に、手を置いた。
窓の外で、風の音はしなかった。
青藍が、机の椅子に座って、こちらを見た。
「コキア」
「ん」
「早く寝ろ」
「うん」
それだけだった。
深緋は、毛布を巻き込むように包まった。青藍の手元灯の光は、机の上の半分だけを照らしていた。鶸の寝息は、もう聞こえはじめていた。
いつもの夜だった。
いつもの夜のはずだった。
深緋は、目を閉じた。
目を閉じても、しばらくは、図鑑の青い羽根の色が、まぶたの裏に残っていた。
(了)
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
続きも読んでみたいと思っていただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけるとうれしいです。
毎日お昼12時過ぎに最新話を更新しています。




