第20話:全検査(下)
午前の最後が、負荷試験だった。
負荷試験は別室で行われる。中央に椅子があって、頭の上から計測の枠が下りてくる。指示に従って、自分の中の魔力の流れを段階的に上げていく。出力の上限と、その手前での安定域を測る。
検査員が、いつものように説明した。説明はいつもと同じだった。
「無理はしないで。途中で気分が悪くなったら、すぐ言ってください」
順番は深緋から。
座席に座ると、ゆっくり枠が下りてくる。胸のあたりに、薄く圧が乗る。
最初の段階は軽い。次の段階で、こめかみが少しだけ熱を持つ程度。さらに次で、視界の端がほんのわずかにぶれた。左肩の傷が、魔力の波と合わせるように脈を打った。
深緋は、それを言わなかった。言うと、もう一段上げる時に止められる。
「コキア、怪我は?」
「平気です」
「じゃあ次、上げて」
上がる。
胸の中の流れが、外側へ押し出されるみたいになる。耳の奥で、さっきの機器の駆動音が、もう一度聞こえた気がした。
検査員の声が遠い。視界が真っ白で何も見えない。
「コキア、ここまでで一度止めます。再測、午後に回します」
「……はい」
座席から下りた時、足が一度沈んだ。検査員に支えられて、外の椅子へ移った。
青藍と鶸は、廊下の長椅子で待っていた。鶸は、長椅子に横向きに座って、青藍の肩へ頭を預けていた。半分眠っているように見えたが、眠ってはいなかった。目だけ薄く開けている。
青藍が、こちらを見た。検査員に支えられている状況に驚いたようだ。
「コキア」
「ん」
「歩ける?」
「歩ける」
「ゆっくりな」
「うん」
青藍は、鶸の肩へ手を回したまま、もう片方の手で、近くの紙コップへ水を注いでくれた。コップを受け取る時、指先が少し触れた。青藍の指は、いつもより少し冷たかった。
青藍の負荷試験は、深緋より長かった。
深緋は、ずっと鶸の隣に座って、鶸の背中に手を当てていた。鶸はもう声を出さなかった。鶸はいつも検査が辛そうだ。
青藍が出てきた時も、顔色は白かった。検査員がしばらく休んでから動くように、と言っていた。青藍は黙って頷いた。
鶸の番は、午後に回された。
*
昼は、軽食だった。
検査の合間に取れる、消化のいいものだけ。お粥のようなものと、薄いスープ。鶸はほとんど食べなかった。スプーンを二回口へ運んで、それから「うん……」と言って止まった。
「ヒワ、もう少し」
「うん……」
「ひとくちだけ」
「うん……」
鶸は持たされたスプーンで、なんとか一口飲み込んでから、テーブルに突っ伏した。
深緋は、自分のお粥を半分くらい食べた。半分から先は、喉が通らなかった。
青藍も、半分くらいで止めていた。
食堂の隅の小さなテーブルだった。他班も、全検査の組はみんなここで取る。あちこちで似たような光景が広がっていた。突っ伏している子、ぼんやりしている子、水だけ飲んでいる子。声を出している子は、ほとんどいない。
*
午後の鶸の負荷試験は、途中で打ち切られた。
検査員が部屋の外まで連れてきて「もう少し休ませてから、再測定します」と言った。鶸は青藍にぐったりと寄りかかっていた。「……かえりたい」と鶸は呟いた。
深緋の再測定は、その後だった。
午前よりは少し短かった。ただ終わってから立ち上がる前、また視界が真っ白になって何も見えなくなった。検査員に椅子へ戻されて、そのまましばらく寝転がっていた。
その後、鶸の再測定があった。今度は歩けずに検査員に背負われて出てきて、そのまま南棟まで運んでもらった。
全部終わったのが、夕方近かった。
*
居室に戻った時、三人とも、ほとんど喋らなかった。
鶸は織部ともう一人の南棟スタッフにベッドに寝かされた。そのまま横向きになって、毛布をかけられていた。
青藍は、鶸のところへ水のボトルを置いた。それから、机の方へ自分の上着をかけた。動きが、いつもよりゆっくりしている。
深緋も、自分のベッドに横になる。
しばらくして、毛布の中から鶸の声がした。
「セイラン……」
「ん」
「気持ち悪い」
「トイレ行くか」
「うん……」
青藍が鶸を支えて、トイレの方へ連れて行った。少しして戻ってきた。鶸はまたベッドへ横になった。
それから二度、同じことが繰り返された。鶸は、行って戻ってを繰り返した。三回目のあと、鶸はもう動かなくなった。眠っているのか、ただ目を閉じているのか、わからなかった。
青藍は、鶸のベッドの脇にしゃがんで、しばらく背中をさすっていた。さすりながら、深緋の方を一度見た。
「コキア」
「ん」
「お前も大丈夫か?」
「うん」
「水、置いとくな」
「うん」
青藍は深緋のベッドの脇にも、水のボトルを置いてくれた。置いてから、また鶸の方へ戻った。
深緋は、ボトルへ手を伸ばさなかった。今何か飲んだら気持ち悪くなりそうだった。青藍だって、今辛いはずなのに。横になった深緋の頭の中を、その思いが巡っていた。
窓の外は、もう暗くなりかけていた。
夜もほとんど何も食べられなかった。
織部が食堂から、お粥とゼリーのようなものを持ってきた。鶸はそれを少しだけ口にして、また寝た。深緋はゼリーをひとつ食べた。青藍も食べた後はずっと横になっていた。
その夜は、誰もあまり喋らなかった。喋るほどの元気が、なかった。
深緋は、ベッドへ入ってから、左肩の傷が少し疼くのを感じた。負荷試験のあとから、身体の芯がずっと重かった。目を閉じても、耳の奥にまだ低い音が残っている気がした。
向こうのベッドで、鶸が小さく寝返りを打った。青藍が起き上がる気配がして、水のボトルが少し鳴った。
青藍だって、今辛いはずなのに。
全検査のあとは大人の巡回だってくるのに。
そう思ったところで、深緋は目を閉じた。何か口にすると、余計に気持ち悪くなりそうだった。
*
翌朝起きても、鶸はベッドの中だった。
起床の時間になっても、毛布の中から出てこなかった。青藍が軽く声をかけた。
「ヒワ、起きる?」
「うん……」
「無理か?」
「うん……」
青藍は、鶸の顔に一度手を当てて、それからまた毛布を戻した。
深緋は起きていた。起きていたが、ベッドの上で座ったまま、しばらく動けなかった。身体がまだ痛くて重い。昨日より、少しましだったが、まだ紋様集を広げられるほどの調子ではなかった。全検査明けは、全員一日休みになる。
まだ少し顔色が悪かった青藍は、それでも、机の方へ向かって、何か書き物をしていた。
朝食を持ってきた織部は「さすがにまだ無理よね」と鶸の熱を測り、深緋には「まだ真っ青よ」と寝てるよう言い付け、青藍には「もう起きるの?」と呆れていた。
部屋は、静かだった。鶸の寝息と、青藍の鉛筆の音だけがしていた。
午前のうちに、再び織部が来た。
ノックの音は、いつもより少し控えめだった。青藍が立ち上がって、ドアを開けた。
織部は、いつものゆっくりした歩調で入ってきた。手に、三つの封筒があった。
「昨日はお疲れさまでした」
「はい」
「ヒワは?」
「まだ寝てます」
「そう」
織部は、鶸のベッドの方を一度見て、それから声を落とした。
「無理に起こさなくていいですよ」
「はい」
「検査結果は、それぞれの机に置いておきますからね」
「はい」
織部は、それぞれの机へ三つの封筒を置いた。深緋、青藍、鶸。
深緋はベッドから動かなかった。動きたくなかった。熱が上がっているのかもしれない。起き上がれなかった。
「コキア、調子はどう?」
織部が、こちらへ声をかけた。
「まだちょっと」
「うん」
「でも平気です」
「ちょっと熱が上がってる。無理しない。寝てなさい、いい?」
「はい」
織部は、青藍の方へももう一度何か小さく言って、出ていった。ドアが静かに閉まった。
部屋にはそれぞれの机の上に封筒が三つ。
青藍は、しばらくして自分の封筒を手に取った。封筒を開けて、広げて目を通した。表情も特に変わらなかった。
読み終えると、青藍は紙を封筒へ戻した。そのまま引き出しへ入れて、静かに閉める。
深緋は、それをぼんやり見ていた。
いつもなら、三人で見るものだった。
深緋の封筒と、鶸の封筒は、まだそれぞれの机に置かれたままだった。
ああ、来たんだ、と深緋は思った。
青藍はそのあと、何も言わずに鶸をみた。まだ鶸は丸まって寝ている。
深緋は、壁向きに横になったまま、左肩にそっと手を当てた。傷は少しずつよくなるはずなのに、ずっと苦しいままだった。
(了)
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