第20話:全検査(上)
全検査の朝は、よく晴れていた。
窓の外は白っぽくて、いつもより明るい。深緋はそれをぼんやり見てから、毛布の中で一度身体を丸めた。だるい。寝起きから、もうだるかった。
検査の前は、いつもそうだった。朝食は軽めにと言われているが、そもそも胃が縮んだみたいに静かになっている。取り敢えず水を一口飲んだ。喉がつかえたようになる。
鶸は、まだベッドの中で動かなかった。声をかけても「うん……」とだけ返してくる。動きが鈍い。
青藍は、もう着替え終えていた。机の上に、今日の予定の紙が置いてある。集合時間と中央棟でのスケジュールが書かれていた。
「ヒワ、起きろ」
「うん……」
「水、飲んでおけよ」
「うん……」
「ヒワ」
「起きてる」
「起きてないだろ」
青藍は鶸の毛布を一度めくった。鶸は嫌そうに身を縮めて、それからのろのろと起き上がった。寝癖が片側だけ跳ねている。
「コキアもー、行くぞー」
「ん」
「立てる?」
「立てる」
立てる、と言ってから、ベッドの端へ足を下ろした。床が遠い気がした。包帯の腕は、もう昨日のうちにずいぶん軽くなっていた。けれど身体全体が、なんとなく重い。
怪我をしていなくったって、検査の前の身体は、いつもこうだった。
*
検査フロアは、中央棟の医療フロアの更に奥にある。
白い廊下、白い扉、白い案内板。床は乾いていて、靴音がよく響く。すれ違う他班の子も、みんな少し静かだった。
受付で名前を確認されて、待合へ通された。長椅子が並んでいて、壁にはいつもの、丸い時計と、検査の案内図。鶸は座るとすぐ、隣の青藍へ寄りかかった。
「ヒワ、まだ始まってないぞ」
「うん……」
「寝るな」
「寝てない」
「寝てるだろ」
「うん……」
青藍が苦笑して、鶸の肩を一度軽く揺すった。鶸は揺すられても離れなかった。
深緋は反対側に座って、後ろの壁に頭をもたれさせた。軽く食べただけの朝食が、ぐるぐると胃の中で重かった。
最初は、身体測定だった。採血、身長、体重、視力、聴力。
いつもと同じ部屋、いつもと同じ機械。検査員もいつもの人で、声のかけ方も穏やかだった
鶸が体重計から降りながら、小さくため息をついた。
次は適性検査だった。
検査室は薄暗い。ふだんはカーテンで仕切られた簡易検査だが、全検査は防音室に寝かされる。耳当ては重く冷たい。何も聞こえない中で一人で耐えなくてはならない。
順番は深緋からだった。
ヒヤリとした耳当て機器を装着され、検査員が出ていく。耳の奥に、低い駆動音がじわりと響き始めた。音そのものは大きくない。ただ、頭の骨の内側を引っかかれるような感触がある。
検査室についたカメラの向こうの視線を感じる。
目を閉じるんだっけ、と思い出す。
閉じる。
音が、少しずつ変わっていく。低い唸りから、薄く揺れる音へ。耳の奥が押されるような感覚。続けて、こめかみの内側に、締め付けられるような圧。
「属性と安定性、始めますね」
検査員の声が、機器越しに遠く聞こえた。
次は音がしない。その代わり、頭の中をスプーンでかき回されるような、気持ち悪さが続く。頭の中から少しずつ、体中の力が逆流していくような気持ち悪さ。
数分。
長く感じる。
「耐性計測です。これで終わりです」
深緋は浅く息を続けて、そしてゆっくり息を吸った。これが一番苦手だ。
全身の関節を強く捻られるような痛み。うなじから眉間に向かって、刺されるような痛みがある。深緋が炎の帯をだすときに意識するラインだ。
全検査はこれが長いから嫌いだ。我慢していた呻き声が少しだけ漏れる。
やっと機器を外されたあと、ベッドから降りようとしたが立てなかった。検査員がすぐ肩を支えてくれた。
「ゆっくり立ってね」
「はい」
「水、飲んでから出てください」
備え付けの紙コップで、ひとくち飲んだ。ぬるい水だった。
外の長椅子へ戻ると、青藍がこちらを見た。
「平気か」
「平気」
「顔色が酷い」
「平気だってば」
青藍は、それ以上は聞かなかった。
次が青藍だった。青藍が中へ入っていく。扉が閉まる。深緋は長椅子に座り直した。鶸が、半分寄りかかってきた。
「コキア、いたかった?」
「そりゃね」
「うん……」
「ヒワ、まだ始まってないじゃん」
「うん」
まだ怪我の熱があるのか、鶸の額が、いつもよりひんやり感じた。
青藍が出てきた時、顔色は普段とそれほど変わらなかった。ただ歩き方が、少しだけ慎重だった。長椅子に座って、自分でも水をひとくち飲んだ。
「セイラン、平気?」
鶸がしおしおの声で聞いた。
「平気」
「ほんと?」
「ほんと」
「ふうん……」
その返答で鶸は少し落ち着いたようだ。
次が鶸だった。鶸は立ち上がる時「うー」と小さく呻いた。
鶸は頷いて、検査室へ入っていった。扉が閉まる。
深緋は青藍を見なかった。青藍も、何も言わなかった。長椅子の上で、二人の腕が触れないくらいの距離で座っていた。
扉の向こうから、機器の駆動音がかすかに漏れてくる。低い唸りが、何度か波を打って、また低くなる。深緋は、自分の耳の奥が、それに合わせて少し疼くのを感じた。
しばらくして、扉が開いた。
鶸が、検査員に肩を支えられて出てきた。歩けてはいたが、足元が定まっていない。検査員が長椅子のところまで連れてきて、座らせた。
「少し休んでから、次へ行きましょうね」
「……うん」
鶸の返事が、ほとんど聞こえないくらい小さかった。
青藍がすぐに水のコップを差し出した。鶸は受け取って、ひとくち飲んで、それから口元を押さえた。
「ヒワ」
「……」
「吐きそうか」
「ちょっと」
「無理に飲むな」
青藍は、鶸の背中に手を置いた。さするでもなく、ただ置いていた。鶸はしばらくそのまま動かなかった。
深緋は、それを横から見ていた。
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