第18話:わかってる(下)
ズキズキする腕を触ると、生暖かいぬるりとした感触がする。視線を、自分の左腕の方へ落とした。左袖の色が濃く変色している。
「コキア」
「平気」
「見せろ」
「平気だって」
「いいから」
青藍はしゃがんで、深緋の左腕の袖を触ろうとした。深緋は腕を引いて下がった。青藍の方も見なかった。
「ごめん」
青藍が言った。
「壁、抜けた」
「うん」
「もうちょっと保たせるはずだった」
「うん」
「ごめんな」
「いいから」
深緋はそれ以上、何も言わなかった。言わなかったが、息が少し荒くなった。青藍たちの方向も向かずに。
医療スタッフが一人、こちらへ駆け寄ってきた。手早く、深緋の左腕の袖をめくる。深くえぐられた傷が肩から肘の内側にかけてできている。布の繊維が一本、傷の縁に張り付いていた。血がぼたぼたと指から滴り落ちている。鶸がぎょっとしたように目を見開いた。
スタッフは傷には触れずに、傷の長さと深さだけ確認し、タオルで強く押さえながら医療車両へ抱えて連れて行かれる。
「いま、止血だけします」
「うん」
「縫わないとですね、施設で」
「うん」
深緋は俯いて歩いた。青藍は見なかった。
青藍は、半歩離れた位置から着いてきたが誰も止めなかった。
「深緋、担架が来たら乗ってください」
医療スタッフが促した。
「いい、歩けます」
「コキア、乗っとけよ」
「歩ける」
「危ないから」
「いいって」
「コキア!」
「離れろよ」
「コキア、ごめん」
「離れろってば」
自分の声が、いつもより硬かった。誰よりも深緋自身がわかっていた。
「でもかなり出血してるから、お前思ってるより……」
「平気だって言ってるじゃん!」
深緋の声が、止まった。青藍の足も半歩遅れて、止まった。
止まってから、自分の声が、強く刺々しいことに、自分で気づいた。気づいたが、引っ込められなかった。
鶸は、深緋の右の少し後ろに目を大きくして、止まっていた。声を出さなかった。三人の周りの空気だけが、しばらく止まっていた。
深緋はずっと、二人の顔を見られなかった。
夜気は、静かになっていた。震動音も地響きもなく、闇に沈黙と足音だけが聞こえている。
鶸が口を開いたのは、車両が見えてきたあたりだった。
「ねえ」
鶸の声は小さかった。
「コキア」
「……」
「セイランのせいじゃないよ」
深緋は医療スタッフに支えられながら、俯いたまま呟く。
「わかってる」
「じゃあ」
「わかってるって」
「……」
「ヒワ、いいから」
青藍が止めた。
鶸は、口を閉じた。閉じた口の端が、少しだけ下がっていた。泣き出す前の顔のようだった。
青藍は、それ以上何も言わなかった。
医療車両に乗る頃には、深緋は寒くて力が入らなくなっていた。青藍と鶸が、この先は入れないと帰されると、深緋はほっとして力が抜けた。止められないほど震え出して、力が抜けて倒れ込みそうになった体を、大人が抱き上げ急いでベッドに運ぶ。待機していた医療スタッフが、横にされた深緋の止血をすぐに始めた。痛み止めなどは、別のスタッフから入れられる。深緋は途中で一度だけ、顔をしかめた。
少しずつ落ち着いてきた。全てがスムーズだった。
処置が終わると、医療スタッフは「明日、施設で本縫いしますからね。寝てていいですよ」とだけ言って、周りを片付けている。
落ち着いてくると同時に胸の奥に重たいものがあることに気づく。飛んできた大きな金属片が胸の中に入ってしまったかのようだ。
医療車両が、ゆっくり動き出した。
*
車両の窓の外は、変わらず暗かった。
深緋の医療車両には、入れてもらえなかった。回収した子どもも、別の車両に運ばれていた。
元の待機車両に戻ると、待機班に泥と血液に汚れた姿に驚かれたが、怪我がないことがわかるとほっとされた。
青藍は、膝の上の手をずっと組んでいた。組んだ手の指の関節がこわばってしまった。新しい靴の踵が目に入る。
「ヒワ」
青藍が、小さく言った。
「ん」
「お前は、悪くないからな」
「うん」
「コキアは別に、お前に怒ってるんじゃない」
「うん」
深緋に謝ると、怒られてしまった。青藍は何を間違えたんだろうと、考え続けていた。仮眠を取るべきなのに、眠れなかった。
横の鶸も珍しく黙りこくって、毛布を肩まで引き上げたまま眠れないようだった。
青藍は少しだけ迷ってから、隣の毛布越しに、軽く肩を叩いた。
「寝ろ」
「……うん」
鶸は小さく返したが、すぐには目を閉じなかった。
車両は、低い音で走り続けていた。
(了)
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