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第17話:北北東へ進め(上)

 待機所から出たのは、夜が深くなりきる少し前だった。


 端末の指示音が一度だけ短く鳴って、青藍せいらんが立ち上がった。地図と紙を畳んで、内側の留め具に挟む。ひわは敷物の上で一度大きく伸びをして、毛布を肩から落としながら起き上がった。寝ぼけた声で「行く?」と聞いて、青藍が「行く」と返した。それで支度は終わりだった。

 深緋こきあは、飲み物にもう一口だけ口をつけて、棚に戻した。


 外は曇っていた。月は出ていない。

 現場まではしばらく徒歩だった。低い植え込みのあいだの細い道を、青藍が先に立って歩いた。鶸が真ん中、深緋が後ろ。順番はいつもと同じだった。

 歩きながら、青藍が短く言った。


「囲い込みの確認な。ここから南南西に対象の子がいるはず。まずヒワが上から動いて追って。コキアは外側から火のラインで囲んで行く」

「うん」

「コキアは念のため対象から見えない位置から魔法……」

「わかってるって」


 深緋は青藍に被せるように返事をした。

 言ってしまってから、自分の声の硬さに気づいた。そして、気づいたもののそれ以上何も言わなかった。

 青藍もそれ以上言わなかった。先頭を歩く青藍の歩幅は、いつも通りだった。新しい靴は、まだ深緋の目の端に入っていた。


    *


 半壊した小屋が、闇の中に見えてきた。

 壁が一面、外側に向かって膨らむように割れていた。周辺の木が一点を起点にして外側に倒れている。木材が地面に散っている。少し離れた場所には、小さな道具のようなものが、形をなくして転がっていた。

 

 空気が、時々軽く震えていた。地面の砂が、ぱらぱらと跳ねた。一秒か二秒、また静かになる。それからまた、震える。

 断続的だった。

 続いているのは、大きい爆発ではない。魔法の衝撃波が漏れ出しているようだ。内戦区域の振動とは違う。


 青藍が、離れた手前の植え込みの陰で足を止めた。


「位置確認」


 短く言って、地図を一度開いた。指で三か所を順に押さえる。鶸の位置、深緋の位置、合流地点はこのあたり。深緋は紙を見ずに、青藍の指の動きだけ見ていた。それで足りた。


「ヒワ」

「うん」

「上から、追い込む方向だけ作れ。距離は詰めなくていい」

「うん」

「コキアの炎の帯を絞りながら合流地点へ誘導する。合わせて上からヒワの動きで、こっちへ寄せていく」

「うん」

「俺はここで防御壁、張って待ってる」


 青藍はそれだけ言って笑ってみせた。鶸の頭を一度だけ、軽く小突くようにした。鶸は「いてっ」と言って、笑い返した。

 青藍は深緋の方を一度見た。


「コキア」

「ん」

「遠くからな。焦がすなよ」

「わかってるから!」


 とがっていた。さっきより、もう少し棘が混ざってしまった。

 青藍は何も言わずに、近くに開けた合流地点へ移動していった。静かに落ち着いた足音が遠ざかる。


    *


「開始地点、行くね」

 

 鶸が、ふっと地面から浮き上がった。地面をタンッと軽く蹴ると、暗い夜空へ音もなく一瞬で舞い上がった。

 いつもより気持ち低めの高度で、小屋の屋根の少し上をスムーズに旋回する。深緋は植え込みの外側を回って、小屋の側面が見える位置まで動いた。


 深緋も足音がしないように、軽く地面を蹴って浮き上がり、低い位置で最初の位置まで飛んでいく。

 植え込みの陰にそっと着地して片膝をついた。壊れた壁の隙間から、対象の子どもの輪郭がわずかに見えた。鶸と同じくらいの背丈だった。膝を抱え、小屋の壁にぴったり背中をつけて固まっている。顔は伏せている。手を耳に当てているようだが、遠目にもぶるぶると震えている。耳を塞ごうとして、塞ぎ切れていない手だった。


 空気が、また低く震えた。

 ドンッ!


 子どもの肩のあたりから、突風のような衝撃が外側へ広がって、壁の木片を数片、吹き飛ばした。本人は木片が跳ねた音にびくっと反応して、さらに小さくなった。空気の震えが、もう一度起きた。

 あの子が怖がっているのは、外にあるものだけではなかった。自分の中にある力に怯えていると、深緋にはわかった。


 深緋はゆっくり息を整える。うなじから指先まで、力の通り道を意識する。炎は照らす程度の明るさ。地面に薄く囲むラインを決める。小屋の外側。子どもからは、うんと離して半円を描く形。狭くしすぎないように。逃げ場が完全になくなると、相手はもっと怯えるから。

 だからまずは明かりを灯すように。決めたラインに沿って、細く水を注ぐように指先から力を注ぐ。炎の帯が草も焦がさずに、すうっと小屋の周りを囲んで行く。炎は最初、脛ほどの低い帯だった。草の先だけを赤く照らしながら、地面を滑るように囲いを描いていく。


 ダンッ!

 強い衝撃が深緋の頬を打つ。急に燃えたらそりゃ怖いよね、と思った。

 深緋は、声を出した。


「大丈夫」


 大きすぎない声だった。小屋の壁をぎりぎり越えて聞こえる程度。

 子どもの肩が、一度だけ動いた。


「近づかないから」

 もう一度、同じ調子で重ねて声をかける。

「こっち見なくていい。声だけ聞いて」


 子どもは顔を上げなかった。ただ、耳を塞ごうとしていた手の力が少しだけ抜けた。深緋はそれを確認して、炎の明るさを少しずつ上げる。子どもの顔の輪郭がうっすら見える程度になった。


 上空から鶸の影が、小屋の屋根を掠めるように横切った。子どもが肩をすくめる。ドン、と空気が震えて、木片が弾け飛んだ。

 鶸はそれを避けるように空中で身体を傾け、すばやく外へ旋回した。

 子どもは少しずつ合流地点へ、にじり寄る。上を横切る影から逃げるように。

 深緋は、炎の帯をもうひと周り内側へ寄せた。合流地点のある北北東側を開いたまま、外側だけを静かに閉じる。

 空気がもう一度震えた。今度はさっきより少し弱かった。


「ゆっくり前に行こう」


 子どもは、顔を上げなかった。ただ、伏せていた顔の角度が、ほんの少しだけ変わった。

 子どもが、ようやく少しだけ動いた。

 膝を伸ばして、壁から背を離して、半歩、合流地点側へ。よろめきながら動いて、すぐに止まった。動いたことに自分でびっくりしたように、一歩ずつ歩き始めた。

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

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毎日お昼12時過ぎに最新話を更新しています。

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