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第16話:新しい靴(下)

 車両が止まったのは、夕方の終わりごろだった。


 現場へはまだ少し距離がある位置に、簡易待機所が組まれていた。車両を降りて少し歩いたところに、風除けの目隠しスクリーンと、低い屋根テントと、入口の前に置かれた折り畳みの椅子が二つ。中に入ると、暗めの照明が一つ、天井から吊るされていた。床には敷物と毛布。壁際に端末。配置はいつもと同じだった。

 別の班は、待機所の奥の方に荷物を置いていた。今回の待機班だ。


 鶸は、待機所に入った時点ではいったん起きていたが、椅子に座って五分も経たないうちに、また舟を漕ぎ始めた。


「ヒワ、椅子で寝るなって」

「うん……」

「移れよ、敷物の方」

「うん……」


 返事はしていたが、体は動いていなかった。

 青藍は「仕方ないな」と言いながら、椅子の鶸の肩を軽く支えるようにして、敷物の方へ移した。鶸は半分起きたような顔で、敷物にそのまま倒れ込んだ。毛布を一枚、青藍が肩までかけた。鶸は寝返りを一度打って、それきり動かなくなった。


 青藍は、自分の場所を端末の近くに決めた。

 折り畳みの椅子を引き寄せて座って、地図と指示書をもう一度開いた。今度はさっきよりゆっくり見ていた。指示書の方を一度脇に置いて、別の紙を出した。現場周辺の細かい図だった。深緋は、その紙を初めて見た。たぶん、出発前に青藍がもらってきたものだった。

 端末の表示を一度確認して、紙の図と照らし合わせる。発現位置の周辺で、囲い込みに使えそうな地形を、指でなぞっている。低い塀と、植え込みの並びと、開けた区画の境目。順番に書き込んでいく。


 深緋は、入口に近い側の敷物に座った。

 毛布は取らなかった。膝を抱えるでもなく、ただ座って、足を前に投げ出していた。

 待機所の外で、大人が何人か走って出ていく足音がした。低い声が飛び交っている。鶸は起きなかった。


「コキア」


 青藍が、資料から目を上げずに言った。


「ん」

「水、飲んどけよ」

「うん」

「現場入ったら、しばらく口つけられないから」

「うん」

「後で囲い込み場所の説明受けるけど……」と言って地図を広げた。


 青藍の説明はわかりやすかった。囲い込みながら青藍の待つ合流地点まで連れて行くこと。近くなったら地上では青藍の防御壁の中から操作すること。深緋は聞きながら、棚からボトルを取って、口を開けた。一口飲んで、また閉じた。膝の横に置いた。

 説明しながら、紙の上で止まっては動く青藍の指を見ていた。

 新しい靴の踵が、椅子の下に見えていた。床の上できれいに揃っていた。爪先の余りが、適度にある。前のはもっと擦れていた、と深緋は思った。

 思って、すぐにやめた。


    *


 夜が、少しずつ深くなった。

 待機所の照明は、最初からそれほど明るくない。時間が進むにつれて、明るさが変わるわけでもないのに、なんとなく暗くなってきたように感じた。たぶん、外の暗さに目が引きずられているせいだった。

 別の班の方は、二人が敷物で横になって、一人が端末の前で何かを確認していた。声は出ていなかった。たまに、紙をめくる音だけがした。


 鶸は、深く寝ていた。

 毛布を肩まで引き上げたのは青藍だったが、鶸はそのあと自分で半分ほど蹴り飛ばしていた。片足が毛布の外に出ている。寝相は、家でも、外でも、変わらなかった。

 青藍は、まだ起きていた。

 資料を膝に置いて、時々端末の表示を確認している。動きは静かだった。ページをめくる音も、紙を置く音も、鶸を起こさない程度の音だった。慣れていた。

 深緋は、壁にもたれたまま、それを見ていた。

 青藍は、途中で新しい紙を一枚出した。発現位置周辺の、さらに細かい図だった。低い塀、植え込み、建物の影。指で順番に辿っている。


「コキア」


 青藍が、紙を見たまま声をかけた。


「もし対象が南側まで流れたら、一回上空に行って。ヒワだけ先行かせる」

「うん」

「離れて囲い込み優先な。無理に近づくなよ」

「あー、うん……」


 深緋の返事は、少しだけ硬かった。


「警戒区域から出そうなら、すぐ呼べよ」

「……わかってる」


 青藍はそこで、深緋の硬い声にようやく顔を上げた。


「コキア?」

「……別に」

「そうか?」


 深緋は膝の横のボトルを取って、一口だけ水を飲んだ。青藍はじっとその様子を見ていたが、それ以上は何も言わなかった。書き込んだ図へ目を落として、まだ確認している。

 青藍の説明は、いつも通りわかりやすかった。囲い込みながら、どこで止めるか。どこで炎を張るか。何を優先するか。順番に整理されていく。


 鶸が寝返りを打った。毛布の端が少しだけずれたが、そのまま起きる気配はなかった。

 待機所の外で、誰かの足音が通り過ぎた。端末の光が、壁際で小さく点滅していた。

 青藍はまだ何か書き込んでいる。新しい靴の踵が、椅子の下に揃って見えていた。深緋は、それを見ないように、一度ぎゅっと目を閉じた。


(了)

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

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毎日お昼12時過ぎに最新話を更新しています。

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