第15話:靴擦れ(上)
午前の訓練が終わって、地下訓練室から地上へ上がる階段の途中で、青藍の足取りが少しだけ重かった。
深緋は、青藍の半歩後ろを歩いていた。鶸はその後ろから、両手を首後ろに組んで歩いていた。鶸は訓練のあとはたいてい眠そうにしているが、めずらしく今日はまだ目が開いていた。
階段を上りきったところで、青藍が一度立ち止まった。靴の踵を、片手で軽く引っ張っている。
「セイラン」
「ん」
「踵?」
「ん、ちょっと」
「どうしたの?」
「大丈夫」
青藍はまた歩き出した。歩幅は普段とほぼ同じだったが、右足をかばっているようにも見えた。
南棟の廊下に入って、自分たちの階に上がった。部屋のドアの前で、鶸がふと青藍の足元に視線を落とした。
「あ」
「ん?」
「うわ、セイラン血が出てるよ」
鶸が屈み込んで、青藍の右の足元を覗きこんだ。青藍は「見るなって」と言いながら、足を引いた。鶸はそのまま、青藍の足元の床にしゃがみ込んだ。
「セイラン、靴下まで血がにじんでるじゃん」
「大したことないだろ」
「たいしてる、靴下のとこ」
「あー……靴擦れだから」
「いたい?」
「いたくはない」
「うそ」
「うそじゃないから、ほら立って」
青藍は鶸の頭を、片手で軽く押し戻した。鶸は床に座り込んだまま、口を尖らせて青藍の足元を見ていた。深緋はドアを開けて、先に部屋へ入った。
「ヒワ、入れよ」
「うんー」
鶸は立ち上がって、青藍より先に部屋に入った。青藍は最後に入って、ドアを閉めた。途中で、靴の踵に軽く触れて、それから、靴を脱いだ。靴下の踵からくるぶしまでにじんだ赤い染みがあった。
青藍は、ベッドの脇に座って、靴下をそっと脱いだ。踵の皮が剥けていた。本人は、特に騒がなかった。引き出しから絆創膏を出して、丁寧に貼った。痛そうだ。
「ヒワ、覗くな」
「だってー」
「自分のベッドに戻れ」
「うん」
鶸はベッドに転がって、それからすぐに起き上がって、先日もらった図鑑の写しを眺めている。しばらくして口を開いた。
「オリベに見てもらった方がいいよ」
「そうだな」
「ちゃんと消毒するんだよ。痛いけど」
「はいはい」
青藍は、そうやって平気な顔ばかりする。
深緋は、いつもならそのまま流せるのに、今日はどうしても胸がむかむかした。
*
昼食の食堂で、鶸は今日はグリーンピースを半分残した。
今日は半分は最初から少なめにしてもらっていた。それでも残した。青藍は呆れた顔で、皿の上の残りを受け取った。鶸は申し訳なさそうにというより、得意げに笑っていた。
「セイラン、ありがとー」
「礼を言うな、残すな」
「えへへ」
「えへへじゃないだろ」
深緋はスクランブルエッグをすくいながら、二人の様子を横で聞いていた。
窓の外は風が強く、木が時折大きく揺れている。
「セイラン、足だいじょうぶ?」
鶸が、スプーンを咥えたまま言った。
「平気だ」
「歩いてて、いたくない?」
「いたくない」
「ほんと?」
「ほんと」
青藍はそう言って、ツナサンドを一口齧った。鶸は納得したらしく、また自分の卵に戻った。青藍がサンドイッチを飲み込んだ時、深緋はふとその喉元の骨が少し目についた。
深緋は、テーブルの下の、青藍の靴をそっと見た。今の靴は、たしかワンサイズ上に替えたのが半年前くらいだった。変えたばかりの頃はぴったりだったはずなのに、今はきつそうだ。靴擦れをした右足はかかとを踏んでいる。深緋は何も言わず、スクランブルエッグをもう一口ほおばった。
*
午後の訓練が終わって部屋へ戻る頃には、南棟の廊下は少し静かになっていた。
青藍は部屋へ入るなり、靴を脱いで、ベッドの脇へ腰を下ろした。踵の絆創膏が少しずれていたらしい。眉を寄せながら貼り直している。
鶸はその横へしゃがみ込んだ。
「うわ、まだ血がでてるー」
「覗くなって」
「消毒ちゃんとした?」
「した」
「ほんと?」
「ほんと」
青藍は適当に返しながら、新しい絆創膏を押さえた。
深緋は机へ課題の紙を広げた。課題を三問ほど進めたところで、ドアが軽くノックされた。
「はい」
深緋が返事をすると、織部がランドリー袋を抱えて立っていた。
「お洗濯の返却ですよ」
「あ、ありがとーございます」
鶸が立ち上がって受け取った。袋を抱えて「軽い」と言う。
「乾いてるからね」
「そっか」
織部はそこで、青藍の足元を見た。
「セイラン、それ靴擦れですか」
「まあ」
「あとで消毒にきますからね」
「平気です」
「靴擦れはちゃんと処置しないと悪化しますよ」
「ほらー」
「お前が偉そうに言うな」
織部はくすくす笑った。
「今日はもう訓練ありませんから、あまり無茶しないように」
「はーい」
織部が出ていくと、部屋はまた静かになった。
鶸はランドリー袋を床へひっくり返した。乾いた服がどさっと広がる。
「ヒワ、ちゃんと畳め」
「あとでやるー」
「今やれ」
「えー」
鶸は口では文句を言いながら、Tシャツを一枚だけ持ち上げた。変な向きに折って、そのまま引き出しへ押し込む。
「お前それ絶対シワになるぞ」
「だいじょうぶ」
「大丈夫じゃないだろ」
「入ればいいのー」
青藍は何か言い返しかけて、途中でやめた。自分の服を黙々と畳み始める。
深緋は鉛筆を止めて、その様子を見ていた。
青藍は靴下をしまう段を開けたところで、一瞬だけ手を止めた。新しい靴下の束と、その横にある少し擦り切れたものを見比べている。そういえば、制服の袖から青藍の手首まで見えている。手首まで隠れるサイズで支給されてたはずなのに。
「セイラン」
「ん」
「まだ痛い?」
「別に」
「歩き方ちょっと変だもん」
「気のせい」
青藍は引き出しを閉めた。
窓の外では、風で木が揺れていた。昼より強い風だった。枝がこすれる音が、少しだけ窓まで届いている。
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