第14話:銀鼠(下)
食堂は、いつもの景色だった。
配膳の列はそれほど長くなかった。鶸はトレイを取って、配膳の人に「おさかなふたつがいいな……」と言いかけて、「ひとつでーす」と途中で言い直した。配膳の人は短く笑って、大きめの切り身乗せていた。
深緋も皿を受け取って、いつもの窓際のテーブルに向かった。青藍は最後にトレイを取って、ついてきた。
窓際の席に三人で座った。鶸は皿の上の魚をじっと見て、それから、ほぐし始めた。骨を端の小皿に出すのは、いつも青藍がやっていた。今日もそうだった。鶸は皿を青藍の方へ「はい」と押し出した。
「自分でやれよ、たまには」
「えー」
「骨をつまんで取ればいいだけだろ」
「セイラン、じょうずだもん」
「お前が下手なだけだろ」
青藍は文句を言いつつも、結局、鶸の皿を受け取った。骨を二、三本、小皿に外してから、戻した。鶸は満足そうに食べ始めた。
深緋は汁物を一口飲んで、それから魚を箸でほぐした。骨の細いところは、自分で気をつけて避けた。
食堂の入り口から、南六班の三人が入ってきた。杏がぺちゃくちゃしゃべりながら、後ろに桔梗、最後に退紅がいた。杏は配膳の列に向かいながら、南一班のテーブルを見つけて、「おーい」と片手だけ上げた。退紅と桔梗も後ろからついていった。
鶸はそれに気づいて、「ういーす」と軽く片手を上げて返した。それから、また魚に戻った。
桔梗はすっかり馴染んできたようで、杏に話しかけられてずっと笑っている。
窓の外は晴れていた。植え込みの小さな白い花は、今日は色がくっきりしている。
深緋は少しだけ箸を止めて、窓の外を見た。それから、また食事に戻った。
*
昼食を終えて、何事もなかったようにいつもの渡り廊下から南棟へ戻る。
自分たちの部屋に着いた頃には、廊下はいつもの静けさに戻っていた。部屋の前で、青藍がドアを開ける前に、一度だけ振り返った。
「ヒワ」
「ん?」
「夕食までの間、寝るならベッドで寝ろよ」
「うん」
「床で寝るなよ」
「うん」
青藍はドアを開けた。鶸が先に入って、まっすぐベッドに飛び込んだ。お腹がいっぱいだと、いつもこうなった。鶸は毛布を抱えたまま、すぐには喋らなかった。青藍はそれを見て、短くため息をついて、机の方へ歩いていった。
深緋は机に向かって、黙々と明日までの課題を進めた。さすがに真面目に進めないとまずい。
あの胸元の、銀鼠の名札の文字が、もう一度だけ思い出された。白い縁の薄い名札だった。文字は、はっきり見えた。
深緋は深くため息をついて課題にもどった。
夕方近くなって、鶸が起きた。
ベッドの上で寝返りを打って、それから半身を起こした。昼寝なのに寝癖がいつもよりひどかった。鶸は、しばらくぼんやりベッドに座っていた。
「セイラン」
「ん」
「ギンネズって、なに」
青藍は本のページから顔を上げた。少しだけ間があった。
「ん?」
「さっき、誰かそう呼んでた」
「ああ」
「ギンネズって、新しい名前?」
「大人になったからじゃないか」
「ふうん」
鶸はまたベッドに転がった。
ベッドの上で何度か姿勢を変えて、最後に仰向けになった。天井を見ていた。
「セイラン」
「ん」
「ボク、よんじゃったけど」
「ああ」
「次から、よばないようにする」
「うん」
「ムラサキが、わるいんじゃないでしょ」
「ない」
「だよね」
「うん」
鶸は黙って天井を見たまま、しばらく動かなかった。やがて、また目を閉じた。寝るつもりなのか、ただ目を閉じているだけなのかは、わからなかった。
青藍は本に戻った。深緋はなんとか課題を今日中に仕上げられそうだ。
廊下の方から、足音が一度通り過ぎた。一人だった。靴の音は、南棟用の柔らかい音だった。途中で止まらず、奥の方へ歩いていった。
深緋は鉛筆を置いた。外の木の枝が重そうに垂れ下がっているのが見えた。風は、まだ動かなかった。
しばらくして、廊下の方から、別の足音が通り過ぎた。今度は二人だった。子どもの足音と、大人の足音だった。途中で止まり、別の部屋のドアを開ける音がした。それから、また閉まる音がした。
「コキア」
「ん」
「夕食、もう少ししたら行くか」
「うん」
「ヒワ、起こすか」
「うん」
青藍は本を閉じた。栞は、今日は少しだけ前に進んだ位置にあった。
深緋は窓の外をもう一度だけ見て、それから、ベッドのところへ歩いていった。鶸の肩のあたりを、軽く揺すった。鶸は「うーん」と言って、目を開けた。
「ヒワ、ごはん」
「うん」
鶸はゆっくり起き上がった。寝癖は、さらにひどくなっていた。
窓の外で、木の影が、ようやく一度だけ揺れた。揺れたあと、また元の位置に戻った。
夕食までは、もう少しだった。
(了)
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