第12話:二つの席と万華鏡(上)
深緋が目を覚ますと、青藍はもう起きていた。
窓の外は白く晴れていて、植え込みの影が濃かった。いつの間にか、窓の下の植え込みは背の低い白い花へ変わっていた。
鶸は毛布に半分埋まったまま、枕を抱えている。
「今日はジャムかな」
毛布の中から声だけが聞こえてきた。
「知らない」
「イチゴジャムがいいな〜」
「行けばわかるだろ、早く支度しろ」
青藍は着替えながら、ぞんざいに返事をする。
深緋はベッドを整えてから、洗面所へ向かった。途中で鶸が急に起き上がって、ぱたぱた追い抜いていったので、順番は二番目になった。
顔を洗って戻ると、鶸の髪が後ろだけ盛大に跳ねていた。
「ヒワ、寝癖」
「んー?」
鶸は気にせずに靴下を履いている。
「そのまま行く気か」
「いいじゃん」
「よくないだろ」
青藍は溜息をついて、鶸の後頭部を片手で押さえた。水で軽く濡らして、そのまま撫でつける。
「つめた!」
「動くな」
「もういいってー」
「よくない」
鶸はぶつぶつ言いながらも、逃げなかった。
深緋は寝間着を畳んで、ランドリー袋へ入れた。
窓の外では、風で植え込みが少しだけ揺れていた。
*
食堂は今朝は少し人が多かった。
深緋たちは南棟の列に並んでいた。隣の列の奥には、東二班の姿が見えた。竜胆が何か喋っていて、紅唐が笑っていた。常盤はトレイを持ったまま、それを横で聞いている。
鶸はパンを二つ取って、マーマレードを二つ取った。
「あー……」
「なんだよ」
「甘いの好きだけど、これじゃなかったなー」
「じゃあ取るな」
「それは取るでしょ?甘いし」
「わがままいうな」
鶸はぶつぶつ言いながら、二つとも自分のトレイへ載せた。もう一つ取ろうとして、配膳の大人から「二つまでよ」と睨まれていた。
席に着くと、青藍が薄い綴じた資料を机の端へ置いた。合同座学のやつだった。鶸はそれをちらりと見て、それからパンをちぎった。
「セイラン、これ難しいの?」
「まだ見てない」
「じゃあ難しいよなー」
「なんでだよ」
深緋はスープを一口飲んだ。あたたかいコーンとミルクの味が口の中に広がる。
東十班の席は、二人だけだった。
浅縹と晒柿が、並んで座っていた。空いた側の椅子は、もう最初からそこに誰もいなかったようだ。
食堂の入り口の方で、織部が東棟側の職員と何か話していた。書類を受け取って、そのまま食堂を軽く見回している。
目の前では、鶸がパンへマーマレードを塗りすぎて、指にまで垂らしていた。
「ヒワ」
「んー?」
「垂れてる」
「うわ」
鶸は慌てて指を舐めた。マーマレードがまだ少し残っていて、今度は手の甲についた。
「広がってるぞ」
「わ、わ…あれ?」
「だから拭けって」
青藍は呆れた顔で紙ナプキンを渡した。深緋も「なにやってんの」と、笑いながら二人を見ていた。
食堂は少し騒がしくて、窓の外はまだ夏みたいによく晴れていた。
*
朝食のあと、南一班は袋を持ってランドリー室へ向かった。
食堂の隣のランドリー室は、朝のうちは少し混む。
提出口の前には何人か並んでいて、奥では大人たちが次々に袋を受け取っていた。乾いたタオルの匂いと、洗剤の匂いが少し混ざっている。
鶸はランドリー袋を片手にぶら下げてグルグルと振り回しながら、列に並んでいた。
「ヒワ」
「んー?」
「危ないから振り回すな、あと訓練着は入れてるよな」
「あ」
鶸が止まった。
「昨日の、まだ部屋にある」
「取ってこい」
「えー」
「集合に間に合わなくなるぞ」
鶸は「うえー」と叫びながら、ぱたぱた廊下を走っていった。
「ヒワ、廊下を走らない!」
ランドリー室の奥から、大人の声が飛んだ。
「はーい!」
返事だけは元気だった。
深緋はランドリー袋を抱え直した。前の子が袋を渡しているあいだ、提出口の横に積まれた白いタオルをぼんやり見ていた。
青藍は小さく溜息をついていた。
「絶対めちゃくちゃ走ってるな」
「うん」
しばらくして、鶸が息を切らして戻ってきた。
「間に合った!」
「廊下走るなって」
「歩いた」
「嘘つけ」
青藍は呆れた顔で、それでも鶸の襟元と裾を軽く整えてやっていた。
*
合同座学は、中央棟の合同講義室で行われる。
南棟の引率は織部、東棟側には別の引率職員が立っていた。廊下では私語は控えるようにと、出発前に念を押された。
鶸はそれでも、深緋の後ろで小さく「合同講義室、ひさしぶりだぁ」と囁いた。
「前きたの、冬だっけ?」
「もっと前じゃない」
「雪の日だった気がする」
「それは検診の日だろ」
青藍が前を向いたまま言った。
中央棟の廊下は、南棟より少し静かだった。窓が高くて、床の白い光が長く伸びている。
合同講義室は天井が高く、後ろの席ほど少し高くなっていた。跳ね上げ式の机と椅子が並んでいて、南棟は左、東棟は右へ分かれて座るようになっている。南一班は左側の真ん中あたりだった。
東棟側では、竜胆がこちらに気づいて、小さく手を振った。鶸もひらひらと振り返した。東十班の席は、二つ。浅縹と晒柿が並んで座っていた。前は三人のはずだけれど、今日は最初から二人だったみたいに。席の間もきれいに詰められていた。
「東十、二人になったのかな」
鶸が小さく言った。青藍が視線だけそちらへ向けた。
「あー……」
「解散よりは補充かな」
「かもな」
それだけで充分だ。
煤竹が前へ立って、今日の範囲を開くように言った。講義室のあちこちで、紙の音が重なる。
深緋はノートを開いた。青藍はもう筆記具を出している。鶸は椅子へ浅く座ったまま、ノートの端に小さな山を描いていた。
「ヒワ」
「ん?」
「講義始まるぞ」
「まだ描き終わってない」
「そうじゃないだろ」
今日は北方の地形と植生の話だった。
黒板へ簡単な等高線が描かれて、その横へ植物の名前がいくつか並べられていく。青藍は真面目に書き写していた。深緋も途中までは写していたが、途中から窓の外を見ていた。
空はよく晴れていた。
鶸は等高線のてっぺんへ、小さな人を描き足していた。
休憩の合図が入った。
立ち歩くことはできないので、みんな席についたまま少しだけ姿勢を崩す。
鶸は前の席へぐったりもたれて、「つかれたぁ」と小さく言った。
「まだ半分だぞ」
「うそ」
「ほんと」
青藍はそう言いながら、ノートをめくった。
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