第01話:外された名札(上)
雨が窓を叩いている。
深緋は窓枠に肘を乗せたまま、灰色の空を見ていた。
ガラスの向こうには、整備された庭が広がっている。芝生が均一に刈られて、石畳の小道が真っ直ぐに延びていた。雨粒が葉の上で小さく弾け、水たまりに波紋を作る。
誰かが整えたように美しい庭だった。子どもたちのための施設なのに、子どもたちが決して遊べない庭だった。
「コキアー。ねえ、コキア」
背後から鶸の声がした。振り返らなくても、なんとなく表情が想像できる。深緋は少し、いや、だいぶ面倒な気持ちで返事をする。
「聞こえてるよ」
「セイランがトランプ持ってきたんだけど、三人でやろうよ。こういう日はそれしかないって」
「今、待機中だし」
「えー、待機中だからやるんでしょ!」
反論するのも億劫で、しかたなく深緋は窓から離れた。
中央棟の待機室は広くはないが、不自由もない。椅子と簡易ベッドが人数分あって、隅に小さなテーブルが置いてある。棚には飲み物と携帯食料が並んでいた。換気が行き届いていて、雨の日特有の湿り気はほとんど感じない。
青藍はすでにテーブルの前に座って、諦めの顔でカードをシャッフルしていた。
「何にする?」
「ヒワが決めていいよ」
「じゃあね!神経衰弱!」
即答には理由があって、鶸はこれが一番強い。カードの裏を見る力が強いのだ。
「また負けるな」と深緋は内心で思いながら、椅子を引いた。
カードが軽い音を立てて並べられていく。青藍は手際良く、丁寧に均等な間隔で四十枚のカードを裏返しに置く。
小さな雨音がずっと続いていた。
三回戦やって、鶸が三回勝った。
「はい、コキアの負けー」
「わかってるって」
「セイランも負けー」
「はいはいわかってる」
鶸が得意げに笑う。勝ち誇るというよりも、ただただ嬉しそうな笑い方。深緋はそれがちょっとムカついたが、それが鶸なので諦めた。
「ヒワ、カード見てたんだろ」
「見てないよー。感じてただけ!」
「同じことだろ?」
「えー、違うよ!意識してないもん」
青藍がカードを集めながら、諦めたように笑っている。声には出さないが、口元が歪んでるのが見える。きっと鶸の言い訳が毎回少しずつ違うのを、たぶん楽しんでいる。
深緋はテーブルの端に頬杖をついた。外の雨がまだ続いていた。庭の芝生が雨に打たれて濃い緑になっている。窓から渡り廊下が見える。南棟へ戻る渡り廊下が、白い照明の中へ細長く伸びているのが見えた。当番待機の日は退屈だ。
「ねーねー今日、出動あると思う?」
「さあね」
「でも連絡来てたよね、昨日。南の方で何かあったって」
「来てたな」と青藍が答えた。
「詳細は聞いてない」
「子どもの保護、って聞こえた気がしたんだー」
深緋は何も言わなかった。
保護任務。その言葉が室内に短く残って、どこかに消えた。
*
連絡が来たのは昼過ぎだった。
廊下を早足で来た大人のスタッフが扉を開けて、落ち着いた声で子どもたちへ言った。
「南棟第一班、出動準備をしてください。南区第三地区の調査任務です。現地に保護対象の子どもたちが確認されています」
深緋たち三人は立ち上がった。
準備は早い。そういう訓練をずっとしてきた。深緋はジャケットの留め具を確認しながら廊下に出る。前を歩くスタッフの背中は、急いでいるのに慌てていない。
鶸は小走りに追いかけながら、スタッフの大人に聞いた。
「どれくらいいるの?」
「現時点では不明です。建物内に複数、と」
「なんさいくらい?」
「こちらも確認中です」答えは素っ気ない。
スタッフの大人が答えるたびに、鶸が次の質問をする。
深緋は黙ってついていく。車両まではすぐだし、どうせ行けばわかる。
内戦が長引いている地域では、保護を受けられない子どもが出る。特に大人が機能しなくなった地区では、子どもだけで残されることがある。そういう子どもたちを見つけて、安全な場所へ連れてくる。それが保護任務だった。
扉を出た廊下の突き当たりで、上の階から別のスタッフが降りてきた。白衣を着ていた。医療スタッフだ。いつもそうだった。保護任務には必ず医療の大人がつく。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ。怪我しないでね」
青藍の短い挨拶に、白衣の大人が答えた。穏やかな声だった。
車が動き出したとき、雨はまだ続いていた。
中央棟の出庫口から、そのまま南門のゴツゴツした意匠が雨の中にチラリと見えて、すぐに遠ざかった。広い道路に出ると、周囲の景色が徐々に変わっていく。建物が古くなる。道が細くなる。整備された街灯が減っていく。
鶸が窓に顔を近づけていた。ガタンと揺れて、おでこがゴツンとぶつかった。雨で広がっている黄緑がかった癖っ毛もフワッと揺れる。
「あいたッ……ね、いままで南区の方来たことあるっけ?」
「うちは、そんなにないはず」
深緋の答えに、青藍は顎に手を当てて、思い出す。
「去年の秋に一度あったな、別の任務で。廃工場の近くだった」
「あー、そこでも保護だったっけー?」
「違う。残留物資の確認だった」
鶸が「ふーん」と短く言って、また窓の外を見た。
深緋は車内の天井を見上げた。シートが柔らかかった。移動用の車は、施設の備品と同じように、よく整備されて清潔だった。座り心地も良い。
外の景色はどんどん変わって瓦礫にまみれた荒地が増えている。車内の景色は変わらない。
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