第09話:負荷試験(下)
深緋は天井を見ていた。白い天井に、四角い照明が並んでいた。最初は何も感じない。少しすると、ブゥンと耳の奥がぐらつくような感じが来る。それから、視界が少しずつ、ずれていくような感じになる。横になっているのに、横になっていない気がしてきて目を瞑った。
むかむかした吐き気が、立った。
頭の中に、よく回らない歯車のような感覚があった。続かない。続いていない。ただ、続いている。頭の中を引っかかれるような痛みがある。
隣のベッドで、鶸が一度短く声を漏らした。「うえ」と聞こえた。スタッフが「もう少しですからね」と穏やかに言った。
青藍の方は、静かだった。
どれくらいの時間が経ったか、深緋にはわからなかった。頭の中の痛みが、全身に広がっていく。たぶん、長くはなかった。ただ、永遠かと思うほど長く感じた。
「終わりですよ」
耳当てが外された。
負荷が止まると、しばらく天井が揺れた。揺れがゆっくり収まっていった。まだじんじんと全身が痛い。気持ちが悪い。
昨日まで身体に残っていた、眠れば少しずつ軽くなる疲れとは違った。
身体の中を無理にかき回されて、力だけを抜き取られたようだった。
「ゆっくり起き上がってくださいね」
スタッフの大人はずっと穏やかで優しかった。
*
検査室から出ると、待合室の長椅子に戻された。
すぐには南棟へ帰りたかったが、織部も誰も来ていなかった。鶸は長椅子の上で横になっていた。靴を片方だけ脱いでいた。
「むり……きもちわる……」
「水飲むか」
青藍は水のボトルを鶸の手元に置いた。鶸は片手で受け取って、一口飲んだ。それからまた、ボトルを胸の上に置いて目を閉じた。青藍も自分の水を一口飲んで、長椅子の背もたれに寄りかかった。本は持ってきていたが、開かなかった。
深緋は長椅子の端に座った。膝の上に手を置いた。手のひらが冷えていた。いつもより短くて少ない検査でも疲れた。
東十一班の泣き虫が、検査室から戻ってきていた。泣いた跡があり、ただぐったりしていた。班員の一人が水を渡していた。
東二班の三人は、もう検査を終えていた。竜胆は本を閉じて、目を閉じていた。紅唐は完全に長椅子に横たわって寝ていた。常盤も無言だった。
織部が、待合室に顔を出した。
「お疲れさまでした。もう少し休んでからがいいかな? 十五分くらいしたらまた迎えにきますね」
「はあい」
鶸の返事が一番遅かった。声も小さかった。織部はそっと微笑んで、また奥に戻っていった。
深緋は壁の時計を見た。秒針の音が、まださっきと同じ間隔で鳴っていた。
*
部屋に戻ったのは、昼を少し過ぎてからだった。
鶸はベッドに辿り着いた瞬間、靴も脱がずに転がった。
「ヒワ、靴」
「……」
「脱げって」
「……うん」
鶸は片足ずつ、ゆっくり靴を脱いだ。片方は床に落ちて、もう片方はベッドの端に引っかかった。青藍が拾って揃えて置いた。
青藍は自分の机に座って、本を開いた。地誌の方だった。ページに目を落として、しばらく動かなかった。指は栞の上に置かれていた。
深緋もベッドに横になりたかった。
その前に引き出しを開けた。紋様集を出して、ベッドに投げた。今は塗ってないと、たぶん耐えられない。
ページを開いた。途中まで塗ってあるページがあった。蔓の渦巻きの半分くらい塗ってあるページだった。
色鉛筆を出した。薄い緑を選んだ。葉の縁を、少しずつ塗った。
手が、少しだけまだ震えている。強く握りなおして、また塗った。一本の線が、思ったより太くなった。ゆっくり埋めていく。
鶸の寝息が聞こえてきた。早かった。
青藍は本のページを、まだめくっていなかった。
「コキア」
「うん」
「夕飯、行けそうか」
「うん」
「無理ならいいぞ」
「行けると思うよ」
青藍は短く頷いた。それから、ページを一枚めくった。たぶん読んでいなかった。
深緋は紋様集の葉の縁を、もう少し塗った。緑の線が、葉の輪郭をなぞった。色は最後まで入れなかった。だるくて途中で色鉛筆を置いた。
窓の外は明るかった。昼を少し過ぎただけだった。これから夕方になって、それから夜になる。食堂に行く時間も、まだだった。
鶸が寝返りを打った。毛布が少しずれた。青藍が立ち上がって、毛布を直してから、また椅子に戻った。
「コキア」
「うん」
「少し寝た方がいいんじゃないか」
「うん」
青藍はそれだけ言って、本のページにまた目を落とした。
深緋は紋様集を閉じて色鉛筆をしまった。引き出しは、今日は少し開けたまま。
窓の外で、雲が動いていた。
(了)
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